3-14 祈り
◆
機動母艦オリオンから別の艦に移ることが、まず第一の条件になる。
俺とアイリスは密かに話し合いを続け、二人同時に脱走することは決まったが、しかし、手法がない。
その時に浮かんできた計画は、機動戦闘艇のメーカーである、ユグドラシル社の新型機のテスト飛行である。
これならオリオンから脱走するよりはるかに楽だ。
オリオンから逃げるとなると、オリオンに積まれている五十機を超える機動戦闘艇がまず追ってくるし、艦隊の他の部隊も出動する。
俺が天才的な操縦士でも、最強の機体に乗ろうと、これには対抗できない。逃げることもままならないのは自明だ。
アイリスがいても、それは変わらない。二人ともが確保、もしくは抹殺される。
ユグドラシル社の工場衛星に出向くように上層部に促され、俺はアイリスを補助として連れて行くと決めた。
何かを感じたのか、軍は護衛をつけるなどと言って、随行させる人間を一人指定してきた。
こうなると移動中などに秘密裏にやり取りするのは難しい。
事前に全てを打ち合わせるしかないと確定すると同時に、俺たちは厳密に情報を揃え、計画を形にしていった。
工場衛星が浮かんでいるのは、スベルギアという惑星で、地球化されて三十億人ほどが生活している。
この惑星には密林があり、そこで追っ手をやり過ごしてはどうか、と提案したが、それよりは動いている方がいいだろう、とアイリスが否定し、結論としては宇宙を逃げると決まった。
星海図で周囲の惑星の情報を調べ上げ、同時に帝国軍の配備、駐留の情報もチェックした。
問題はなさそうだ。
「試作機を奪えば、少しは目を眩ませられるでしょう」
メーカーには試作機に特別な塗装をすることが許され、縞模様なのだが、この縞模様がある機体は帝国が認めた特別の保護下にあり、製造者以外による拿捕や鹵獲は厳罰の対象になる。
アイリスが言っているのもそれで、民間の船はこの類の試作機には近づきたがらないものだ。
二人同時に試作機に乗り込めるかどうかは不明だが、押し通すしかない。
「先に乗った方が先に逃げるべきよ」
「なら、君が先に乗れ」
「あなたが先よ」
似たような押し問答を繰り返したが、この点に関しては結論は出ない。俺としては現場で揉めないことと、幸運が味方して二機の試作機に同時に乗れることを願うばかりだ。
複座でも構わないが、複座の機動戦闘艇なんて、最近ではほとんどのメーカーは作らない。ヒューマンエラーのほとんどは簡易的な人工知能がフォローするからだった。
期日が近づくが、できることは全てやってしまい、試験飛行に旅立つ前日、俺はオリオンの酒場で、一人で酒を飲んだ。俺のことを知っている赤の他人がやってきては、挨拶していく。
俺は今も普段は酒を飲まない。今日は特別だ。それに、ただ、酒場の雰囲気が好きだった。
「席を良いかな」
「あんたとは酒場で会うことが多いな」
ネルソン大佐が向かいの席に座る。いつかのように、ビールの入ったグラスを持っている。
「もう俺からは何の用事もないよ。話したいとも思わないね」
「トン少佐のことは、どうしようもなかった」
「殺しておいて、言い訳ですか?」
難しい顔でビールに口をつけ、珍しくネルソン大佐は満面の笑みを見せた。
「不愉快な奴の尻尾は掴めた」
「今の発言には問題が二つある」
即座に指を一本立てた。
「まず、あんたにとっては不愉快程度かもしれないが、俺からすれば、そいつは地獄に叩き込んでもあまりある、相当に不愉快な奴だ」
もう一本、指を立てる。
「そして、尻尾を掴んだなどと言わず、首根っこを掴んでそのまま首をへし折ってやれ」
ネルソン大佐は「ユニークな意見だ」とまだ笑っている。
「その相当に不愉快な奴が誰か、知りたいだろう?」
「誰だ?」
「ベンジャミン・スコット」
俺は思わず彼をまじまじと見た。ベンジャミン・スコット? あのおっさんが?
