第3話・二十四姫、梔・ルディ・アンジェリカ・ハビムトだけが知っている秘密は、数多くある

 二十四姫、梔・ルディ・アンジェリカ・ハビムトだけが知っている秘密は、数多くある。

 それは政敵の弱みであり、城下の美味しいパン屋の恋模様であり、そして二十六姫クランの可愛らしさである。


「くぎぢぃぃぃぃぃ……くぎぢぃぃぃぃぃ……」


「まぁ、こぶたさんね」


 クランの部屋は、荒れていた。

 暴れるだけ暴れたのだろう、少女趣味の猫足の天蓋ベッドは中央からへし折れ、カーテンというカーテンは引き裂かれ、部屋中には枕から飛び出した羽毛が飛び散っている。

 躁が終わり、今度は鬱期に入っているのか、クランは部屋の隅で毛布を被り、奇声をあげて転げ回っていた。


(こんな可愛らしいところは誰にも見せられないわねえ)


 アンジェリカは可愛い物が好きだ。

 弱みを握られているとも知らず、自分が上にいると思い込んでいる政敵。弱みを握っているわけでもないのに、何故かアンジェリカに怯える政敵。自分こそが世界の王だと信じて疑わない猫、キリリとした面構えなのにお間抜けな犬。

 そして、クランだ。

 笑顔が威嚇に取られるアンジェリカとは違い、どんな愚鈍な者でもクランの感情を読み取れないことはないだろう。

 嬉しい時は笑い、悲しい時は悲しみ、悔しい時は悔しがる。

 アンジェリカには、絶対に出来ないことだった。


「ほら、わたくしが来ましてよ。出てきなさい、こぶたさん」


「やだぁぁぁ……」


 まぁ可愛い、とアンジェリカは再び思った。

 ぐずぐずと泣き始めると、とてつもなく長い。

 このままいじめて、泣き続けさせてやろうか。そんな感情を、頼りない理性で縛り付けているのを、この娘は知らない。


「こぶたさん、早く出てきなさい」


 理性の限界を前にして、アンジェリカは魔法を編んだ。

 クランからすれば、構成をすっ飛ばして直接魔法を発現したと見えるであろう速度。

 だが、それでも負けん気の強いクランは燃え始めた毛布を即座に消火、したところで本命の雷撃がクランに突き刺さった。

 威力は最小、持続性はぼちぼち、ただ操作性だけはきっちり確保してある。


「おほほ、こぶたさん。早く出てきなさい、うふふ」


「やっ、出るっから!?止め、て!?」


 自らの脳を裏切って痙攣するクランの肉体は、毛布の中でぐちゃぐちゃと暴れ回っていた。

 こんなにも優しくお願いしているのに出てきてくれないなんてわたくしかなしい、とアンジェリカは思った。


「覚えと、けよ!あとでひでーからな!」


 アンジェリカがすっかり満足したところで、魔法を緩めると、クランはまるで寝ていたところを踏まれた猫のように、毛布を被ったまま機敏に飛びずさ……った所を足で払われた。


