10月21日 愛とお酒に溺れる大学生のお姉さん

「お酒を見ると、一昔前のエリ姉の事を思い出すよ」


 土曜日の夜。私はお父様と近所のコンビニに来ていました。

 明日は日曜なので、私もお父様も夜更かしムードです。ムーディーな関係です。


「お! また思い出話を聞かせてくれるのですか!」


「カゴの中にきのこの形をしたお菓子を何個もぶち込みながら聞かないで? ほら、棚に戻してきなさい。そしてたけのこの形をしたお菓子を持ってきなさい」


「ぬぁ! お父様はたけのこ派でしたね……親子間で戦争をしなければならないとは。いいでしょう! 泣いて謝っても許しませんよ!」


「じゃあお父さん、まずは経済制裁します。来月からお小遣い無しでいいかな?」


「ひんっ! 軍事力と経済格差がありすぎて戦争になりません……!」


 すぐに白旗を揚げた私に、お父様は笑いながらカゴを持ってレジに向かいます。


「あれ? か、買ってもいいのですか?」


「娘にお父様大好き同盟を離脱されたら困っちゃうからな」


 笑いながらレジで会計を済ませるお父様。やっぱり娘に甘すぎですね?

 買い物を終えた私たちは、夜道を歩いて家に帰ります。平日ならまだまだ人も多いこの時間ですが、土曜ということもあって今日は静かです。


「それで、お父様。先ほどの思い出話を聞かせてくださいよ! 家に戻ったら出来ないような卑猥な話ですし、ここで済ませちゃいましょう」


「いや? メッチャ健全な話なんだけどね? まあ、帰りながらお話してやろう」


◇◇◇


 俺が高校一年生の頃、エリ姉は二度目の大学留年が決まってしまった。


 エリ姉は俺の七個年上の近所のお姉さんで、幼い頃から度々お世話をしてくれる優しい人……なのだが、それと取得単位の話は無関係なわけで。


「いーちゃぁああん……お姉さん、また留年しちゃったよおおお……」


 放課後。家に帰ろうとすると、エリ姉から電話が来た。

 声音で分かる。これ、相当酔っぱらっているな……。


「ごめん、エリ姉。こういう時なんて声をかけたらいいか……えっと、ご愁傷様?」


「うわぁああん! どうせ私はバツ二のダメ女ですよ!」


「留年を二回した事をバツ二って表現する女子大生は多分エリ姉だけだよ?」


 ちなみに一度目の留年は意図的なもので、エリ姉の家庭事情が絡んでいる。

 前回はほぼ休学だ。だからこれが本当の意味での最初の留年なのだが。


「とりあえずお家来てぇ……お姉さんを慰めてぇ」


 その言葉を最後に、一方的に通話が切られた。

 仕方ない。俺に出来る事は無理やり水を飲ませることくらいだが、それでも放っておいたらアルコール中毒で倒れかねないし、顔を出す事にしよう。


 エリ姉は一人暮らしをしており、俺の住むアパートの正面にある、単身者向けのマンションに住んでいる。たまに一緒にご飯を食べたり、勉強を教わる事もある。けど。


「今日は気が乗らないな……エリ姉、生きてる?」


 エリ姉の部屋の前まで行き、インターホンを押して声をかけてみる。

 すると、ゆっくりとドアが開き、中から真っ赤な顔のエリ姉が出て来た。


「おはよう、いーちゃん……入っていいよ」


「もう夕方前なんだけどね? 全く、髪もボサボサだし、部屋着もダラしないなあ」


 大きいサイズのシャツに、ショートパンツ姿のエリ姉はすごく刺激的だけど。

 漂う酒臭さが、その色香を台無しにする。中和どころかマイナスだ。


「あーあ。お姉さん、せっかく今日も図書館で資料になる本を探して頑張っていたのに。この世の中は理不尽だよね……」


 エリ姉はベッドに横になり、サイドテーブルの缶チューハイに手を伸ばそうとする。

