10月31日 お父様のスイートなハロウィン!
「ただいま、燈華。駅前のお店でいちごタルトを買ってきたから、二人で食べようか」
お仕事から帰宅したスーツ姿のお父様が、小さな白い箱を片手に私のお部屋に来ました。
ちなみに今日は、ママは月に一度の『ママ会』のため不在です。
そういう時にお父様は、こっそり燈華ちゃんの為にスイーツを買ってくれるのです!
「わーい! いいですね、タルト! ちなみに切り分け済みですか?」
「ん? いや、ちゃんと丸い形の物だな。サイズは小さいけど、二等分して……」
「え? これ生き残った方が総取りじゃないんですか? 覚悟はいいですか?」
「嘘でしょ? タルト一切れの為に俺たちは骨肉の争いをしなきゃいけないの?」
「はい。私はママにそうやって育てられたのです。お父様、まさかご存知でない?」
「俺の教育は愛娘に何も響かなかった……?」
お父様はわざとらしく落胆してくれた後で、小さく笑ってクッションの上に座ります。
こういう何でもない親子の会話が、私もお父様も大好きなのです。えへへ。
「好きなお菓子の事となると、女の子は豹変してしまうのです。お父様の身近な女性もそうじゃないですか?」
私が問いかけると、お父様は箱からタルトを取り出しながら首を傾げます。
「身近に菓子一つで命のやり取りする女の子が居たら、今頃俺は家庭を築けてないと思うなあ。あ……でも、高校時代の思い出が蘇ってきたぞ」
「ほう? 何人くらい仕留めたんですか?」
「すごく前のめりになるくらい真剣に話を聞こうとしているところ悪いけど、そんな血と砂糖の匂いに塗れた記憶じゃないよ?」
お父様はミニテーブルの上に取り出したタルトをナイフで切り分けながら、訥々と懐かしむように思い出を語り始めます。
「エリ姉と莉生、それから凜々花と三人で高校一年生の秋に、俺の部屋に集まってハロウィンパーティをした時だったかな」
◇◇◇
十月の下旬頃だったか。
もうすぐハロウィンだからということで、エリ姉がお菓子持参の仮装パーティをしようと提案してくれて、莉生と凜々花もそれに乗っかる形になったのだ。
この頃俺は父さんの勧めで学校近くのアパートに一人で住んでいたので、自然と会場がそこになってしまい、何だかんだで断れず……。
結局、当日になって俺は三人を迎える準備をしていた。
「さて、部屋も片付けたし飲み物の準備もしたから、後は三人を待つだけ……お?」
約束の時間間際になって準備を終えると、丁度よく玄関のチャイムが鳴った。
トリックオアトリート! とか言われるのだろうか。受け入れる側だと、何だか答えるのも恥ずかしいな。
さて、最初は誰かな? そんな事を思いながらドアを開けると――。
「イタズラします」
「せめて選択の余地を与えろよ! 凜々花ぁ!」
そこには制服姿に三角帽子を被り、手に段ボール製の杖を持った凜々花が居た。
魔女だ。魔女JKだ。豊満な胸と妖艶な雰囲気を持つ凜々花には、これほど似合う仮装もあるまい。
「というわけで、私よ! どう、郁? 魔女っ子姿の凜々花ちゃんは! イタズラされたくなったでしょう? 本当はサキュバスにしようとしたけど、自重したわ!」
凜々花はその場で一回転して見せつけてくるが、ローブも無いし、使い魔も居ない。
安いコスプレだけど……確かに似合うのが悔しい。
「可愛いと思うけど、全体的にクオリティが低い。なんだその杖?」
「うふふ。ありがとう。この杖は妹の梨華が作ってくれたのよ。まあ、小学生の工作なんてこの程度よね。帰ったら捨てるわ。ボロいし、折り目もあるし……」
「姉としての負い目は皆無かよ! 多分本物の魔女の方が優しいぞ!」
「嫌姉、冗談よ。流石に梨華に返すってば」
「『いやねぇ』が凄い悪意ある言葉に脳内変換された気がする! あ、誰か来た」
性悪魔女とやりとりをしていると、再度チャイムが鳴る。
慌ててドアを開くと、そこに居たのは――。
「トリックオアトリート! 郁ちゃん。悪戯しても……いい?」
「さっきから突っ込もうと思ったけど、選ぶのは俺だからね?」
制服姿にウサギの耳を模したカチューシャを装着した莉生だった。
「というわけで、僕だよ。どうかな、郁ちゃん? 本当はサキュバス……僕ならインキュバス? その二択で悩んだけど、こういう場にはウサギかな、って」
「何でお前らは仮装イコールサキュバスなの? ウサギなのも分からんけど」
「ほ、ほら! こ、こういう場には……ね?」
莉生は困ったように口元を袖で隠しながら、もう片方の手でうさぎ耳を触る。
おいおい、嘘だろ。こいつまさか……そんなしょうもない発想を?
