11月7日 お父様とのママごと!

「燈華、入るぞ……って何をしているんだ、お前は」


 ある日のこと。私はリビングにメモを置いてお父様を自室で待ち構えていました。

 部屋の中央にあるミニテーブルに、いくつかのお品物を並べて、です!


「いらっしゃいませ! ここはトウカーマートですよ!」

「……ふむ。一体何を売っているお店ですか?」


 一瞬で状況を把握する私のお父様、素敵じゃないですか?

 そう。私はお父様と『おままごと』をしたかったのです!


「そうですねぇ。では、この使用済みのスクール水着はいかがですか? もう卒業までプール授業は無いので、お安くしますよ?」


「うーん。健全な店かと思ったらメチャクチャいかがわしいお店だった」


「お次はこちら! 燈華ちゃんの使用済みボールペン! この色褪せたグリップ部分に指を重ねて使用すると、間接キスならぬ、間接記入が出来ますよ?」


「さてはここの店主末期だな?」


 お父様は立ったまま屈んで私のボールペンを手に取ります。あー! お触りは別料金が発生しますよ!


「懐かしいな。高校生の頃、莉生とおままごとした事があったな」


「えぇー? 高校生にもなっておままごととか、ドン引きですぅ……」


「中学生の娘が使用済みスク水とボールペンを売りつけてくる方が引くんですけど?」


 そう言ってお父様はボールペンをこっそりポケットにしまいます。万引きだー!


