●せかむす裏語り●

第一話 私とお父様の甘すぎる日!

「そういえば、お父様は今年誰かからチョコレートを貰いましたか?」


 凜々花の家にお泊りした翌日。

 現実逃避の為に燈華と共に家に引き籠ってゲームをしていると、唐突に聞かれる。


「いきなりどうした? チョコを食べているわけでもないのに」


「ふふふ。燈華ちゃんは細かい気配りが出来る女なので、テレビの横にある『それ』を見逃さなかったのですよ! 十四日に赤い丸を付けちゃってぇ。モテモテじゃないですか」


 燈華が指差した先にあるのは、テレビ台に置いた卓上カレンダーだ。

 気付けば三月のまま、捲り忘れていたな。元々忘れがちなのだが、四月は特に燈華が来たこともあって、慌ただしい毎日だったから気付けなかった。


「ああ……あれか。ホワイトデーにお返しをしないといけなかったからな」


「ほうほう! ちなみに、何個くらいチョコを貰ったのですか!」


「ええっと、確かエリ姉からマカロンと、凜々花からカップケーキだろ。莉生はまあ例外だけど、一応チョコレートキャンディを貰ったよ。それともう一人」


「ふむふむ。ママ候補の三人は想定内……え? も、もう一人居るのですか?」


「ああ。後輩の女の子からチョコを百八個貰った」


「え? なんですか、そのクレイジーな後輩は」


 燈華は思わぬ答えにちょっと引いているが、これは俺の説明が悪かった。


「一個十円の駄菓子のチョコを詰め合わせたものだよ。その子、高校受験直前だったから百八個を煩悩に例えて『受験に備えて、私の煩悩を食べて欲しいです』って言われて渡されたのさ」


「ほほう。それで? お父様は受け取ったのですか? お返しはしました?」


「……あっ」


 受け取ったけど、お返しをするのをすっかり忘れてしまっていた。

 他の三人とは顔を合わせる機会が多いし、催促されることもあったからちゃんと当日に返したけど。あれ? 今思ったけど莉生に返す必要無いよね? あれれ?


