12月13日 謎は謎のママで!


「酷い目に遭った……」


 祝日前の日曜日。


 ある場所から帰って来たお父様が、とても疲れた様子でコートを脱ぎながらリビングに入ってきます。

 お留守番をしていた燈華ちゃんが、そんなお父様にコーヒーを振舞ってあげましょう!


「おかえりなさい、お父様! コーヒーにしますか? それとも苦汁を舐めますか?」


「お父様に対して提示する選択肢が極端すぎない? じゃあ試しに苦汁で」


「では屈辱的な体験をさせてあげます! そうですね……明日からお父様と一緒のお布団で寝るのは止めます。加齢臭が移ったら最悪ですからね」


「割とショックな内容だった。というか、もう一緒のお布団で寝てないだろ?」


 お父様は笑いながら、私が淹れたインスタントコーヒーを啜ります。「苦い……」と呟くお父様を見て、砂糖を入れるのを忘れた事に気付きました。


「まさか本当に苦い汁をお父様に提供してしまうとは……」


「上手い事を言った風な顔で俺を見るな。後でママが帰ってきたら、同じように温かい飲み物を出してあげてくれ」


「そういえば、お父様。今日は飲み会のはずでは? 随分早かったですね?」


 私の言葉に、お父様はマグカップを置いて溜息を吐きます。遠い目をしているのは何故でしょうかね……?


「そうだな。今日はあの三人が集まるっていうから、顔を出すのも兼ねて遅れて行ってきたはいいものの、後悔したぞ。先に出来上がったあいつらにウザい絡み方をされた」


「へえー。具体的にはどんな会話をしたのですか?」


「その会話が怖かったから、帰って来た」


「え? え? ど、どういうことですか?」


 お父様はそう言ってリビングの入り口に飾られた、高校の卒業写真を眺めます。

 そこに映っているのは、若かりし頃のお父様と、大切な人たちです。


「昔、あの三人に【なぞなぞ】を出した事があってさ。とても簡単なやつだ」


「ふむふむ。パンはパンでも、食べられないパンは何でしょうか! みたいなやつですよね?」


「そうそう。今日、話の流れでそれを思い出した三人にもう一度なぞなぞを出すように要求されて、昔と同じものを出してあげたんだ。あの酔っ払いどもに。そうしたら……」


 お父様は私の目を見つめます。まるで、何か特別な体験を語り聞かせるように。


「全員が……昔と全く変わらない答えを返してきた。本当に怖かったよ」


◇◇◇


 高校二年生のある日。これは別に何か大きなイベントがあったとか、そういった非日常的なイベントが一切起きない、放課後のことだった。


 俺と莉生は二人でダラダラとハンバーガーショップでシェイクとポテトを頼んで、人が殆ど居ない店内で雑談をしていた。とても平和な、ありふれた日常の一コマ。


「ねえ、郁ちゃん。これ見てよ」


 突然莉生が、トレイに載った宣伝用ペーパーを取り出して俺に見せつけてきた。


「ん? アルバイト募集……? ここで働きたいのか、莉生? やってみろ」


「いらっしゃいませ! お持ち帰りですか? 店内でお召し上がりですか?」

 ノリ良く返してきた莉生にちょっと笑いながら、俺はこのコントに付き合うことにしてあげる。


「えっと、持ち帰りでお願いします」


「お、お持ち帰りですか? じゃあ、僕……バイト終わるのが夜の九時だから、それまで待っていてくれる? その後はお部屋で、ね?」


「顔を赤らめて言ってくれるのは可愛くて非常によろしいけど、そもそもイート出来ないだろ、俺とお前だと。じゃあ持ち帰りは止めだ。店内で食べていきます」


「て、店内で! 大胆ですね、お客様。三階の角の席は監視カメラに映らないので、そちらにどうぞ? 番号札を持って、アツアツの僕のことをお待ちください……」


「ねえ。この店風営法に引っ掛かってない? あと、今日のお前すごくノリノリだな」


 俺が突っ込むと、莉生は「ふへへ」と楽しそうに笑う。何かいいことでもあったのか?


