第三話 莉生は二人だけで味わいたい

 郁ちゃんの部屋で『ママごはん』対決が開始して、すぐのこと。


 部屋を出た僕は、郁ちゃんの為に駅前のハンバーガーショップへと向かう。

 ちょっとだけ歩く速度を上げれば、往復四十分くらいで済む……かな?


「懐かしいなあ、この道」


 日が落ち始めた、午後の空。鼻を掠める春特有の柔らかな空気に、どこか懐かしさを感じてしまう。

 郁ちゃんの家から駅に繋がる大通りを歩きながら、僕はあの日のことを思い出す。


「昔……郁ちゃんと出逢ったのも、こんな季節だったっけ」


◇◇◇


「なあ。中学校って思ったよりつまらなさそうだよな」


 それは入学してすぐのこと。

 打ち解けている周りの同級生と違い、僕はクラスにまだ友達と呼べる存在が出来なくて、少しだけ学校に行くのが憂鬱だった。


 そんなある日。体育館で行われた新入生歓迎会の休み時間に、一人で体育座りをしながら時間が過ぎるのを漠然と待っていた僕に……「彼」が声をかけてくれた。


「え? そ、そうかな? まだ入ったばっかりなのに、どうしてそう思うの?」


 突然声をかけられて驚きつつも、変声期が来たばかりなのか、少しだけ不慣れな低い声音、幼さが混じっている。

 僕に尋ね返された「彼」は、溜息を吐きながら周囲を見回す。


「だって小学校より小さいぜ、この校舎。体育館もボロいし、何か臭いし。お前が通っていた小学校って、どこ? 俺は住宅街の中にある、通称「丘小」だけど」


「ええと……この中学校のすぐそばにあるよ。「橋小」って分かる?」


「ああ、あそこか! あの小学校とこの中学校って、同じ時期に出来たって聞いたよ。あの小学校も校舎が汚いよな。古本屋の本みたいな色になっているし」


 むっ。思い入れはあまり無いけど、母校を貶されるのはちょっと嫌だな。

 そんな僕の顔を見て、「彼」は楽しそうに笑うのだった。


「なんだ、そういう膨れっ面も出来るじゃないか」


「えっ? あ、あれ? もしかして顔に出ていた、かな……?」


 慌てて両頬を手で隠す僕に、相変わらず「彼」は笑顔のままで。


「ああ。さっきまで暗い顔をしていたけど、そっちの方がいいと思うぞ。あ、今更だけど俺の名前は分かるか? 一応、同じクラスだけど」


「わ、分かるよ! 久遠君……だよね」


「ああ! 久遠郁だ。よろしくな、莉生!」


 握手を求める「彼」は……郁ちゃんは、僕と違って明るくて、優しかった。

 握ったその手は春の陽気に負けないくらい温かくて、今でも忘れられない。


 中学生同士の馴れ初めなんかに、ドラマティックな展開はないけど。


 そんなありふれたやりとりをして、僕らは友達になった。


◇◇◇


 ある日。出会って二週間くらい経った放課後のこと。


 僕らは一緒に演劇部の体験入部に行って、その帰り道に駅前で遊ぶことにした。

 着慣れない制服姿のまま友達と遊ぶのは、何だかとてもドキドキしたのを覚えている。


「なあ、莉生。腹減ったよな? ハンバーガーでも食べないか?」


 隣を歩く郁ちゃんに提案されて、僕は何度も頷き返す。ハンバーガーは大好物だし、ご飯を食べるのも大好きだから。それに、友達と二人で買い食いするのも人生初だ!