「参ったな。高校入学祝いと合わせてプレゼントするつもりだったけど、燈華が来てから忙しくて忘れちゃっていたよ」


「むぅ。娘のせいにしないでくれますかね! いいんですか? 始めちゃいますよ、反抗期」


「反抗期が始まるとどうなる?」


「知らないのですか? 万引き、不法侵入、器物損壊何でもやりますよ?」


「反抗は反抗でも、まさかの犯行……!」


 燈華は俺に対して、「冗談です」と小さく舌を出して笑う。こんな可愛い娘が非行に走ったら正直泣いてしまうだろうな。


「えへへ。せいぜいお父様を無視するくらいですよ、私の反抗期!」


「お父様にとってシンプルだけど一番つらいやつぅ! え? ていうか、本当にそんな反抗期があったの?」


「さて、どうでしょう? 物語の進行とエンディングは君次第で変わっていくぞ! 結末は自分の目で確かめよう!」


「ノベルゲームのキャッチコピーみたいなことを言うな」


 だけど燈華の未来や成長過程は、本当に俺自身の手に委ねられているわけで。

 そう思うと何だか不思議だ。目の前の娘を見る限り、しっかり育ったと思う……けど。


「それより、お父様! ママ候補の三人からは貰う時に、どんな台詞やシチュエーションだったのか教えてくださいよ!」


「……別にいいけど、特に面白くはないぞ? じゃあ、まずはエリ姉から」


◇◇◇


 エリ姉からは登校前の朝に、わざわざ部屋に来てくれた。


「はい、いーちゃん。今年もお姉さんからのプレゼントです!」


 まだ寒い時期ということもあり、暖かそうなダウンコートを羽織ったエリ姉は、鼻先を少し赤くしながらアパートの玄関先で俺に小包を渡してくれる。

 昨晩は夜更かししていたのか、何だか目も少し充血気味だ。


「いつもありがとう、エリ姉。今日はあんまり寝ていないの? 目が赤いよ?」


「そ、そう? お姉さん、こういう特別な日の前日はワクワクして寝られないの。相手が喜んでくれるかなって、ずっと考えていたら……朝になっちゃった!」


「そんなに考えなくても喜ぶに決まっているじゃないか。俺はあんまりこういう物を貰わないから、すごく嬉しいよ。エリ姉と凜々花だけだな、毎年くれるのは」


「……あのね、いーちゃん」


 凜々花の名前を出した途端、何故だかエリ姉の顔が少し不機嫌な感じになった。

 それから一歩距離を詰めて、お互いの鼻先が当たりそうなほど顔が近付き、不覚にも胸が高鳴ってしまう。


「せっかくお姉さんが! 可愛い近所の高校生の為に! 朝から! 一番のりで! 毎年こうやって! 贈り物をする理由、分かりますかね!」


 一つ一つ言葉を区切り強調するエリ姉の圧に、俺は思わず後ずさろうとするが――。


「う、わっ!」


 足がもつれて、その場に尻もちをついてしまった、ゆっくり倒れたので痛みは無かったけれど、自然とエリ姉を見上げる形になってしまう。


「……はぁ。毎年朝早くプレゼントしているのに、いーちゃんはそれを当たり前のように、特別感も無く受け取っていたのかな。お姉さんは残念です」


「いや、そういうわけじゃないよ! 人生で初めてバレンタインにプレゼントをしてくれたのはエリ姉だし、そういう意味では特別」


「え? そうなの?」


 俺の言葉を遮るようにして、エリ姉がその場にしゃがみこんで俺の顔を覗きこむ。

 その大きな目の奥には、何故だか期待の色が浮かんでいるように見えた。


「私がいーちゃんの、はじめてなの?」


「えっと、そうだけど? 凜々花から貰ったのは小学校に上がってからだし」


「そ、そうなの。そっか。私が最初……いーちゃんの、はじめてだったのかぁ。てっきり、凜々花ちゃんに先を越されたかと思っていたのに。ふ、ふふっ」


 エリ姉は何だか機嫌を良くして、そのまま立ち上がって俺の頭を撫でた。

 相変わらずの子ども扱いだ。だけどその手つきが……忘れかけている母さんのそれとよく似ているから、拒絶する気が起きない。


「よし。今の言葉でエリ姉さんはお腹いっぱいです! ぶっちゃけ大学はサボろうと思っていたけど頑張って行こうと思います! それじゃあ、いーちゃん!」


 エリ姉は俺の頭から手を離す。少しだけ名残惜しかったのは内緒だ。


「私があげたマカロン、大切に食べてね! 形はあれだけど、手作りだから!」


 そのままアパートの外階段を下りて、軽快な足取りでエリ姉は向かいにある自宅マンションへと戻って行った。

 その背中を見送った俺は、部屋に戻って包みを解いてからマカロンを口にする。


「……うん。当たり前だけど、すごく甘いな」


 チョコ風味のマカロンは初めて食べたけど、とっても美味しかったのを覚えている。


◇◇◇


「郁ちゃん。これをあげるね!」


 登校して教室に入ると、俺の席にやって来た莉生が飴を差し出した。

 何の変哲もない、コンビニに売っている棒付きのキャンディだ。


「ああ、ありがとう。チョコフレーバーか……珍しいな。期間限定の味か?」


「うん。だってほら、今日はバレンタインデーだからね。男子がそわそわしていて、何だかとっても面白いよ」


「俺もお前も男子だろうが。って……まさか、お前。これを俺にあげたのはお返しが目当てか?」


「えへへー。ばれちゃった? 僕と郁ちゃんの関係なら、これくらいがいいかな、って。お菓子作りは得意だけど、はりきりすぎても逆に悪いかな、って」


 確かに同性から手作りお菓子を貰うと別の意味で緊張するけども。

 まあ、莉生からは何もない日でも手作りお菓子を貰っているし、今更だ。そういう意味でも今度お返しをしてあげようかな。


「僕にとって郁ちゃんは、そのキャンディみたいなものだからね」


「……うん? 意味が分からないが、どういうことだ?」


 首を傾げる俺に対して、莉生は優しく微笑み返す。


「チョコよりも溶けにくい関係、ってことかな」


「なるほど、全然分からん。お前の言葉は詩的すぎる」


「もう! 郁ちゃんは鈍感すぎるよぉ! まあ、それも郁ちゃんらしくていいけど。それより、今日は他の人からチョコを貰った?」


「エリ姉から貰えたくらい、かな。莉生は?」


「あー、毎年恒例だよね、エリ姉のお菓子。僕は登校中に男女問わず色んな人からプレゼントされたけど、全部断ったよ。返せる余裕も無いからね」


 さらっとすごい事を言っていやがるが、これも莉生にとっては毎年恒例だ。

 莉生の性別を知ってか知らずか、中学時代からたくさんの人が莉生の元へやってくる。


「僕は名前も顔も良く知らない誰かに貰ったり、あげたりして一喜一憂する日よりも、こうやって……郁ちゃんと一緒に居られる普通の日が一番好きだな」


 莉生の台詞はきっと、一切嘘偽りの無い言葉なのだと思う。

 そうじゃなかったら、こんな満面の笑みを浮かべられるわけがないからな。


◇◇◇


「あなたが落としたのはこの金の小包ですか? 銀の小包ですか?」


 放課後。下校しようとしている俺の前に現れたのは、両手に金と銀の包みを持ったスズメバチヘアの幼馴染だった。

 莉生に助けを求めようとしたのだが、委員会の仕事で一足先に教室を出てしまっていた後だった。仕方ない、相手をしてやるか。


「いえ、どちらも落としていません」


「なるほど。正直者にはこの美しい幼馴染を差し上げましょう。返品は不可です。ノークレームノーリターンでお願いします」


「勝手に押し付けた上にとんでもない要求まで付随してきたぞ。で? 何か用事ですか凜々花さん?」


 俺が通学用鞄に教科書とノートを詰めながら尋ねると、凜々花は深い溜息を吐く。


「はぁ……今日が何の日か知っているでしょう? 私の誕生日でしょ?」


「お前のすごいところって、会話の流れで違和感なく嘘を吐くことだよな。五月生まれだからまだ先だろう?」


「た、誕生日をしっかり覚えてもらっているとそれはそれで照れるわね!」


 自分で言いだしたのに照れているよ、俺の幼馴染。ていうか、毎年プレゼントを催促されたら誰だって覚えるからな?


