12月19日 あの日の星に、ねがいを!


「はい、燈華。温かいココアだぞ」


 寒い冬の日、その深夜。私とお父様は二階の書斎からベランダに出て、満天の星を眺めていました。

 今日はナントカの流星群が見られる日らしく、明日が休みということもあって私たち親子は三人で流れ星を見ていたのですが。


「ありがとうございます、お父様! ママはもうおやすみですか?」


「ああ。身体を温める為にお風呂に入ったら、眠くなったみたいだ。リビングで寝ていたから、寝室に運んであげたよ」


「ひゅー! お父様、素敵です! お二人の関係はまるで織姫と彦星様ですね!」


「年に一回しか会えないじゃん……離婚した夫婦でも子供のためにもう少し顔を合わせると思うぞ」


「私が天の川となって二人の逢瀬を演出しようではありませんか!」


「天の川はむしろ、七夕伝説では二人を隔てる川なんだけどね?」


 お父様はベランダに置いた折り畳みの椅子に座り、持ってきたココアを飲みます。

 私もその隣に座って、深い紺色の空に輝く、飛沫のような星々を見上げて流れ星を探してみます、けど。


「流れ星は探していると見つからないものですよねえ。ちなみにお父様は、今までこうやって流星群の観測をしたことはあるのですか?」


「ああ。確か……高校一年生の頃かな。ママは居ないよな?」


 お父様は背後の書斎を一瞥し、誰の気配も無いことを確認してから話を続けます。ママに聞かれたらマズい話なのでしょうか?


「ちょっと恥ずかしい思い出だから、燈華にだけ聞かせてやろう。いつものように、な」


◇◇◇


「お姉さんと星を見に行きましょう! 今日は流星群が見えるそうです!」


 高校一年生の冬。思い出せばあの日も寒い夜だった。

 俺のアパートに突然やってきたエリ姉は、そんな事を言いながらノックもせずに思春期男子の部屋に上がり込んできた。

 ロングコートのマフラーを巻いていて、やけに厚着なのが気になる。


「いや、いいよ。それにさ、エリ姉。星ならここからでも見えるだろう?」


「え? 私のこと? えへへ! 確かにお姉さんはいーちゃんにとって、キラキラした存在かもしれないけど! 星と同列に語られると……照れちゃうね? うへへ!」


「いや、違うよ? アパートの窓からも見えるよ、っていう話だよ?」


 何故か勘違いをして悶えているエリ姉を尻目に、俺は部屋の窓を開けてそこから顔を出して夜空を眺める。

 まあ……見えないことはない。暗い空にいくつかの光る点が確認出来る。星座とかはよく分からないけど。光っているなら星だろう、多分。


「ふむ。いーちゃんは本物の星を見たこと無いようだね?」


 エリ姉はお姉さんぶって、自信満々の顔を俺に見せつけてきた。


「その言い方だと、エリ姉は本物の星とやらを見たことがあるみたいだね?」


「うん。スペースシャトルの窓から見る地球は青かったよ」


「すごい! このお姉さん、日常会話に一切の躊躇いなく嘘を混ぜ込んできた!」


「宇宙食も食べたことあるよ! 何かこう……液状の何かを! 味が薄かったなー!」


「宇宙食が流動食だったのは五十年近く前の話だよ、エリ姉。今何歳なのさ……」


 実際、輸入品のお店や科学博物館に行くと宇宙食が買えたりするけども。流動食のものはデザート以外殆ど無かったはず。


「えー? いーちゃん、私の年齢忘れたの? 今年で十八だよ? そしてこれからもずっと十八歳なの」


「今日のエリ姉、嘘を重ねすぎてミルフィーユみたいになっているけど大丈夫かな? おまけに年齢が下がって成長しない呪いまで付与されているし」


 小首を傾げて自分の年齢を偽るエリ姉は可愛いけども。さっきから重ねている嘘はあんまり可愛くないから困る。


「それはさておき! いーちゃん、今日はお姉さんがいいところに連れていってあげるから! ほらほら、部屋着のままでいいから行こうよ!」


 無理やり話を打ち切ったエリ姉は、俺の手を取ってとてつもない力で引っ張る。エリ姉という星の引力に、俺の身体が吸い寄せられている……っ!