「いいね! そういえば駅前に新しいお店が出来たらしいけど」


「ああ、知っているぞ。なあ、莉生。お前今いくら持っている?」


「え? 今月の友達料金を払えっていうこと?」


「ネガティブすぎる! 俺とお前の友情は永久不滅のプライスレスだろ?」


「プライスレス? 一円の価値も無い関係、なんて……ぐすっ」


「これどの選択肢選んでも積むバグ発生してない? そうじゃなくて!」


 郁ちゃんは制服のポケットから財布を取り出して、その中に一枚だけ入っていた千円札を取り出して僕に見せる。千円もあれば、買い食いには十分だと思うけど。


「最高級の味を、俺たち二人で試してみようぜ!」


 郁ちゃんの言い分はこうだ。


 新しいハンバーガーショップには期間限定で、『極上チーズバーガー』というメニューがある。他のバーガーは一個数百円だけど、そのバーガーはなんと一個二千円もするのだ。


 正直、チラシを見た時はこんなの誰が買うのだろうと思っていたけど。


「まさか僕が買うことになるとは……」


 郁ちゃんと二人でお店に入って、二人でお金を出し合って『極上チーズバーガー』を買い、近くにある公園のベンチでそれを食べる事にした。


 二人分の飲み物を買うお金も残らず、なんとか百円自販機でお水を一本だけ買う事が出来た。コーラが飲みたかったなあ。


「だけど楽しみだろう? どんな味がするか、さ!」


 隣に座る郁ちゃんの目はとても輝いている。たかがチーズバーガーなのに。だけど。


「うん……実はね、僕もすごく楽しみ。えへへ」


 食欲と興味には勝てないのだ。僕らは紙袋からゆっくり箱に入ったバーガーを取り出して、その封を開けてみた――。


 けれど。


「何だか……あれだね、久遠君」


「ああ……あれだな、莉生」


 二千円もする割にはパンが潰れているし、はみ出た野菜はベチャベチャ。ピクルスだけは無駄に多くて、別のお店で買える一個五百円のバーガーより安っぽい。


「まあ! 見た目はあれだけどさ! 腹が減っていると何でも美味そうだな!」


「久遠君。それ逆に言うとこの高いバーガーじゃなくてもいいっていうことだよね?」


 郁ちゃんは僕の言葉を無視して(ひどい)、お手拭きで手を綺麗にしてからバーガーを掴む。


「じゃあ、これを上手く分けるか。なんて言っても二千円だからな!」


 それから、ゆっくりと半分にしようとしたけれど。


「あっ」


 二人して声を漏らしてしまったのは、バーガーが力を入れた瞬間に崩れたからだ。

 それでも無理に千切ったせいで、上手く半分こする事が出来なくて。

 やけに大きいバーガーと、その断片みたいなバーガーが出来てしまった。


「久遠君、僕あんまりお腹減っていないから君が大きい方を……ああっ!」


 郁ちゃんの失敗をフォローするように、僕が遠慮してみせた瞬間。

 何も言わずに郁ちゃんは小さな方を口に突っ込んで、大きなバーガーを僕に手渡した。


「うん! 高い金を出した甲斐がある味……かな! 良く分からないけど、莉生も食べてみろよ!」


「えっと……う、うん」


 その優しさを押し付けるわけでも、恩着せがましく何を言うでもなく。

 郁ちゃんに差し出されたバーガーを口にして、僕は思わず感嘆の声を漏らす。


「わぁっ……! お、美味しい! すごく美味しいね、久遠君!」


 何故だか分からないけれど、そのバーガーは今まで食べたどんな料理よりも美味しく感じて、食べはじめたらもう手が止まる事は無かった。


 ううん。今だから分かる。あれはきっと、バーガーが特別美味しかったわけじゃない。


 郁ちゃんと二人で食べたから。

 郁ちゃんが僕に、何の見返りも求めない純粋な心遣いをしてくれたから。


 それが嬉しくて。今でもあの味を『特別』に感じるし、忘れられないのだろう。


「あはは。美味かっただろ、莉生? 二千円の価値があるかは分からないけどな!」


 食べ終えた後、僕に聞いて来る郁ちゃんの顔はとても清々しくて。

 夕陽に照らされたその顔が、今でも心の奥で大切な思い出として残っている。


「プライスレス、だよね?」


「んぁ? 何の話だ?」


 間の抜けた声を出す郁ちゃんが、なんだかおかしくて。笑いながら僕は続けた。


「今日の思い出と、僕たちの友情はお金じゃ買えないよ。そうだよね? 郁ちゃん!」


「……ようやく名前で呼んでくれたな、莉生」


 春の夕陽と同じくらい、郁ちゃんの笑顔は暖かく輝いていて胸が熱くなった。

 今でも明確に覚えているよ、郁ちゃん。


 間違いなく、僕はあの瞬間に――。


「……ふふふ。懐かしいな」


 思い出を懐古していると、気付けばもう駅前に到着していた。

 夕方の割にはレジを待つ人は少ない。これならすぐアパートに戻れそうだ。


 だけどね、郁ちゃん。

 僕が君を出会ってすぐに名前で呼べなかったのは、「もう一つの理由」があったの。


 きっと、君は「今」でも気づいてないかもしれないけど……僕からは言わないからね! 郁ちゃんが気付くまで、ずっと待ってあげる。


◇◇◇


「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ!」


 店員さんに促されながら、僕は数年ぶりにあのメニューを指差す。


「極上チーズバーガーを一つ、お願いします」


 店員さんは百点満点の笑みを浮かべ、そのまま会計を終わらせる。


 それからすぐに、高いメニューのはずなのに大した待ち時間も無くバーガーの入った紙袋を手渡される。僕はそれを両手で大切に抱きかかえて、走る事にした。


 大切な人が。


 大好きな君が。


 僕を待っていてくれているから。


「ふへへ。郁ちゃん、喜んでくれるといいな!」


 少し先の未来で、今よりもっと一緒に笑い合えることを願って。


 いつだって僕は並んで歩いて行きたい。


 一秒でも長く、傍に居たい。だから一秒でも早く、帰りたい。


 大好きな郁ちゃんの、その隣にいつまでも居たいから。

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