「お父様! ボールペンは差し上げますから、代金としてその思い出を聞かせてください」


「え? 嫌だけど?」


「な、何故ですか! いつも聞かせてくれる流れじゃないですかー!」


「あんまりいい思い出じゃないというか、恥ずかしい話だからな……まあ、いいか」


 お父様は困ったように笑いながら、私に莉生さんとの思い出を語り始めました。


◇◇◇


「郁ちゃーん。見つけられたー?」


「いや、ダメだ。全然居ないぞー」


 高校生の頃、秋の日の公園で俺と莉生は『あるもの』を探していた。

 離れた場所に居る莉生と、互いに声を張り合って確認するが、どちらも成果ゼロだ。


「仕方ない。今日は諦めるか……あれ?」


 ふとベンチの方に目をやると、見慣れた姿を見つける。

 そこには鳴海家の次女、凜々花の妹である梨華が一人で座っていた。


「梨華。こんなところで一人で何をしているんだ?」


 俺が声をかけると、梨華はゆっくりと顔をこちらに向ける。


「……あ。郁にぃ。こんにちは」


 今年で小学四年生になったというのに、相変わらずマイペースな子だ。将来は凜々花に似ないで欲しい。マジで。神様お願いします。


「郁にぃは何をしているの?」


 しかし俺の質問に答えるより先に、梨華が尋ねてくる。


「莉生とトンボ採集をしていたのさ。久しぶりに追いかけると楽しくてさ! まあ別にトンボを捕まえて育てるわけじゃないけど」


「ほ、本当に何しているの……? 高校生なのに」


 気のせいか、梨華の顔がちょっと引いている。たまにはするよね? トンボ取り。


「それで、梨華は? 友達と喧嘩でもしたか?」


「ううん……お姉ちゃんと公園で遊ぼうとしたら、夕飯の準備があるからダメ、って。だからね、一人でおさんぽ中」


「どう見てもベンチに座っていただけなのに散歩とは……そういえば、この公園のすぐ真横だったよな、凜々花の家。しかしこのご時世、一人で遊ぶのも危ないだろう?」


 俺がそう言うと、梨華は目を丸くしてその瞳に強い期待を滲ませた。


「じゃ、じゃあ郁にぃが遊んでくれる……の?」


「もちろん! 今日は俺の友達も居るからな! 会ったことあるか? おーい! 莉生!」


 俺が遠くで茂みに頭を突っ込んでいる莉生に声をかけると、莉生も梨華に気付いたようで、慌てて駆け寄って来る。運動音痴だからか、走り方が完全に女の子なんだよなあ。


「わー! 梨華ちゃんだ! 久しぶりだね? 僕のこと覚えている?」


 莉生は子供好きだからか、珍しくテンションが高めだ。そんな莉生に対し、梨華は小さく頷き返す。


「うん。前にお姉ちゃんから聞いたから……莉生ちゃん?」


「うーん。ちゃん付けなのはアレだけど、まあいいか! そうそう、莉生だよ。梨華ちゃんが良かったら三人で遊ぶ?」


 莉生の誘いに、梨華は再び目を輝かせ何度も何度も頷く。玩具みたいで可愛いな。


「あのね、あのね! 梨華、おままごとがしたい!」


 梨華の言葉を受けて、俺と莉生は顔を見合わせる。


「おままごと? 俺たち高校生なのに?」


「郁ちゃん、それ多分さっきまでトンボ取りしていた僕らが言っちゃダメだと思う」


 莉生のツッコミが冷静すぎる。というかこいつ、子供が絡むと若干俺に対して辛辣になるような……優先順位が下がるのかもね?


「よし、じゃあおままごとをやるか! 梨華、どんな設定にしようか?」


 俺がしゃがんで梨華の顔を覗き込むと、梨華はポケットから何かを取り出した。


「これ! お姉ちゃんが私のために、書いてくれたの! だいほん?」


「ああ、台本ね。あいつも案外お姉ちゃんしているじゃないか。どれどれ?」


 梨華から台本(というか、紙一枚の演劇設定)を受け取り、莉生と確認してみる。

 そこにはこう書かれていた。

 平和な学校生活で、強気な格好いい男友達に迫られる女の子。


「……なあ、梨華。ライター持っているか?」


「も、燃やそうとしないで! せっかくお姉ちゃんが書いてくれたのに……郁にぃも莉生ちゃんも、やってくれないの……?」


 上目遣いの潤んだ目を向けて来る梨華は、かなりの破壊力だった。妹が居ない俺だけど、この子の為なら何でもしてあげてしまいそうだ。娘が出来たらこんな感じなのかな?


「何言っているのさ、梨華ちゃん。やるに決まっているじゃない。ね? 郁ちゃん?」


「横に居る俺の友達は即断即決だしさぁ。篭絡されるの早すぎない? いいけども……」


 莉生は今まで見た事がないくらいハキハキとしているし。いつも俺に弄られる奴と同一人物とは思えん。あ、そういえば。


「莉生。お前中学生の頃、演劇部に参加していたよな?」


「うん。とは言っても、舞台に上がると緊張しちゃうから、演技練習専門だったけどね。そもそも部長と友達だから手伝っていただけで、正式な部員じゃないけど。それより!」


 莉生は梨華に向き直って、その小さな頭を撫でてあげながら尋ねる。


「配役はどうしようか、監督!」


「か、かんとく……! り、梨華がかんとく?」


「うん。だって台本を書いて僕らをキャスティングしているわけだからね! 好きに決めていいよ。梨華ちゃんの思うままに、ね?」


 おいおい。どう考えても俺が男の子でお前が女の子だろうが。見た目的にも。

 女の子に迫るシーンか。どういう演技をすればいいかね?


「うーん。郁にぃが女の子で、莉生ちゃんが男の子ね!」


「ほ?」


 本気ですか監督、と言おうとしたらあまりの衝撃に一言しか出てこなかった。


「いやいや! おかしいじゃん! 普通逆ですよ? 梨華監督!」


「郁にぃに格好いい男の子はやくぶそく……? だから仕方ないのです」


「普通に貶された! いや、多分梨華は使い方を間違っているだけだと思うけど!」


 監督の采配に動揺していると、突然、右の手首を莉生に掴まれた。

 一体何事かと思ったが、当の本人……莉生は至って真剣な表情で。


「いつまで喚いているのさ、郁」


「い、いく? いきなり呼び捨てするって、どういう……」


「呼び捨て? 僕と君の関係なら、これくらい当たり前だろう? それとも、お姫様みたいに扱われたいのかな?」


 莉生は俺の顎を二本の指で軽く持ち上げて、無理やり目線を自らの顔に集中させる。

 うわ、莉生の顔が近い。顔立ちが綺麗なのは言うまでもないけど、口調と雰囲気のせいでかなり王子様系女の子に見える。普段は女の子系王子様なのに……!


