3-16 罰
◆
その運送屋のことを知っていたのは、任務の中で知り合っただけで、個人的な付き合いはなかった。
「困りますよ」
船を貸してくれ、と頼むと彼は即座にそう言って、少しの間の後、「困ります」と繰り返した。
機動戦闘艇だけでは生きていけない。生活の場が必要だった。
小さな船を借りて、それに機動戦闘艇を接続すれば、最低限の生存に必要な問題はギリギリ回避できる。その時は機体を塗装し直す。それで誤魔化せるのも短い時間だろうけど。
「あまり時間もないが、考えてくれ。こいつはやるよ」
俺はパイロットスーツの胸に張り付いていた略称を彼に押し付けた。
「なんで英雄が脱走などするのですか」
彼はブツブツ言いながら、俺に普段着の代わりに作業着のつなぎをくれた。
運送屋が仕事に行くと言い、機動戦闘艇は持っていけないが、ついてくるか、俺に訊ねた。
「適当なところで、人を紹介してもいい」
「任せるよ」
俺は結局、大量の物資を積み込んだ輸送船のリビングで、寛いで過ごすことになる。
運送屋は操縦席から出てこない。
恩がある相手ではないが、信用できるはずだ。それに長居するつもりもない。
そう、仕事をしなくては。機動戦闘艇の操縦技術が活かせそうな道を探そう。
相談するために、操縦室に顔を出した。と、運送屋が通信装置を急にオフにした。
「どこの誰と話していた?」
真っ青な顔になる運送屋は、何も言わない。それだけで相手がわかろうというものだ。
「良いだろう」
画面を見れば、亜空間航行の最中だ。こういうことは趣味じゃないが、こうなっては主義だの趣味だのは脇へ置いておこう。
「一番近い宇宙空港へ行け」
「亜空間航行中ですよ」
気乗りしないながら、俺は腰に差し込んでいるエネルギー銃に手を置いた。この銃は帝国軍が正式採用しているもので、機動戦闘艇に乗るときは、携行しない決まりになっている。
だがあの工場衛星で、俺は隠し持っていたのだ。
例の兵士もいたからだが、変なところで役立った。
「さっさと緊急離脱する方が身のためだぞ」
俺の圧力に運送屋は死を覚悟したのか、冷や汗だか脂汗を流しながら、パネルを操作し、レバーを引いた。青空の映像がすぐに宇宙のそれに変わる。
馴染み深い、俺が生きてきた世界だ。
男がコンピュータに亜空間航法の計算をさせるのに十分かかった。その間、俺は周囲をじっと見回していた。いますぐ帝国軍が来るかもしれない。
「仕方ないじゃないですか」運送屋が泣きながら言葉にする。「俺は死にたくない。死にたくない」
「すぐ出て行くよ。宇宙空港へ行け」
計算が終わり、三十分ほどの亜空間航行で惑星ナンブの宇宙空港にたどり着いた。数え切れないほどあるエアロックの一つと接合される。
「あとは好きにしていい。機体もくれてやるよ」
俺はさっさと宇宙空港に出た。
脱出前にアイリスとともに作成した偽の身分証でエントランスまでに進み、次の計画を考えた。どこかで船を手に入れなくちゃいけない。
結局、じっとエントランスに並ぶベンチで行き交う客を眺め続け、狙いを定めた。
弱者を狙うようで申し訳ないが、一人で行動している老人だ。
お金がなくて、とか、身内に不幸があって、とか、適当なことを言うと彼は真剣な顔で「乗りなさい、さあ、さあ」と言ってくれた。善良な人間を騙すのは、これっきりにしたいものだ。
小型の宇宙船に乗り込み、宇宙空港を離れる。
「どちらまで行かれるのですか?」
「惑星アンカスタです」
「あそこは何度か行ったことがある、いい場所ですね」
ええ、そうですね、と笑顔で返しておく。
もし惑星エンカスタにこの老人も向かっていたら、どうやって誤魔化すか、ややこしくなったはずだが、回避できた。
「エンカスタの宇宙空港で下ろします。それでよろしいかな?」
「よろしくお願いします」
リビングでゆっくり休みつつ、俺は電子新聞を閲覧した。
ちなみに俺の携帯端末はすでに廃棄済みだ。そこから足がつくことはない。
