【ネタバレあり】日本沈没2020が何を描いたか考えてみたら思ったよりこの作品好きだわ自分

 ※この記事はNetflixで7/9に公開された「日本沈没2020」のネタバレを含みます。


 




 日本沈没2020を見ました。

自分は「傑作とは言えないけど胸に刺さる、大林映画のようなめちゃくちゃさとエネルギーが共存した作品」というのが第一印象だったのですが、世評がかなりひどいことになってきて、曰く


リアリティがない

災害ものじゃない

原作を無視してる

日本を沈めるとか反日だ

日本礼賛で右翼的だ


 ほかにも細かく突っ込みどころを列挙したブログがバズっていたり、なんというか昨今の世評である、


・リアル志向

・ツッコミ志向

・減点法志向


を強く感じることになったので、僕の言葉にどれだけの意味があるかは知りませんが自分の読み解きをここに書いていきたいと思います。ていうか書いてる途中にみたけどyoutubeのコメント欄ひどいな…。

(一応言っておきますがさきほどあげた志向はそれ自体読み方として必要な時もありますが、今回それをあてはめるだけでは見られないところがあるよねって話です)



 湯浅監督はこの作品で描きたかったのは「今の日本、日本人、あるいは人間、この世界のダメさをまずちゃんと受け入れて、その上で再生しようよ。それはきっとできるよ」ってことなんだと思っています。湯浅監督はあくまで「今の日本、今の私たち」を描きたかったのだというのが自分の理解です。


 この作品にはいくつもの「それ災害ものにいる?」っていう要素、あるいは今までの日本の災害ものでは書かれなかった、日本のステレオタイプには当てはまらないような描写があります。例をあげると


・物資を取り合う日本人たち

・不発弾で父親が死ぬ

・商店からの略奪と自己防衛する店主

・新興宗教

・なんか普通に大麻

・やたら強いyoutuber

・突然のサイファー(まあこれは湯浅監督の作風でしょうが)

・スポーツで有望ってことで優遇される歩

・国粋主義者による海外にルーツを持つ人間の拒否

・謎の洞窟への潜入

・最終的に再生した日本でのオリンピックで終わる


 などなど、書いててもすごいな。で、このあたりと災害描写が思っていたのと違うってことでさきほどの否定的な感想が沸き上がってるんだろうなぁと思います。これは災害ものとしてはおかしいだろと。でもよく考えたんですけど、今列挙した点、すでにこの日本であるものですよね?今回のコロナでもマスクの取り合いやスーパーでの買い占めもありましたし、不発弾が見つかるというニュースもたまにありますし、山にやたらでかい像のある新興宗教って知ってるものですし、最近の子どもの憧れはe-sportsやyoutuberだし(ただ最近これも時代遅れになりつつあるとか?)、スポーツが不当に優遇されてるなんてスポーツファンの自分でも思うことですし、排外主義だって残念だけどありふれたもの(この作品のトレーラーのコメント欄とかに)だし、そういえば川崎では公園でサイファーしてる姿普通に見るって本当なんですかね?と、基本的に歩が日本沈没からの逃避の旅で出会うものというのは、一見めちゃくちゃで脈絡ないようで日本にすでにあるもので構成されていると思います。それと出会うことで歩と視聴者は日本というものに強引に向き合わされるわけですね。

 では、震災というのはこの作品にとってどういう意味があるのかというのと、その普段向き合わずに済んでいる日本の(主に負の面)をさらけ出す役割を果たしているのだと思います。第二話で地震によって露出した不発弾で父親が死ぬというのがその典型であり、きっとこのシーンは日本はまだあの戦争の処理が終わってことの象徴なのかもと思います。そのうえで最後の新都によるオリンピック(とパラリンピック、パラリンピックという言葉が名言されていないのでもしかしたらこの世界ではオリンピックとパラリンピックが統一されているかもしれない)でそれぞれe-sportsと(ここのリーグオブレジェンド風のゲームはもっとちゃんとしてほしいとはちょっと思った)パラ陸上の選手となった剛と歩の姿で終わるということになっていきます。これが再生はきっとできるっていうことだと思います。この最後が復活したオリンピックっていうのは普段の自分ならしゃらくさいなとか思っちゃうし、自分ならこう書かないんですけど、ここと、アーカイブされた沈没前の日本の光景の映像たちにすごくエモーションを感じたのはこの作品の力だなぁと思いました。さらにいえば、この「災害によって日常の本質が晒される」というのは、実はすごく災害ものの作品としてまっとうなのではないかと思っています。この作品にはリアリティがないとみんなすぐいいますが、この作品が表現したリアリティはこういうことなのではないかと思います。


 もちろん、細かいところの考証は大事なことですし、この作品にここで問題がないということはありません。ただ、自分は創作の面白さってそこなのか?それはあくまで面白さの要素の一つでしかないのでは?という思いもあります。余談なのですが学生時代お世話になった先生が「読む」ということについて「雪国」の


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。


この文章って当時の時代とか時期を考証するとどこのトンネルかわかるらしいんですけど、「読むってそういうことじゃないだろ?」っていう講義を受けたことが強烈に残っています。


 だいぶとりとめのないけど、今のうちに書いておきたかったです。多分自分にとって湯浅監督は「Devilman crybaby」とこれしか見ていなくても自分にとってすごく合うクリエイターなのだと思いますしちょっと意地になっていることもありますが、ちょっと今の酷評の向きが全体的に納得いかなかったので。

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