「だって郁ちゃんと二人で遊ぶの、久しぶりだから! 楽しくなっちゃって!」


「ああ、そういうことか。最近はテスト前で忙しかったからな」


「そうそう! って、そうじゃなくて。僕が見せたかったのはこっちだよ」


 莉生はもう一度ペーパーを見せながら、ある場所を指差す。


 そこに書いてあったのは、子供向けのなぞなぞだった。二つ書かれているが、どちらも簡単なものだった。

 親子連れでの利用が多いチェーンだし、そういった層に向けたものだろうか。


「あー、なるほど。懐かしいな。それで? まさかこのなぞなぞで遊ぼうとか言いださないよな?」


「僕はそんなに子供じゃないよう! だけどいい遊び方を思いついてさ!」


 莉生は悪戯っぽく笑い、スマホを取り出してトークアプリを起動する。


「エリ姉と凜々花ちゃんにそれぞれ出題して、どっちが正解出来るか賭けない? 負けた方はソフトクリーム奢りね!」


「子供か、お前は。じゃあ俺はエリ姉に一票。お前は凜々花でいいな?」


「もう僕の負けが確定しているよね、これ。でも遊びだし、凜々花ちゃんを信じよう!」


 莉生はスマホを操作して、『下ネタ言いたガール』という名前をタップする。え?


「待て。お前凜々花のこと、そんな名前で登録しているの?」


「それより郁ちゃん、凜々花ちゃんには二つのうち、どっちを出題しようか?」


「あ、えっと……一つ目の問題にするか」


「おっけー! じゃあ郁ちゃんが出題してあげて? 僕が聞くよりはいいと思うから」


 登録名の件は上手くはぐらかされてしまった。莉生の闇を感じた瞬間だったのに。

 そして電話が繋がった途端、莉生は俺にスマホを手渡してくる。


『はい、もしもし……?』


 凜々花の声を聞く限り、突然の着信に戸惑っているようだった。それもそうだろう。

 俺は軽く咳払いをして、下ネタ言いたガールになぞなぞを出題する。


「問題です」


『え? 郁? なんでぇ? 何これ?』


「パンはパンでも、食べられないパンってなーんだ?」


『それはもちろん、パンテ』


「これは独り言だけど、俺の幼馴染はパンティーに逃げない素敵な女の子です」


 ふざけた解答に逃がさないため、俺は何かを言いかけた凜々花を遮って予防策を張る。凜々花が変な事を言い出した時点で俺の勝ちは確定するのだが、少しくらいはフェアな対決にしたいからな。


『……え? 食べられるわよ? パンティー。寧ろ私じゃなくて、郁にとっても素敵なオカズだと思うのだけれど! 文句ある? ないわよね! アンタどこ中よ!』


「逆ギレの究極形みたいな返しをしてきたぞ。ちなみにお前と同じ中学校だよ。莉生もエリ姉も全員同じ中学校だ」


『オナ中ね! オナ中!』


「その言葉、お前が言うと卑猥な何かにしか聞こえないから困る」


 俺は莉生にスマホを渡して、この不毛なやり取りの行く末を委ねた。


「ごめんね、凜々花ちゃん。ちょっと遊んじゃった」


『莉生? 遊んじゃったってどういうことよ! まさか私を陥れたのね……! この会話をネット上に流出させる気でしょう! そして私を脅してあわよくばその性欲を』


「正解はフライパンでした。また来週」


 莉生は一方的に通話を切って、何事も無かったかのようにスマホを操作する。

 まあスイッチの入った凜々花はちょっと鬱陶しいよね。分かるよ、分かる。


「じゃあ次はエリ姉だね! 今度は僕が電話するよ」


 莉生は再びアプリを開いて、『エリ姉』と表記されたアイコンをタップする。

 あ、エリ姉はやっぱり普通に登録しているのか……もしかして君、凜々花嫌い?


『はーい。エリ姉です。どうしたの、莉生君?』


 エリ姉も暇だったのか、すぐに電話に出てくれた。

 莉生は楽しそうに笑いながら、手元のペーパーを読み上げる。


「なぞなぞです」


『急だね! よし、お姉さんが答えてあげよう!』


 凜々花と違って順応力がとても高い! なるほど、これが大人か……!


