第5話 身の上を想います。

 馬車でコトコトと、町を出て4つの丘を越えたところで馬車は止まりました。日は昇っていますが、道幅は狭く、辺りを木々に囲まれていて薄暗く感じます。このようなところに1人で取り残されるのかと思うと、生きた心地もしません。

 御者で監視員で教会の人である男が、馬車を降りて、私のいる荷台の方へ回ってきました。私はここかと観念し、自分で荷台から降りました。教会の人と向かい合って、私はここまで運んでくれたことに感謝し礼をとりました。


 バチィーン!


 一瞬何が起きたのかわかりませんでした。聞きなれない甲高い音と同時に、世界がグルッと回転し、私は地面と激突しました。急なことでしたので、痛みを感じる暇もありません。私がうつぶせに転がったところを、間をおかずに背中の方からグイと持ち上げられました。宙に浮いたままの私を、この教会の人は「ゴン、ゴン、」と何度も何度も小突いてきました。


 私はこの男が嫌いです。嫌いです。嫌いです。


 すごく嫌な目で私を見るのです。

 

 男は、小突くことに飽きたのか、ポイと私を放り投げました。私は背中から地面に打ちつけられました。背負っていたはずのリュックがないことに気付き男の方を見ると、男は私のリュックの中を物色しています。


 「ガキのくせに、良いもん持ってんじゃねぇか。」


 お母様からもらったナイフを、男がリュックから取り出したのが目に入った時、私の中で何かが、例えるならお腹の中を大きなミミズがうねる様な、そんな何かが熱く私を動かします。


 私は男の持っていたナイフに飛びつきました。男が鞘の部分を持っていたのでナイフはスルリと抜き身になり、私の手元にあります。


 次には、私はナイフの鞘とリュックを取り返し、少し離れたところで男の絶叫を聞きました。男の両腕は手首から先が落ちて、すごい勢いで血があふれています。

 

「ぎゃあぁぁーーー!」

「なんで、あんなことしたんだ。痛かったんだぞ!」

「あぁぁーーーーー!」

「このナイフは、私のすごく、すごく大事な物なんだ!」

「ぁぁ…あぁー!」

 

 男は膝から地面に崩れました。教会の人ですから、治癒術を持っていれば血は止まると思いました。ドクン、ドクンと私の身体の内を大きなミミズが這っていました。私は森の中へ駆け込みます。

 森は、入り口付近は背の低い木が鬱蒼としていて走り難いのですが、中に入ってしまえば何てことはありません。木々の隙間は、人が1人通るくらいならば、軽く余裕があるのでした。私は、もう町には戻れないので、森の奥へ奥へと息の続く限り走り続けました。と、言いましても病み上がりの私のこと、2分程で息が切れて動けなくなり、その場に座り込んでしまいます。

 あの男はどうなるのでしょう。血が止まって一命を取り留める?それとも、あのまま血が止まらず死んでしまう?私は、また逃げ出してしまいました。

 トマス君の時と何も変わらない。

 そういえば、トマス君には結局、私は謝る機会を失ってしまったのです。


 …ごめんなさい。…ごめんなさい。


 ごめんなさい。



 …やっぱり、私は呪われているのでしょうか。


 森はシンと静かに暗闇を湛えています。


 私はリュックの中から干し肉を取り出し、ただ黙々と食べました。とても硬かったけど食べました。


 いつの間にか眠っていました。

 起きた時には、喉がカラカラだったので水筒の水を飲みました。頭上の枝葉の輪郭から、陽はちょうど真上くらいにあるようです。それほど長く寝ていたわけではないようです。


 ガサガサと落ち葉を踏みしめる音に顔を上げると、前方5メートルほどのところにゴブリンがいます。まだ子供のようです。すこしポッチャリしていて、聞いていたほど醜悪には感じません。でも、人と仲良くするタイプではないですよね。それはわかります。


