1-2 熱中時代
◆
灰皿を片付けていると、店の事務所に高校生の客が入ってきた。高校の制服はヨレヨレで、髪の毛も髭も伸びている。顔なじみだ。
「ケー、アントが助けて欲しいってよ!」
「わかった、待ってて」
素早く洗った灰皿を布巾で拭い、ピカピカに洗い終わったものに重ねる。
店のエプロンで手を拭いつつ、フロアへ。「ちゃんと勉強しろよ」とか「お小遣いやろうか」とか、客たちが声をかけてくるのに適当に返しつつ、「シュート・アンド・スピード」のところへ。
「ケー、急いでくれ」
席に座っていた高校生がゴーグルを外し、こちらに差し出してくる。
俺はゴーグロを受け取りつつ、操縦桿の片方を身を乗り出して操り、仮想の機体を制御する。
片手でゴーグルをつけ、シートに滑り込み、ペダルを踏む。画面の中で赤い光が明滅。
「右のスラスターが全損だ」
観客の一人が絶望的な声で言う。
それほどのことじゃない、と俺は心の中で応じる。
今までになかったことじゃないし。
ゲームのモードは「エスケープ」というモードで、これは大軍の敵から逃げる、という遊びだ。
敵の大軍が徐々に包囲してきて、プレイヤーは遠くにある味方の機動母艦にたどり着けばクリアだ。
味方の機動母艦は三回だけ、指定した座標へ移動できるけど、最初の位置は敵の攻撃を受けない設定で、機動母艦を下手な位置へ移動させると、その機動母艦の方が敵に包囲され、機動母艦沈没させられてしまえば、それもゲームオーバー。
戦略が大事だ。
今、俺が操っている機体は、ほとんど包囲されている。
視線を周囲に向ける。状況を整理しないと。
敵機の数は二十を超えている。ほぼ最終段階だ。このモードでは多くても敵機は二十五機だった。
どこを見ても敵しかいないから、やりやすいが、さすがに俺でも全部は落とせない。
スラスターが万全ならそんな離れ業に挑戦してもいいけど、そんな余裕はないか。
「母艦、聞こえている? 答えてくれ」
ゴーグルからマイクを引っ張り出して呼びかける。返事があった。
『機動母艦ファーストです。座標を指示してください』
機械音声だが、まぁ、気にもしていない。
俺は即座に座標を指定した。ざわっと周りの客が呻く。
「おい、ケー」俺に席を譲った高校生が身を乗り出してくる。「俺、小遣いがちょっとピンチで、勝たないとまずいよ」
「負けるつもりはないよ、見てて」
操作に集中し、俺は素早く敵機を二機、撃墜した。代わりに五機ほどがこちらを包囲しつつある。
周囲の客のざわめきが遠くに聞こえ、すぐに消えた。
黙ったわけじゃなく、俺の集中が最高潮に達したからだ。
包囲してくる五機のうちに二機を素早く撃墜。コンピュータは動きが直線的すぎる、弱いな。
ただ、二機が俺の背後に占位していて、絶対的な窮地。
操縦桿のスイッチを立て続けに弾き、ペダルを踏み込む。
最大出力で前進。敵機も付いてくる。向こうとこちらの出力はほぼ同じ。
三機目は? 予想通りの位置。少し遅れている。
どうかで誰かが何か言葉を口にした気がする。
敵機を引きはがせないはずが、わずかに距離ができた。
機動母艦が、すぐ近くへ移動しているのだ。
敵機の機動戦闘艇が、俺を狙うように設定された位置と、機動母艦を狙うように設定された位置の間で、判断に一瞬のラグができていた。
ちょっとした技だが、目測が重要になる。
できた空間を頼りに、機体を即座に反転させる。実際に機動戦闘艇に乗っていたら強烈な慣性が体を押し潰したはず。
でも、こうして、俺は二機の敵機と向かい合う余地ができた。
トリガーを引く。派手な爆発で、二機とも撃墜。
推進器を全開にして、機動母艦へ向かっていく敵機を背後から襲う。
敵機を十機以上残して、俺の操る機体が機動母艦の格納庫に滑り込む。
亜空間航法を起動しました。
そんな表示が出て、ゲームは終わった。獲得したポイントなどが表示させるのを無視して、俺はゴーグルを外した。
「さすがだな、ケー」