「時間が経つと青から黄色、黄色から赤になる物は何でしょう?」


『……普通に考えれば一択だけど、これは引っ掛けだね。例えば出す相手が幼稚園児とか小学校一年生なら難しいけど、私は大学六年生だから』


 自虐を混ぜるのはいいけど、考え過ぎです、エリ姉。

 答えの欄には『信号機』って書かれているからね?


『えっと……青は安全、黄色は急げ、赤は危険だから……なるほど! 分かった!』


 どうやら勘違いお姉さんは答えに辿り着いたようだ。

 深読みした時点で負けだけど、果たして何を思いついたのか。


「エリ姉、答えをどうぞっ!」


 莉生に催促されて、ほんの少しだけ俺たちを焦らすように間を置いてから、エリ姉はこの謎を解き始める。


『つまり最初は意識していなくて、お互い青い春の中で安全な関係を築いている。想いを自覚した頃には黄色く輝き出した気持ちだけが先走ってすれ違う。でも最後には二人とも顔を赤らめて相手とキスをする……つまりこれは恋! どうかな!』


「正解は信号機でした。ロマンチックだね、エリ姉! また来週!」


『いやぁあああああ! 年下の男子高校生にハメられたぁああああああん!』


 エリ姉の悲痛な叫びがスピーカーから響き、莉生は即座に電話を切った。

 結果は凜々花が下ネタに逃げて不正解。エリ姉も深読みして不正解。

 つまり賭けは引き分けに終わった。さて、報酬のアイスはどうなる。


「問題です」


 俺が沈黙していると、莉生が突然口を開いた。そしてそこから出た言葉は。


「僕が昔から、高校生活で一番大事にしているものはなんでしょう?」


 それはもうなぞなぞではなく、ただの問いかけだった。

 それでも莉生が言うのだから、多分裏があるはずだ。


「一番大事、か。成績を平均未満まで下げないこと、かな? 確か言っていたよな。成績が下がるとお母さんにゲームを買って貰えなくなる、って」


 俺の答えに、莉生は残念そうに首を横に振る。どうやらハズレらしい。

 だけど莉生は委員会も部活もやっていないから、高校生活で大事にしているものなんて見当もつかない。彼女がいるわけでもないし。


「正解はね、これ」


 莉生はゆっくりと立ち上がって、人差し指を俺の顔に向ける。


「郁ちゃんと一緒に過ごす時間、でした! あはは。何だか身体が熱いから、アイスを買ってくるね? 暖房効きすぎじゃないかなー! ここ!」


 莉生はそう言って、席から離れてレジカウンターへ向かっていく。

 一緒に過ごす時間が一番大切なんて、親友に言われて嬉しくないわけがない。

 だからだよな。今、俺の顔が赤くなっているのは。


「本当に暖房、効きすぎだろ」


 だけど身体は知っている。この熱が外気に中てられたものじゃない、と。

 心の奥底に、莉生が熱い言葉を放り込んだから……かもしれない。


◇◇◇


 お父様はコーヒーを飲み終えて、そのままお風呂に向かっていきました。

 二十年以上経った今でも、同じなぞなぞに対して同じ答えを返せるのは、きっとお父様と皆さんの関係が今も変わらず良好だから、ですね。


「あれ? でも一人だけちゃんとしたなぞなぞを出されていないような……? まあ、それはいいでしょう!」


 私もそろそろ、寝る前の歯磨きをしましょう。これから大人の時間ですから!

 マグカップを片手に立ち上がると、同じタイミングでリビングの扉が開きます。

 酔っているのでしょうか? 顔を赤らめたママが、飲み会から帰宅しました!


「ママ! おかえりなさい! 燈華ちゃんから問題を出しますね!」


 私の顔を見て笑うママに、ある一つの謎をぶつけます。

 それはもうずっと、ママが酔った時に何度も聞かされていた思い出話です。


「お父様とママは、どういう恋愛をして結婚したのですか?」


 今宵も長い夜になりそうです。ふふふ。

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