「ギャァァァーーー!!」

 子供ゴブリンが奇声を上げながら、こちらへ襲いかかってきます。手には拳大の石を持っています。大きく振りかぶって、…投げました。


 ゴツッ。


 イタィ!石は私の額に命中しました。


 子供ゴブリンはさらに襲いかかってきます。私は子供ゴブリンに体当たりをされ、後ろに転げました。私の上に子供ゴブリンがのしかかってきます。馬乗りになった子供ゴブリンのグーのパンチが飛んできました。何度も私を殴りつけます。子供のパンチとはいえ本気のパンチは痛いです。


 ひとしきり続いたところで、拉致もあかないと思ったのでしょう。子供ゴブリンは傍にあった拳大の石を取り上げ、これは先程投げてきた石ですね。それを「ガポン、ガポン。」と打ちつけてきました。グチャリと石が血に染まります。さらに、これでもかと大きく振りかぶって、私の頭に石をぶつけますが、持つ手が逆に痛かったのか石を地面に落としてしまいました。

 今度は喉に噛みついてきました。


 ギリギリと子供ゴブリン歯が、私の首を締め付けます。


 徐々に視界がぼやけてみました。急に眠くなる時が同じような感じです。



 教会の人に何度も小突かれて、子供ゴブリンに何度も殴られて、石をぶつけられて、…醜悪というならゴブリンよりも今の私の方が余程、醜悪に見えるに違いありません。

 普段なら、泣き虫の私は大泣きしているところです。でもなぜか、今はそれを他人事のように平然と眺めているのでした。



 このまま眠れば、お母様に会えるでしょうか。


 ファビア姉様にも、ユリア姉様にも、夢なら会えるでしょうか。


 でも、やはり姉妹の中では、ロッテにいちばん会いたいです。それも昔のロッテがいいです。悔しいですが、今のロッテは私より身長が高いのです。


 ん、ケッサク兄様はいいです。



 …。お父様…。




 なんてことのない、昔の夢です。


 私は家庭教師の先生から魔法を習っていました。

 自慢するわけではありませんが、私って結構、魔法は得意なんです。特に氷を使えば兄姉を含めても、だれも私には敵わなかったくらいです。


 お母様もたくさん褒めてくれました。

 勇者、お父様のことですが、よりもすごいと言ってくれました。

 今度お父様が帰ってきたときには、一緒にびっくりさせようと計画も立てました。


 皆でいると、すごく楽しいのです。




 ……


 …


 お母様がくれたナイフがあります。さすがお母様は、こんなこともあろうかと準備をしていてくれたのです。鞘に収まったままのナイフに魔力を込めると、大きな青い石が鈍く光ります。


 周囲に冷気が充満していきます。


 子供ゴブリンは背中の冷気に驚いて、上体を起こしました。

 待ってましたと、一気に魔力を流し込みます。


 氷は子供ゴブリンの上半身を含めて、下方の地面から斜め方向に巨大に発現します。


 なんて我儘なのでしょう。私はほんの少し前まで、生きるとか死ぬとかどうでもいいように感じていたというのに、いざ死を前にすると死にたくないと思ってしましました。

 この子供ゴブリンは私の我儘の犠牲者です。


「ただ、皆と一緒にいたいと思ったんだ。ごめんね、君に恨みはないのだけれど…。」



 リュックを担いで、この場所を後にします。


 私は13歳にしてやっと、生死というものを体感しました。思いがけない経緯でそうなりましたが、この非道く残酷な世界で、これはお父様とお母様から聞かされた話ですが、お父様はその非道く残酷な世界を救うために旅をしているのです。その世界で甘やかされた私には、特に実感も無く通り過ぎることができました。代わりに犠牲になった人には申し訳ない。


 先程の教会の人のことを思い出しましたが、しかし彼が生きていても死んでいても、私のしたことに変わりはないのです。


 このまま此処に留まって教会に捕縛されてしまうと、その後はどうなるでしょう。死刑にでもなれば、一生みんなと会うことはできなくなってしまいます。


 まずは、目の前の森を抜け、山を越え、この国を出ることです。


 全くもって鍛えていないこの身体が、唯一の私が生き残る手段になるのです。多少の痛みなど、気にしていられません。

 ふらつく足元などは、どうでもいいのです。足がダメならば手で、手がダメならば顎で、胸で、歯で、鼻で、眼で。


 歩きださないと。






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