「場にだけに、バニー?」
俺が言うと、莉生は頬を上気させて、照れ臭そうに頷いて笑う。
「バニーだけに、ね! ぴょんっ! えへへ」
何この子、超あざとい……! さっきウチに来た魔女より女子力高いなあ!
「郁。今日のサバト(※魔女の夜会)はそこのウサギ肉を使いましょうか」
俺が思わず莉生に見惚れていると、背後から魔女に恐ろしい提案を囁かれる。
「うわ、郁ちゃん……そこに居る魔女を追い出した方が良くないかな?」
莉生は凜々花の攻撃にしっかりと応戦し、わざとらしく俺の背中に隠れる。寧ろ使い魔にされちゃう前に、お前が逃げた方がいいぞ。
「さて、有害鳥獣駆除の為に市役所に連絡しないとね。郁、電話借りていい?」
「そういえば郁ちゃん。魔女狩りって今も行っている国があるらしいよ?」
凜々花と莉生がそれぞれ俺に意味深な話を振って来るが、敢えて無視しておこう。俺を挟んで喧嘩するのは止めてください。
「お。エリ姉も来たみたいだ」
二人の喧嘩が勢いを増すよりも早く、玄関のチャイムが三度鳴った。
ドアを開けると、当然そこには――。
「はーい! いーちゃん! サキュバスのお姉さんだよー!」
「年甲斐もなく一番はしゃいじゃっている人が来ちゃったよ!」
サキュバスみたいな恰好をしたエリ姉が部屋に飛び込んできた。
ロングコートの下に黒いビスチェタイプのボンデージ、赤いハイブーツを履いておりどう見ても不審者です。本当にありがとうございました。
「よし! 凜々花、莉生。準備はいいか? いくぞ! 1!」
「1!」
「0!」
「や、やめてぇ! 三人で仲良くスマホを回しながら通報する番号をタップしないでぇ!」
エリ姉は莉生からスマホを奪い取って、電源を切って部屋の隅に滑り投げる。
それ、僕のスマホなんですよ。昨日買ったやつ。カバー買っておいて良かったぁ……!