肩をすくめて助けてやった高校生、通称アントににゴーグルを渡す。
「ちょっとは練習した方がいいよ。ポイントが無駄になるから」
「お前が凄すぎるんだって」
拳をぶつけ合って、俺は席を離れる。筐体を囲んでいる中高生とも拳をぶつけ合った。
「まるで英雄だな」
灰皿洗いを続けようと裏へ回ると、店長が待ち構えていた。皮肉げな調子でも、表情はニコニコと嬉しそうにしている。
「ちょっと大人気ないかな」
冗談でそう口にすると、店長が大口を開けて笑う。
「確かに大人気ない奴だよ、お前は」
灰皿を洗う作業に戻り、ふと、店長が事務机に向かって端末を弄り始めるのを眺める。
この人はその時でも謎が多すぎた。
どうしてこの店を経営しているかもわからないし、どういう生活をしているかも知らない。四年経っても、変にお互い、プライベートには踏み込まないでいた。
もう俺が学校でどんな成績なのか、どういう生活をしているかも訊かない。
まるでアルバイトのようにこき使って、灰皿ではお金をくれるけど、他の作業、景品の準備や品出しなどはほぼ無償だった。
俺は実は店長の息子なのかもしれない、みたいな変な想像をしたりもした。
灰皿を洗い終わって、「ゲームしたら帰ります」と声をかけると店長は端末を見据えたまま、「早く帰れよ」と送り出してくれる。
時間を確認すると十八時過ぎで、中高生が集まっている頃だ。
果たして、「シュート・アンド・スピード」には短い列ができている。
これは驚くべきことだけど、俺を見ると列を作っていた少年たちが俺を先に通してくれる。
暗黙の了解で、俺は撃墜されたらそれで帰ること、と決まっていた。
さすがに少年とはいえ、小学生を遅くまでこのひどい空間に縛り付けるのには、抵抗があったらしい。
で、俺はプレイ中の少年が撃墜されたら、すぐに席に着く。
設定をいじって、やりやすいようにする。
タイムアタックでのレコードの一番上には、俺のハンドルネームのKの文字がある。二位も、三位もだ。
この一位の記録を塗り替えるやり方を、この時の俺は四六時中考えていた。コースはきっちり頭に入っていて、どうしたら少しでも速く飛べるか、どの軌道で飛べば距離を縮められるか、それが頭を占めていた。
操縦桿を操作して、タイムアタックを選択。コースは最高難度。
タイムアタックは撃墜が基本的にないので、これを選んだら、俺は一回のプレイで帰ることになっていた。
準備画面を見ながら、ゴーグルの位置を整え、ゆっくりと操縦桿を握り直した。
モニターの中でコースが広がり、数字が浮かび上がる。その数字が減っていくのをじっと見た。スタートまでのカウントダウンは十五秒からだ。
シフトペダルを踏んで、推進器の出力を高める。スタートダッシュにもテクニックがある。
カウントダウンはあっという間にゼロになり、ペダルを思い切り踏み込んだ。
画面の中であっという間に一つ目のリングが近づき、縁をかすめるように通過。
次々とリングをパスして、我ながら惚れ惚れする、無駄のないコースで突き進んだ。
スラスターの出力さえも洗練され、最低限の姿勢制御でタイムを削っていく。
全部で三十五のリングを通過し、前方にゴールのリングが見える。これだけが黄金色に輝いている。
無意識に推進器は最大出力、ゴールに突き進む。
走り抜けて、ピーッと電子音が鳴る。
視線を走らせた先に今回のタイムが出ている。
青い文字だった。
青い文字は、レコードを更新しないと表示されない。
ワッと周囲で歓声が上がり、みんなが俺の肩を叩き、髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
こんな具合で、俺は小さな伝説になっていたわけだ。
この頃は、今の状況がずっと続くと、思っていたものだ。
呑気なことである。
(続く)
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