 俺はこっそりその缶チューハイを飲料水のペットボトルに差し替えて、話を続けた。


「へえ。ちなみに今日探していた本は?」


「情報が満載で、統計データも載っていて、ダンジョンとストーリー攻略に役立つ本!」


「うーん。これは留年しますね。ゲームの攻略本じゃん、それ!」


「大学用の攻略本もあったらなぁ! お姉さん、留年しないで済んだのに!」


「教科書という本をご存じない? 大学生のお姉さんなのに?」


 俺のツッコミを無視して、エリ姉はお水を口に含む。


「うわー! すごい、このお酒! 水みたいで飲みやすい!」


 水だからね。それ。誤解して飲み続けてくれた方が助かるけど。

 俺は空き缶とツマミの袋で荒れた部屋を片付け始める。普段は綺麗なのになあ。


「このままずっと留年しちゃおうかなあ」


 その最中、背後で不穏な呟きが聞こえたんだが……無視した方がいいかな?


「そんな事して、エリ姉に何の得があるのさ? 国立とはいえ、学費も嵩むぞ」


「うーん? 大学生になったいーちゃんとね、同じ学校に通える!」


 そんな突飛な言葉に、俺はつい振り返ってしまう。

 ベッドの上で目を閉じて、眠りかけているエリ姉は寝言のように話を続けた。


「私の唯一の心残りはそれかなあ。いーちゃんと同じ学校に通いたかった。二人で同じ制服を着て、同じ学校行事を楽しんで、同じ通学路で手を繋いで帰る……七個も歳が離れていると、無理な話だけどね。思い出が欲しかったなあー! あはは」


 どこか自嘲気味に笑うエリ姉は、そう言ったきり静かになってしまって。

 俺は何も返せずに片付けを続けていたけど、エリ姉の寝息が聞こえてきてから、ようやくその言葉に対する答えを出すことを決めた。


「同じ学校に通えなくても、俺はエリ姉と……他の誰よりも多くの思い出を持っているつもりだよ。凜々花や莉生とは違う、俺たちだけの大事な思い出を」


 少しずるいけど、素面のエリ姉には言えないからな。


 当然、エリ姉の反応は無い。

 顔を見ると、酒のせいで真っ赤になった顔に、少しばかり汗が滲んでいた。


「エリ姉が大学以外にも頑張っているのは知っているから、無理も、無茶もしないで欲しいな。それじゃあ、またね」


 俺はその汗をタオルで拭ってあげてから、エリ姉のマンションを出た。部屋の鍵は俺が預かっておこう。後でスマホに連絡を入れておけば、取りに来るだろうし。


 俺が靴を履いて部屋を出ようとした、その時だった。


「いーちゃん! 私ね、優しいいーちゃんが世界で一番大好きだよー!」


 部屋の奥からエリ姉の声が聞こえて、思わずドアを閉めるのを躊躇してしまったけど。

 お酒も飲めないのに真っ赤になっている自分の顔を見られたくなくて、俺はそのまま施錠して帰ることに決めた。


◇◇◇


「まあ、翌日酷い状態になったエリ姉に話を聞いたら、何一つ覚えていなかったけどな。留年したことさえ、うろ覚えだったよ」


 お父様の思い出話が終わるタイミングで、私たちは帰宅しました。


「うーん! 卑猥な話をありがとうございました! お父様!」


「あれ? うちの娘、思った以上に俺の話を真面目に聞いてない……? 健全だったよね? ほら、手を洗ってきなさい。買ったお菓子はその後だ」


「はーい! 夜のお菓子パーティ、楽しみですねぇ!」


 最近、色んな思い出話を聞いていると思うのですが……。


 私のお父様は、実は結構たくさんの人に「愛されて」いますよね。


 勿論、この私も含めて! ふふっ。こんなお父様が居て、燈華ちゃんは幸せです!

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