「それより! 何で三人とも仮装してないの! 凜々花ちゃんはまだいいとして、莉生くんは申し訳程度のカチューシャだけだし、郁ちゃんは部屋着のジャージだし!」
エリ姉は頬を膨らませて怒りながら、手提げの中からお菓子の包みを取り出す。ふざけていてもちゃんと準備をしているのが大人って感じですね。
「ジャージ? 違うよ。これは某異世界転生アニメ作品の主人公のコスプレだよ」
「うわっ、ずるい! しかも色が全然違うし、物は言い様だね……! 莉生くんは?」
話を振られた莉生はサキュバスのお姉さんにやや引きながらも、饒舌に答える。
「うさぎは豊穣の象徴ともされていて、収穫を祝うハロウィンにおいては最も適したコスプレだと思うよ、エリ姉。どう? とっても知性的なコスプレでしょ! えっへん!」
「博識な事言っているけど、この子さっき『こういう場にはバニー』とか言っていたわよ」
「りりかちゃぁああん!」
まさか横に居た魔女に刺されると思わなかったのか、莉生は顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。一瞬感心した俺がアホみたいだ。
そもそも、ウサギはハロウィンというよりイースターだけどな。
「ちなみに莉生は、さっき必死にウィ〇ペディアを閲覧していたわよ」
「や、やめてってばぁ! 凜々花ちゃんなんか魔女っていうか、普段から痴女じゃん!」
「はぁー? 私にとって最高の誉め言葉よ、それ。それに……目の前にもっとハイレベルな痴女が居ると思うけど」
凜々花と莉生の視線を一斉に浴びて、エリ姉は顔を真っ赤にして、いそいそとコートを着直した。ボタンも上から下まで完全に閉めてしまって……もっと見たかったなあ。
「そうだよね……お姉さん、年甲斐もなくはしゃいじゃって、ば、バカみたいだね……ぐ、ぐすっ。お菓子だけ置いて帰るね。た、楽しみにしていたのに……」
エリ姉はテーブルの上に置いたお菓子の包みを指差して、玄関から出て行こうとする。
これ帰らせたら一生モノのトラウマになるやつだ!
「待て待て待って! ほ、ほら! エリ姉! 俺さ、料理下手だけどちゃんとカボチャを買ってジャックオランタン作ったから! 褒めて欲しいな!」
「え、エリ姉! 私も今日の為にクッキー作ったの! お化けの形にしたの! 可愛いわよね? ね?」
「ゲーム! ゲームしようよ! 僕、オススメのテーブルゲームを買ってきたから! これ四人居ないと出来ないゲームだから! だからエリ姉に居て欲しいなあー! あはは!」
俺に続き、凜々花、莉生の必死な説得を受けて、ようやくエリ姉は振り返ってくれた。
そして目じりに浮かんだ涙を拭って、もう一度コートを脱ぎ始める。
「えへへ……皆に愛されて、幸せだなあ。お姉さんもね! 今日は朝まで楽しむつもりで用意してきたから! よーし! 今日は飲酒解禁だぁ!」
そう言ってエリ姉はハロウィンに似つかわしくない、日本酒の一升瓶を取り出す。
その瞬間、俺たち三人は同じことを思ったはずだろう。
もうエリ姉と遊ぶのはやめよう!
◇◇◇
「……それ以来、エリ姉と遊ばなくなったわけじゃないけど、『未成年と遊ぶ時はお酒を禁止する』というルールが作られた。普通、大人が自制するはずなのにな……」
お父様はまるで口直しのようにタルトを半分に割ってから素手で掴み、大きく口を開いて齧り付きます。ワイルドです!
「もっとイチャイチャ系の話を期待したのに、ガッカリです……あー! そういえばその話で思い出しましたけど、今日ハロウィンじゃないですかぁ!」
女子高生なのに油断していました……! 学校が休みだったから気付かなかったのかもしれません。
お父様は口元を緩ませて、目の前に残された一片のタルトを指差します。
「そうだな。ところで、お父様はまだあと半分ほどタルトを残しているわけだが。さて、どうする? 燈華? 家にはもうお菓子は残っていないぞ?」
ちなみに私は既に完食済みです。なので、とっても食べたいです。食べたいですとも!
ううっ……! お父様への悪戯は毎年恒例なのに!
「……ずるいです! まさかこれを見越して、タルトを買ったのですか?」
「ああ。毎年洒落にならない悪戯を仕掛けてくる娘に対する、お父様からの先制攻撃だ。さて、答えを聞く前にお父様は着替えてくるかな。あっはっは」
お父様は立ち上がって、ネクタイを緩ませながら部屋を出て行きました。
ぐぬぬ! 私のお父様、策士すぎませんか……!
でも、このタルトは我慢してお父様に悪戯を仕掛けようと思います!
だって、お父様のスイートなハロウィンの思い出だけで、燈華ちゃんはお腹一杯ですから!
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