「わ、分かったから! せめてジャケットくらいは羽織らせてよ!」


「わーい! 何だかんだお姉さんに付き合ってくれるいーちゃん大好き!」


 その言葉に一瞬だけ胸が高鳴ったけど、エリ姉の『好き』はそういう好きじゃない。

 構ってくれる相手に対する、純粋な喜びを表わしているだけだ。


「それで……どこに行くの、エリ姉? もう夜も結構遅いから、バスや電車で遠出も出来ないけど」


 上着を選んでいる間、先に玄関で待つエリ姉に聞いてみる。

 すると、エリ姉はコートのポケットから銀色のキーホルダーを取り出す。

 そしてそのリングには、一本の鍵がぶら下がっていて――。


「お姉さん、レンタカーを用意しました!」


 喜色満面の笑みで答えるエリ姉とは対照的に、俺の顔は青白かっただろう。


「……今日は俺がお星さまになる日、か」


 エリ姉の運転は上手くない。いや、もっと悪い言い方をすればド下手だ。

 急発進に急ブレーキ、突然の進路変更など珍しくない。法定速度こそ守っているけど、一つ一つのアクションが非常に恐ろしい。怖い! 誰か助けて欲しい!


「いやあ、何とか到着したね!」


 ずっと目を瞑って車が目的地に辿り着くのを待っていた俺は、エリ姉の声でようやく目を開く。なるほど。やっと現在地を把握することが出来たぞ。


「ここは……高校近くの自然公園だね」


 体感時間的には三時間くらい地獄を味わっていたような気がするのだが、実際はニ十分も乗っていなかったようだ。

 ここは閑静な住宅街の近くにある大きな公園で、日中は散歩をしている人や、公園内にある球技用コート、体育館、遊具などを利用する人で溢れている。


「この時間は流石に人が居ないね。どこまで行くの?」


 エリ姉は駐車場に停めた車をロックしてから、施設が密集している方とは反対側を指差す。


「向こうの池の方! あっちは明かりが少なくて、人も居ないから!」


「……エリ姉。未成年に手を出したら犯罪だよ?」


「た、確かに今の言い方はちょっと怪しかったけども! お姉さんは常識と良識を原動力に動いているから大丈夫です!」


 さっき非常識な運転を見せてくれたけどね。とは言うまい。

 エリ姉は少し早歩きで、目的の方向へと向かっていく。


 俺は慌ててその横に並んで、やけに静かな公園を二人で進む。しばらく二人で黙々と歩き続けていると、エリ姉が突然足を止めて薄闇の中に目を凝らした。


「お……? 良かった。今日は誰も居ないみたい!」


 そう言ってエリ姉が駆けて行ったのは、大きな池の近くにある、屋根の付いた二人掛けのベンチだった。座ればちょうど池の全景を見渡せるだろう。


「ほら、いーちゃん。二人で座ろうよ」


 先にベンチに座ったエリ姉に催促されて、俺もその隣に腰をかける。

 木製のベンチとはいえ、この時間はジャージ越しでも冷たさが伝わってきて辛い!