「それはさておき、バレンタインデーだろ? 今年もくれるのか?」


「ええ。あなたの為だけに、私は毎年愛をこめて作っているから」


 凜々花の思わぬ不意打ちに、否応なしに顔が赤くなったのを自覚してしまう。

 それを見た凜々花は口元に嫌らしい笑みを浮かべてくる。しまった……!


「あれあれ? 照れちゃった? またふざけたことでも言うのかと思っていたら、予想外の返しに困惑しちゃった? うふふ。私の幼馴染、ピュアすぎて可愛い!」


「うるさいな……からかうならいらないぞ。エリ姉と莉生から貰えたし、お返しが増えても大変だからな」


「あぁん、もう。拗ねないでよ。毎年あげているのだから、今年もちゃんとあげるわよ。それに……あなたの「最初」を取られちゃったなら、せめて「最後」にはなりたいし」


 凜々花は意味深なことを言いながら、俺の手に二つの包みを載せる。

 結構重いな。中身は一体何だろうか?


「今年はカップケーキにしたの。妹の梨華も好きだからね、それ。ちなみに、エリ姉からは何を貰ったの?」


「エリ姉からはマカロンを貰ったよ。莉生からは飴だけど」


 マカロン、という言葉を聞いた瞬間に凜々花の表情が一瞬だけ曇った気がしたが。

 すぐにまたいつもの笑みを浮かべて、俺に渡した包みを指差す。


「それ、パインとココア味ね。黄色と黒色で、私のイメージカラーなの。つまり! これは私のことを美味しく召し上がるようなものね! 優しく食べて……ね?」


「上目遣いで言われても全く萌えない台詞だって自覚ある? 優しく食べるかはともかく、ちゃんといただくよ。毎年ありがとう、凜々花」


 お礼を言われた凜々花は、頬を赤らめて「うへへ」と笑いながら緩んだ口元を手で隠す。いつも同じ反応をする幼馴染は、正直ちょっとだけ可愛く見える。本人には絶対言わないけど。


◇◇◇


 いつもの三人に貰う、いつものバレンタインデー。

 これが俺にとって、ずっと変わらない二月十四日だ。


「……え? 私のお父様はアホなのですか?」


 話を聞き終えた燈華は、信じられない物を見るような目を俺に向けてくる。

 あれ? お父様、今の話で何かアホだったところある?


「な、なんで? 何かおかしかったか、俺?」


「……そう、ですか。お父様は知らないようですね。アホは撤回しましょう。知識不足なだけですから。いいですか、お父様? よく聞いてくださいね」


 燈華に諭されながら、俺は握っていたゲームのコントローラーを床に置いて正座する。


「バレンタインデーの贈り物には、それぞれ意味があるのです」


「意味? 花言葉みたいに、裏があるっていうことか?」


「そうです! お父様が三人から貰った物は、ですね」


 マカロンには「本命の人」という意味が。

 キャンディには「もっと長く、一緒に居たい」という意味が。

 カップケーキにも「特別な人」という意味が、それぞれあるのです。


「つまりですね、お父様はママ候補の三人から、明確な想いを託されているわけですよ。まあ、三人がそれを意識していたかは不明ですが!」


「……ま、全く気付けなかった。そっか、そういう特別な日。だよな」


 エリ姉と凜々花の真意は分からないけれど、もしそれが本当だとしたら。

 何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だけど二か月前、それに気付けていたら何かを出来たかと言われれば分からないけれど。

 だって俺は、燈華がやってきてくれたからこそ、ようやくこの胸の中に――。


「では、お父様に問題です!」


 燈華はそう言って、いつの間にか封を開けていたきのこの形をしたお菓子を俺の口に近付ける。


「このいつでも買える安いお菓子には、どんな意味が込められているでしょうか?」


「……変わらない、普段通りの日常?」


「正解です! では、ご褒美に食べていいですよ! あーん」


 燈華の手で口に入れられたお菓子は、昔からずっと変わらない優しい甘さだ。

 普段通りの日常、か。燈華が来る前の日々とは、ずいぶん変わってしまったけれど。


「ちなみに、燈華は二か月前、未来で俺にチョコをあげたのか?」


「ふっふっふ。内緒です! だけどお父様がこのまま素敵に成長すれば、きっと」


 世界一可愛い娘が、チョコレートをあげますよ!

 幸せそうに言う燈華の頭を、思わず優しく撫でながら。


 この愛娘との日常が、もう少しだけ変わらずに続くことを祈った。

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