第17話 湯断大敵

家の戸をくぐった。


「ただいま、帰りました。」

「おう、おかえり。遅かったな。」

「おかえりなさい。」


 レントンの町に入り、そのまま真っ直ぐ家に帰った。

 エルコにみんなを紹介しておこう。

 出迎えてくれた、お爺さんの方が僕の師匠のコンデコマンさん、隣がその妻のシャティアさん、マーガレットさんって娘さんがいるのだけれど、現在は遠くでお勉強中だよ。もう一人僕の兄弟子のマットがいるけど、それはいいか。


(ふーん。)


「たったの5日間だったが、…なんか雰囲気変わったな。何かあったのか?」


 何かあったかって、師匠、そりゃないよ。

 師匠が特訓して来いって言うから、行ってきたんじゃないか。すごく大変だったんだぞ。もう2度とヤダ!ってくらい、大変だったんだぞ。娘までできたんだぞ!少しくらい変わって当然じゃないか!


「まぁまぁ、そんな話は後にして。今お湯を用意するから、裏で溜まった垢を流してらっしゃい。終わったら、すぐご飯にしましょう。」

「ありがとうございます。」


 さすがシャティアさんだ。師匠と違って気が利く。シャティアさんと僕の仄かなジト目が師匠に向かった。


 と、こんな空気を、読まなくていい所だけ、読んでしまうのが師匠である。


「甘やかすな!まずは、特訓の成果を見せてみろ。さぁ!さぁ!」


 師匠は自分が軽く見られているような状況に、非常に敏感に反応する。そんなこと誰も思ってないのにね。

 果たして師匠は、エルコからのジト目には気付いているのだろうか?


「さぁ!」


 シャティアさんは、先にお湯を用意しますと、ひとり台所の方へ行ってしまった。

 声には出さないけど、師匠、ウザい。ので、薬草豆(失敗作)をひとつ取り出し、師匠に手渡した。どうです?たいしたものでしょう。


「なんだ?この大きな鼻くそは。」

「…。」

「冗談だよ。でもこれは、…なんというかな。俺の常識には、無い形だな。魔法か?」

「うん。」


 ある人に、教えてもらった。…。

 渡した薬草豆を、師匠はじっと観察している。手のひらでコロコロと回したり、指でクルクルしたり、ランプの灯にすかしたり、最後には口の中に入れてしまった。


「こいつは、たまげたな。…ま、…すげぇな。」


 師匠はなんというか、言葉が、へたくそ。…僕も人のことは言えないか。


「わかります?師匠の下ごしらえにも負けないでしょう?」

「はは、そりゃぁさすがに、まだまだだぜ。ま、しんどかっただろう。今日はゆっくりしな。お湯を使ったら、その頃には飯の準備もできるはずだ。」

「うん。」


 ひとまず自分の部屋に荷物を置き、お湯を使うため勝手口の方へ向かった。その途中、台所、シャティアさんがご飯の準備をしていた。竈には、大きな鍋がかけられている。その脇の、大きな水瓶に目が留まった。


 前の家では、水瓶の水はお母様が魔法でキレイにしていたのだが、この家ではそうはいかない。前に一度、どうしているのかと思って聞いてみたが、シャティアさん曰く、「あら、水はキレイよ。」とのことだった。そのまま飲もうとしたら怒らるのだけどね。

 どうやら町中では、水は気軽に飲めるものではないらしい。

 いくら元がキレイな水でも、水瓶の中にはしばらくすると底の方にヘドロがたまるので、週に一度くらいは瓶を洗うのがひとつの日常の風景だ。

 一部の貴族などお金持ちの屋敷には、魔法で加工された水瓶があって、いつでも新鮮なキレイな水を飲めるらしい。


 とりあえず、水瓶の水をキレイにしておこう。


 こんなことも簡単にできるようになった。こんな日常の中に、今まで思いもよらなっかったことなのに、今簡単に解決できることがある。この5日間の特訓の充実度が、半端じゃなかったことを実感できてうれしい。



 勝手口を出ると左手に、簡単な骨組みに薄い木の板を渡しただけの屋根に石畳の作業場兼湯浴み場がある。半ばを区切って奥が、魚や肉を捌く用に使っている、生臭エリアだ。手前の壁に立てかけてある盥を倒し、5分目くらいに水を張る。

 勝手口から表の道へ出ると水路が通っている。山から流れてくる水をそのまま流している町民の共有水源だ。普段はそこから水を汲んでくるのだが、今の僕は、魔法でチョイである。


 お湯を待つ間に、奥の捌き場の臭いも魔法でチョイだ。


 シャティアさんがお湯を持ってきてくれた。水を張った盥にお湯を注ぐと7分目くらいで丁度良い加減だ。



 シャティアさんを見送る。彼女が勝手口から中に入ったのを確認した。


「出てきて大丈夫だよ。」


 独り言じゃないからね。

 僕の横にスッと人影が現れる。背丈は僕より少し低いくらい、白髪に青い目、身長は当然、僕より低い。エルコである。

 エルコは、この世に存在するものとして、格というかなんというかが、かなりハイクラスの部類である。力というか、この場合は存在値とでもいうのか、が高いため、虜となってもこのように実態を持ち、自由に行動することができるのだ。


「パパー。」


 出てくるなり、エルコは僕に抱きついてきた。


「おぅっ!なんだエルコ。寂しかったのか?そうか、エルコは寂しがり屋さんだな。」

「えへへっ。ボク寂しくないよ。」


 エルコの無邪気な笑顔がまぶしい。

 実体化していない時でも僕と話はできるとはいえ、概念的に内側にいるのはエルコ一人きりなので、すごく寂しいのだそうだ。誰よりも近くにいるのに難儀なことだ。

 たまに、内に正体不明の影が見え隠れするときがあるようだが、それはきっと僕のシャイな部分なのでそっとしておいてね。


 呼び出したのは他でもない。せっかく実体化できるのだし人の形なのだから、身体を洗ってやろうと思ったのだ。

 親子のスキンシップというやつだ。


「お風呂?」

「そう、1日の疲れを洗い流すんだ。」


 エルコに後ろを向かせて、お湯を含ませた手拭で背中を流してやる。ふむ、満足そうでなにより。と、…気付かなくて良いことに、ここで気付いてしまう僕がなんともどかしい。

 エルコとは親子といいながら、実際にはあまり変わらない年恰好。しかも、エルコは女の子。僕は急に恥ずかしくなってしまった。そして、意識すればするほど僕の聞かん坊は、ますます聞かん坊になってしまった。


「エルコもやるー!」


 元気よく振り返るエルコは、恥ずかしいなんて感情があるわけもなく、恥ずかしいところが丸見えなのである。ガシと手拭を奪われた僕は、エルコに背を向けた。

 そこからはエルコの独壇場だ。バシャバシャとお湯を贅沢に使いながら、僕の身体を垢を落としていく。ま、エルコに恥じらいがないというのが、唯一の救いである。僕は心を静めた。



 油断だった。


 いつの間にか僕の正面に回っていたエルコが、手を止めた。

 エルコがジーッと見つめる先は、落ち着きを取り戻した半生状態の僕の聞かん坊…。


 …パックンチョ。


 ゾクッと背筋が硬直した。この強烈な刺激は、まさに電撃。

 のけぞるように回避行動をとろうとした僕は、足を滑らせそのまま転倒。したたかに頭を打ちつけて、意識を失ってしまった。




 …。






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