「あ、寒かった? そんなこともあろうかと、お姉さんはこれを用意してきたのです」


 エリ姉は肩にかけていた、羊のプリントが入ったトートバックからブランケットを取り出す。二人の膝がちょうど隠れる、中々大きいサイズだ。


「ありがとう、エリ姉。自販機で温かい飲み物でも買ってこようか?」


「ううん。ちゃんとお姉さんが紅茶を淹れてきたから!」


 そう言ってエリ姉は続けざまにトートバッグから保温ボトルを取り出す。

 フタと飲み口が一体になっているタイプらしく、エリ姉はプッシュボタンを押して俺に保温ボトルを手渡してくれた。


「はい、どうぞ! 熱いから気を付けてね?」


 一口飲んでみると、ほんのりと甘いアップルティーのようだった。紅茶本来の風味を消さない程度に、ちゃんと味が分かる絶妙な甘さだ。


「美味しいよ、エリ姉。あ、ごめん……俺が先に飲んだら、飲み口が汚れちゃうよな」

 エリ姉は俺からボトルを受け取って、からかうように微笑んでみせる。


「あ、間接キスで照れているのかな? そんなの今更気にしないよー。お姉さんは経験豊富なのです。うふふ……ふ、ふふっ。でもお姉さんは喉乾いてないから後にするね?」


 口を付けようとして、だけど止めて。みたいな動作を素早く三回くらい繰り返して諦めたぞ、このお姉さん。ピュアすぎるだろう。


 普段、莉生や凜々花とは普通に回し飲みしているから、何だかこっちまで恥ずかしい。


「あ! いーちゃん、流れ星!」


 そんなことを考えていると、エリ姉が唐突に空を指差した。


「え? ど、どこ?」


「いーちゃんから見て右! また流れた! 願い事言わないと! 単位単位単位!」


「それ多分教授の前で唱えた方が効果あるよ?」


 それから俺たちは他愛のないやりとりを交えながら、いくつもの流れ星を見つけた。

 気付けばあっという間に時間は過ぎていて、間もなく公園駐車場が完全に封鎖される時間になる頃。


「私ね、高校生の頃ここに来るのが夢だったの」


 エリ姉が思い出を語り始める。何年も前に、自分が高校生だった頃の日々を。


「友達の女の子がね、ここで彼氏と……その時はまだ彼氏になる前だったかな? 仲のいい男の子と二人で、寒空の下で星を眺めながらお喋りをしたみたいで」


 ブランケットの下でもぞもぞと手を動かしながら、エリ姉は話を続ける。


「帰りには二人とも想いを告げて、手を繋いで帰ったって聞いて……羨ましかった。ロマンチックなやりとりが素敵で、憧れで、私がずっと叶えたい願いだった……」


「その願いは、高校生の間に叶えられなかったの?」


 俺が尋ねると、エリ姉は小さく笑って「ダメだったよ」と呟く、


「だって私の好きな相手が、高校には居なかったから! だから今日、こうやっていーちゃんと一緒に来られて……ようやく願いが叶った、かな。うん、きっとそうだね!」


 ベンチから立ち上がって、エリ姉は無数の星が輝く夜空を眺める。

 その目は遠い過去を見ているのかもしれない。


 少しだけ寂しげでもありながら……だけど、何故だか楽しそうな感じもあって。

 俺の目に映るエリ姉は頭上の星よりも、比べ物にならないほどにキラキラしていた。


「付き合ってくれてありがとう、いーちゃん。さて、帰ろうか!」


「……俺も星に一つだけ願うなら、さ」


 ブランケットをしまうエリ姉を見つめながら、俺は今日初めて、流れ星に願いを託す。


「これからもエリ姉と変わらない日々を過ごしたいよ。今日みたいな時間が、ずっと続いて欲しい」


 エリ姉は俺の言葉を聞いて、満月のように目を丸く見開いてから笑ってくれた。

 それから変な笑い声を漏らしながら、帰り支度を終えて歩き出す。


「へ、へへっ。うへへ! その願い、私も叶って欲しいと思う! よし! それじゃあお姉さんの運転で、楽しく帰りますか! あ。良かったら駐車場まで手を繋ぐ?」


「もう一つだけ願いごとを言ってもいいかな?」


「なあに? いやらしいことはダメだからね! ね?」


「……エリ姉の運転技術が向上しますように」


 俺の言葉にエリ姉は目を逸らす。夜空を見ていた時はあんなに目を凝らしていたのに。

 帰り道は、しっかりと周りを良く見て安全運転でお願いしますよ、エリ姉。


◇◇◇


 気付けば私は、ベッドの上で目が覚めました。

 うーむ……どうやらお父様のお話を聞いている間に、眠ってしまったようです。


「今は何時ですかね……あれ? お父様からメッセージが来ています。画像も?」


 時間を確認するために携帯電話を起動すると、時間よりも先にお父様から送られてきた画像データが目に入りました。

 そのデータを開いてみて、私は思わず笑ってしまいます。


「もう、お父様ったら! 相変わらず私のことが大好きですねえ! えへへ!」


 その画像は昨晩の私の寝顔で、メッセージにはこう書かれていました。



 生まれてからずっと、燈華は俺とママの一番星だよ。


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