電子新聞には俺とアイリスのことは書いていない。もう時限装置は作動し、帝国軍のデータベースから俺のありとあらゆるデータが消えただろう。
アイリスの奴は、どうしているのやら。
惑星エンカスタまでは片道で半日。決断する必要はすぐにやってくる。
亜空間航行を離脱する寸前に、俺は操縦室に行った。
「どうしました?」
こちらを見る老人の額に、エネルギー銃の銃口をピタッと触れさせる。老人は何が起こっているか、全くわかっていない。
「立って、救命ポッドに歩いてくれ」
「あ、あんた、何を……、何が……」
「これでもお尋ね者でね。船が欲しい」
「ふ、船はやる、だから、命は……」
歩きな、と促すと、彼は席を立って、背中を俺の拳銃に押されながら、救命ポッドに乗り込んだ。
ハッチを閉めて密閉し、俺は操作パネルをいじってハッチをロックする。
操縦席に戻ると、亜空間航行から離脱するまで二分ほどを残している。
長い二分間になった。
亜空間航行から、離脱。俺は操縦室にあるパネルの中でも、救命ポッドを管理する一枚を引っ張り出し、一番目立つ大きな赤い表示を押してやった。
小さな振動が、救命ポッドの切り離しを意味している。
船を操縦しようと操縦桿を握ると、指紋と掌紋が登録されていない、という警告が表示された。くそ、厄介なシステムだ。
あれやこれやと試して、どうにか緊急事態として操舵できるようになり、俺は適当な地点を目指して亜空間航法の計算を始めさせた。
すぐそばに惑星エンカスタが見える。
俺がどこかの惑星に落ち着くことは、もうないかもしれない。
でもどうやって生きていく?
不意に空腹を感じ、席を立ってリビングも通り過ぎ、倉庫を漁る。
非常食がダンボール箱一箱、あった。これで食いつなぐことはできる。ゼリー飲料のパックを片手に操縦室に戻り、今度は鉱物燃料の残量を確認。こちらも一ヶ月は持ちそうだ。
どちらかが底をつくまでは、俺も正気を保てそうだな。
計算が終わった表示と、短い電子音。
さて、行くとしようか。
レバーを倒すと画面が真っ暗になり、すぐ青空へ変わる。民間船のためか、粗雑な青空だ。
シートに身を預け、自分が自由なのか、不自由なのかを考えているうちに、うとうとしていた。
何度も何度も亜空間航行の起動と離脱を繰り返し、俺は逃げ続けた。
しかし帝国軍と遭遇することもない。事前の計画で帝国軍のいそうな場所はおおよそ知っていたし、宇宙は広い。自在に捜索網をすり抜ける事が出来た。
ただ、逃亡もそう長くは続かないだろうとも、予想できた。
俺とアイリスが逃げた以上、俺たちが知っている警戒網や活動範囲のわずかな隙間を意識できれば、逆にそこに網を張ればいい。こちらは帝国軍のリアルタイムの詳細を知る事ができないから、対処できない。
ただ、帝国軍はそこまで頭が良いわけではないらしい。
もっと早く何かあると思ったのに、俺は食料を食べ尽くし、燃焼門は鉱物燃料を食い尽くし、無様に宇宙空間を漂流することになった。
耐え難い空腹を紛らわせるために、布切れを噛み締めつつ、酸素の残量を眺める。
それが終われば、死ぬだろうな。いきなりゼロにならないから、少しずつ窒息し、眠るように死ねるかもしれない。
それもまた、俺への罰だろう。
シートに座って布をひたすら噛んでいると、通信を告げる音が鳴った。
「はいよ」
足でパネルを蹴飛ばして繋ぐ。掠れた声しか出ない。
「どちらさん?」
『抵抗するなよ』女の声だ。『さもなくば撃ち落とす』
「ご自由に」
もう一度、パネルを蹴りつけて通信を切り、さらに蹴り飛ばしてモニターに通信相手の外観を大写しにさせた。
小型の機動母艦か。しかし古い型だし、火砲が増設されている。
帝国軍の正規の処置じゃない。となれば、答えはひとつだ。
宇宙海賊、もしくはテロリスト。
俺は既に巨大な棺桶になっているジャックした宇宙船が拿捕されるのを、無抵抗に観察していた。
(続く)
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