「トン・クー少佐は、誘いを受けたが断っていた。それを我々は把握し、やっと、親玉にたどり着いたわけだ。今頃、あの哀れな男も、精神スキャンの対象だ」
「ふざけたことを言うな」
俺は思わず立ち上がり、周囲からの視線とネルソン大佐の視線に、怒声をこらえてゆっくりと席に戻った。
「あんたは何も感じないのか? 大佐。人間が殺されているんだぞ」
「それが仕事だ」
二人ともが真顔で視線をぶつけ合い、どちらからともなく、すっと外した。
仕事か。なるほど、仕事。
糞食らえだ。
「私は准将に昇進し、帝星に行くことになった。今日は別れを言いに来たんだ」
「そりゃどうも」
そうか、考えてみれば、ネルソン大佐はこの船の乗員ではない。
「ご足労、ありがとうございました、准将閣下」
「きみの未来の幸運を祈るよ」
ギクリとしたが、自然と笑みを返せただろう。
俺の未来? この人は実は全てを知っているのか?
「ではね、中佐。いや、半年後にはきみは大佐だ。楽しみにしておけ」
立ち上がりながらそう言う憲兵大佐はこちらに手を差し伸べてきて、俺はそれを取った。
短い握手の後、彼は去っていった。俺はといえば、握手したばかりの自分の手を、もう一方の手で触っていた、
冷たいような気がする。動揺して、彼に悟られただろうか。
昇進の話はもう、俺の経歴とははっきり言って無関係だ。半年後どころか、一週間後には俺はお尋ね者になっているだろう。
アルコール度数の低い酒を飲み干し、酒場を出た。
足が自然と格納庫に向かっていた。夜でも夜勤の整備兵がいて、詰所の方から気配はするが、声は聞こえない。機密が完璧なためだった。
俺の機体は最新型の機動戦闘艇、ソフィア社のアジュア三型だ。
しばらく機体を見ていると、すぐ横に馴染みの整備兵が立った。
「いい機体だな」
思わず口に出して言うと、整備兵がこちらにタバコを差し出してくる。一本、貰って口にくわえ、彼は火もつけてくれる。
「最高のパイロットの機体だからでしょう」
自分もタバコに火をつけて、彼はふうっと煙を吐く。
「機体にはパイロットの癖が出る。専門家にしかわかりませんけどね」
「わかる気がするよ」
ゆっくりと機体に歩み寄り、周りを歩きつつ、どこにも異常がないかチェックした。
異常なし。
「完璧に整備されていると、嬉しくなるよ」
「機体もそういう気持ちでしょうね。簡易人工知能に訊いてみればいかがです?」
二人で小さく笑い、元の位置で機体を見て、俺は早々にタバコを捨てた。踏み消して、整備兵の肩を叩いた。
「また頼む」
ちょっと離れてから、気づいた。
「軍曹」
整備兵が振り返る。俺はポケットから取り出したタバコの箱を彼に投げた。綺麗に彼の手の中に箱は落ちた。
「やるよ。大事に吸え」
「ありがとうございます、中佐殿」
手を振って、俺は格納庫を出た。部屋で休み、明け方、目を覚ましたら、自分に関する情報を全て消すために、こっそりと仕込んだ時限装置を起動する手続きをして、朝食のために食堂へ行った。
執務室で事務仕事を少し片付けると、時間だ。
「行ってくるよ」
副官に見送られて、荷物を抱えて格納庫へ行く。すでにアイリスは待っていた。ついてくる兵士の顔もある。
「行くとしよう」
待機している輸送船に乗り込む。三人だけだとガランとしている。自然と離れて座った。
機体が浮き上がり、格納庫から外へ向かう時、チラッと俺の機体が見えた。
もう俺の機体じゃない。
そう思おうとしても、無理だった。
短い間、目を閉じて祈った。何に、何を祈ったかはわからない。ただ祈った。
目を開けた時には、窓の向こうは宇宙空間だった。
(続く)
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