「君はいつまで経っても僕の事を軽んじて、真剣に向き合ってくれないよね。近所のお姉さんや鳴海さんの前では、普段見せない顔をするくせに」


「り、莉生さん? あの……演技に熱が入りすぎていませんか?」


「熱? そうだね。いつだって僕は君に熱を上げているよ。いい加減、焦らされて、恋焦がされる僕の身にもなって欲しいな。ねえ、郁」


 優しく微笑んで、莉生は掴んでいた俺の右手を放す。それでも、俺の顎に添えた指はそのままだ。逃げようと思えば、逃げられるはずなのに――。


「君の気持ちを、僕に教えてよ」


「うわ、何をしているのよ……アンタたち。公園よ? ここ」


 莉生が渾身の決め台詞を口にした、その瞬間だった。

 いつの間にか梨華の傍に鳴海家の長女こと、凜々花お姉ちゃんが立っていた事に気付いたのは。


「え? え? り、凜々花ちゃん……? あ、違うよ? これは演技で、おままごとで、決して本気で郁ちゃんに迫ろうとしたわけじゃないから!」


 さっきまでの威勢と格好良さはどこへやら。莉生は全身を真っ赤にして、ぷるぷると震えながら弱々しく凜々花に答える。うーん。これが俺の知っているいつもの莉生だね!


「ふぅん……そう。『君はいつまで経っても僕の事を軽んじて、真剣に向き合ってくれないよね』」


「ひんっ!」


 凜々花が劇中の莉生の台詞を暗唱すると、莉生は両手で顔を覆って凜々花から逃れようとする。だが、監督のお姉ちゃんは決してそれを許さず、莉生の耳元で暗唱を続ける。


「『いつだって僕は君に熱を上げているよ』」


「や、やめてぇ! そ、それは咄嗟に思いついた言葉で、本心じゃないのぉ!」


「『君の気持ちを、僕に教えてよ』」


「うわーん! もうやだぁああ! りりかちゃんのいじわるううう!」


 莉生は顔を手で覆ったまま逃げ出し、途中で何回か転びながら、俺たちの前から姿を消してしまった。通学用のリュックもベンチに置いたままなのに……後で届けるか。


「で? 死の呪文を唱え続けた大魔王こと、凜々花さんはどうしてここに?」


 俺の言葉に、凜々花は少し不機嫌な様子で、豊満な胸の下で腕組みしながら答える。


「誰が大魔王よ。私はいつだってお姫様よ」


「言っている事は可愛らしいけど、お前はその性格が可愛くないよ。莉生をイジメるな」


「あんまりにも楽しそうだったから、つい……ね? いいのよ。私たちの中では莉生は少しくらい不憫じゃないと色々と不公平じゃない? ほら、梨華。ご飯出来たから帰るわよ」


 なるほど。凜々花は梨華を迎えに来たタイミングで、おままごとをしている俺と莉生を見てしまったのか。まあ、これをおままごとと言えるかどうかは怪しいけど。


「どうでした、監督?」


 感想を尋ねると、梨華は耳を真っ赤にして何故だか胸を抑えている。

 そして上気したその顔で、俺に返事をしてくれた。


「……すごかった、です。郁にぃと莉生ちゃん、ドラマの人みたいだった」


 なんだか放心状態にも見えるけど、梨華はそれだけ言い残して凜々花に手を引っ張られて公園から出て行ってしまった。


 俺は自分の頬に手を当ててみる。晩秋の夕方。本当なら冷えているはずの頬は、まるで風邪を引いた時のように火照っていたのだった。


◇◇◇


「へぇー。演技上手だったなんて、意外ですね……」


 お父様は「変な思い出だろ?」と言いながらも、どこか嬉しそうな様子です。

 何だかんだ、昔から仲良しさんですからね。いい思い出なのでしょう、きっと!


「では私ともやりましょうよ! おままごと! あ、ちなみに私がママ役で! お父様は私の子供ですかね? これが本当の」


「『ママごと』ってか?」


 私の渾身の駄洒落のオチを奪って、お父様はニヤりと笑うのでした。

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