3-13 非情
◆
それから数日で、軍事法廷、それも略式裁判の開廷が通知され、出かけて行った。
小さな部屋に入ると、先に車椅子に乗ったトンがもう待ち構えていた。こちらに背を向けている。後頭部を見る。奴は、振り返りもしない。
俺が弁護人席の横の席に座ると、見ていたかのように裁判官がやってきた。
「開廷します」
検事役も、弁護士もいない。この部屋には裁判官、記録係、トン、俺、そして廷吏がいるだけだ。
裁判官が罪状を述べ、俺に何か付け加えることがあるか、質問した。
「こいつは何もしていない、そうでしょう?」
じっと裁判官を見据えるが、まるで機械のように、作り物のように反応しない。怯えも動揺も、躊躇いもない、まるで機械のように見えた。
淡々と、言葉が返ってくる。
「彼に対して行った精神スキャンの結果は、極秘事項だ。ここで触れるべきではない」
「奴は、何もしていない」
やっと俺はトンの顔を見ることができた。
少しの力もない顔には、感情の色はない。虚ろな瞳はどこにも向けられていない。
俺に反応することもなかった。
「弁護人は同じ言葉を繰り返さないように」
裁判官の言葉に、射殺さんばかりに視線を向けるが、裁判官はピクリとも反応しない。
鉄壁の精神。裁くことに慣れきっている、自信のある人間の顔だ。
俺の顔には自信なんてないだろう。少しでもトンを救う方法を考え、しかし何も思いつかない。
トンはすでに精神を破壊された。このまま生かすことが、トンのためになるのか?
奴をかばい続ければ、俺の立場が揺らぐ。いや、立場なんて、どうでもいい。
トンを、助けなければ。
「こいつは、無罪です。憲兵はそれを知っているはずだ」
もういい、と裁判官はあっさりと俺を黙らせた。言い募ろうとする俺に、廷吏が向かってくる。座るしかない。
座って、判決を聞くしかなかった。
テロリストに機密情報を漏洩した罪で、死刑。
死刑? こんなことがあって良い訳がない……。
良い訳が、ないんだ……。
刑が執行されるまで一週間が与えられた。トンは拘束されたままで、俺は奴を毎日、訪ねた。面会室で、透明な板を挟んで、スピーカー越しに声をかける。
返事はない。トンの精神は、完全に壊されてしまった。
時にはアイリスとも出かけた。俺たちが形だけでも笑顔を見せても、トンの表情は少しも変わらなかった。
ぼんやりと、口を半開きにして、彼はそこにいる。
帰りがけに、「ちょっと寄り道しましょう」とアイリスが俺を誘った。どこに行くかと思ったら、食料品の備蓄されている倉庫だった。
色気なんてこれっぽっちもない。
そこで、思い切り、俺は頬を張られた。張られて熱を持つ頬を手で触れたのは、無意識だった。
俺の前で、アイリスが鋭い視線でこちらを見ている。
「あなた、いつもの様子はどこに行っちゃったのよ」
「いや、いつも通りだよ」
「嘘おっしゃい! 仲間が殺されて、それで引き下がるあなたなの?」
こいつは何を言い出したんだ?
見ているうちに、アイリスの瞳が潤み、すぐに涙が雫となって頬を伝った。
「私はもう、嫌になった。こんなところにはいられないわ」
「ここにはいられないも何も、どうこうできるか?」
俺たちの立場で、このタイミングで除隊するのは危険だった。
前提として、帝国軍で当たり前のように交わされる噂がある。それは機密情報に接したものは除隊しても、死ぬまで帝国軍に監視される、という噂だ。
俺もアイリスも、あまりに多くを知りすぎている。
しかもトンがあんな状態で、死刑を控えているとなれば、俺たちが急に除隊すれば、そのまま帝国を裏切ると見るのは、自然な流れだ。
アイリスがぐっと目元を拭った。
「私は逃げることに決めた。あなたは?」
「逃げるって、脱走か?」これにはさすがに俺も動揺した。「殺されるぞ」
「私の命は、私が命を賭けたいと思ったもののために、使う」
まじまじと彼女を見てしまった。
「帝国を捨てるのか? それでどこへ行く?」
「私は私で決めたわ。あなたはあなたで決めなさい」
と、誰かが倉庫に入ってきた。慌てる俺の唇に、アイリスが唇を当てる。
そのまま静止し、それを見たんだろう誰かは逃げるように去って行った。
「考えておいて」
すっとアイリスは身を引いて、倉庫を出て行った。
いつまでも呆然としているわけにもいかず、のろのろと倉庫を出た。誰かが見ているかと思ったが、通路には誰もいない。
何事も手につかないまま、その日がやってきた。
処刑室と呼ばれる部屋で、ただの小綺麗な、何も家具のない部屋に見える。
いや、家具はある。あるのは椅子だけだ。昔ながらの処刑のための電気椅子。
処刑室の隣の部屋には、様々な立場の立会人がいる。俺は彼らからの視線を意識しつつ、しかし完璧に無視して、その時を待った。
トンが連れてこられ、兵士が二人がかりで電気椅子に乗せ、その体を拘束し、ヘルメットをかぶせた。
これで奴は、楽になれる。
不意にそう思った自分がいる。視界が滲み、耐えきれずに顔を伏せた。
「執行します」
執行人が静かな声で言った。
何かのスイッチが入れられる音がして、次にスイッチが切られる音がした。
それからのことはほとんど覚えていない。たぶん、声をかけてきた奴もいただろう。俺はそれに答えたのか、答えなかったのか。
ぼんやりと立ち尽くし、処刑室にある空の椅子を、俺は気づくと見つめていて、もう他に人気はなかった。
奴は、死んだ。
エンファに会いに行くべきだ。連絡は取っていたが、俺が見たものを、伝えなくては。
しかし、どこまで話せる?
俺も機密を誰かに伝えたという理由で、殺される?
しかもまずは精神を破壊され、次に肉体を殺される?
ゾッとした。
俺はどういう場所に立っているのか、判断できなかった。
栄光と名声に支えられた、輝かしい英雄のはずだった。
それがわずかに誤れば、犯罪者として、処刑される。
そんなことがあるものか。今まで、帝国のために尽くしてきた。激しい訓練を積み、すべてを捧げ、命を危険にさらし、そうして戦友を、国を守ってきた。
間違いなく英雄。間違いなく、献身した。
それがあっさりと覆されるかもしれない。
自分たちに都合が悪くなれば、地位も勲章も、戦果も、全てが無視される?
これまでやってきたことには自信しかなかった。その点では俺は自信家だっただろう。ただ、これまでのことなんて無視されるとなれば、自信は根拠を失う。足元から、一気に崩壊する。
急に自分が宇宙空間に、まさに何もない場所に放り出されたことを、意識した。
手足が震え、ぎこちなく歩いて、部屋を出た。どうすればいい? 何が正解だ?
誰が、正しい?
俺か、奴らか。それとも他の誰かか。
艦隊司令官? 遥か彼方から見たことしかない、銀河帝国皇帝?
いや、考えても仕方がない。考えても、無駄だ。銀河帝国皇帝に非があって、それを誰が批判できる? 罪を問える? 無理だ。艦隊司令官はそれに比べれば手が届くが、ただの中佐風情ではどうすることもできない。
俺にできることとは? 選べる道とは?
思考は混乱し、体が重い。
格納庫へ行こう。そうすれば、少しは落ち着くはずだ。
格納庫へ。
格納庫へ。
格納庫への道は、果てしなく遠かった。
(続く)
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