「ひぎぃ!?」


「おはよう、こぶたさん。お目覚めはいかが?」


「最悪だよ、クソが」


 後頭部を打ち付け、頭を抱える毛布の塊から中身を引っ張り出してやれば、未だ止まらない涙とずびずびと垂れる鼻水で、クランの美しいかんばせはひどいことになっている。

 アンジェリカの好きなクランの顔だった。


「大好きな妹の顔も見れずにお話するなんて、わたくし悲しいですもの。これくらいやって当然でなくて?」


「うるせー、サディスト」


 そう言うと、豪快に手鼻を噛んだクランは毛布でごしごしと顔を拭う。

 山猿のような娘である。


「それで、お父様には勝てまして?」


「見てたんだろ?負けたよ、完全に」


「勝っていたら、こんなに荒れていないでしょうしねえ、ほほほ」


「わざわざ傷に塩塗り込みやがってからに……」


 クランは可愛らしい娘だ。

 たった五十歳程度しか離れていないアンジェリカに、こうして苦もなく捻られていても、本気だった。

『輝ける』ルディに勝利しようと、心の底から願っていたのだ。

 アンジェリカがルディ落としに参加した時は、普通に号令をかけて速攻で後ろに下がった。

 面倒なのか、他に理由があるのか。

 ここ最近は一人の死人を出していないルディではあるが、わざわざ斬られたいとは思えない。

 味方を盾にして、すぐに降参だ。

 こうして数時間もすれば、クランのように元気に暴れ回るだけの治療が受けられるにしても、真面目に戦う意義がまったく見出せない。


 誰があの男を倒せるというのか。

 出来ないことを努力して出来るようになる。それは確かに素晴らしい行為である。

 しかし、空の星を落としたい、だなんて白痴の夢以外の何物でもない。

 それだけの差がある。

 無駄な事を、と思う。それに無益なことでもある。

 エルフは、王を持てなかった。

 持たなかったのではなく、持てなかったのだ。

 幼い頃こそ親の庇護が必要だが、それなりに育って力を付けたエルフは一人でも生きられる。

 それこそ文字通り、荒野のど真ん中でたった一人でも。

 精神的に耐えられるかはともかく、生き延びることに関してはエルフの右に出る生き物はそんなにはいない。

 エルフが偉そうに我輩は王である、などと言いだすと、みんな勢いよく逃げる。なんとでも生きていけるのに、わざわざ同族に支配されるのがなんか気にくわないのだ。

 それまでは大した勢力を築き上げてきた者でも、そうだった。

 よその土地で他種族の王なら「なんかそういうもんなんだな」と奇妙な受け入れ方をするが、エルフがエルフの王になるのだけは許さない。そういう奇妙な性質があった。

 そのエルフの王となったのは、後にも先にもルディだけである。

 まがりなりにもエルフという種に秩序を与えたのは、おそらくいいことなのだろう。

 エルフのみが争う戦場は、この国から姿を消した。

 そして、アンジェリカとしても、法と秩序の中で生きるほうが好みだ。


 法である。

 アンジェリカは、護民官だ。

 ルディという武力以外では、落ちている片方だけの手袋にも劣る王を抱く静の国エル・エルフの政治を動かすのは、元老院による会議である。

 共和制である静の国は、元老院が新たな法律を作る、立法の権限を持つ。

 その元老院で提案された法が、民衆の生活によくない影響を与える場合もある。それがどういう意図から発せられた物にせよ、だ。

 その庶民への悪影響を抑える最後のストッパーが、護民官である。

 立法権は持たないが、護民官は元老院の法に対して絶対的な拒否権を持つ。

 その代わり、護民官が間違った拒否権を発動した、と民衆が判断した場合、護民官は民衆に打ち殺され、その罪は一切問われず、拒否権は発動されなかったことになる、ときちんと法律に書いてあるのが、静の国である。

 民衆が、と書いてあるのが肝であり、ある元老院議員が支持者に護民官を殺害させた場合でも、この法は発動する。

 常識的に考えれば暗殺だが、拒否権を発動させた護民官を守る法はないのだ。

 もちろんあまりに露骨にやれば、手を下させた議員の選挙に響くのだが、護民官の命は一つしかない。

 死んだ後の政敵の行く末と、自分の命を秤にかけるのはなかなか覚悟がいる。

 このため創作では人気がありながら、現実では暗殺に怯える護民官の仕事は、元老院の片隅で座っているようなものだ。

 力ある元老院議員から身を守れるくらいの実力、護衛を雇える財力があるのなら、自分が議員になった方が早い。

 将来、議員を目指す中堅の腰掛けが、護民官という職である。

 そうやって骨抜きにされてしまっている護民官を、三期十二年に渡り勤め上げ、拒否権の発動を七度成功させたのが、『若き庶民の星』アンジェリカだ。

 護民官は、拒否権を発動した理由を人々の前で述べなければならない。

 最初はまぎれもない、複雑な政治力学の末に通ってしまった悪法の非を堂々たる弁舌で打ち破り、民衆を味方につけた。

 議員も選挙は怖い。熱狂を持って受け入れられたアンジェリカのため、護衛を山のように付けてくれた。

 次はよく読んでみれば「確かによくはない」という法を厳しく指摘した。

 その次は「言われてみればそんな気がする」という法を拒否した。

 その次は、その次は、と実績を重ねるにつれ、「アンジェリカの言うことなら」と民衆は無批判で受け入れ始めたのだ。

 庶民からの熱狂的な支持は拒否権の発動を容易にし、議員からの暗殺は彼らが身を呈して防ぐ。

 弁舌は鮮やかに鋭く、それでいて歴史的なまでに軽佻浮薄けいちょうふはく。それが護民官アンジェリカの在り方だ。

 その隠然たる影響力は元老院にたくさんの「おともだち」を作るまでになっている。

『庶民の若き星』『法と正義の担い手』『冷血姫』『元老院最大の敵』それがアンジェリカに贈られる名であった。


 アンジェリカが愛する法は、社会秩序の中にしかない。

 静の国の外側に広がる無法が支配する世界は、勝つべき者が勝つ無法の法が敷かれている。

 力ある勝者の法がまかり通るだけで、面白みがあまりにも薄かった。

 そういう意味ではアンジェリカは、王としてのルディに感謝すらしている。

 絶対強者たるルディが法を施行すれば、それに逆らえる者は何人いるだろうか。

 武力も財力もほとんどない、王の娘であるだけのアンジェリカが、その知恵とクソ度胸で成り上がれるのは、ルディが何もせず、ただ象徴であるからだ。

 他のエルフであれば、祀り上げられれば多少の色気は出すだろう。

 何もしない、ただいるだけのルディという存在は、アンジェリカにとってありがたかった。

 何もしない王がもたらす秩序ある混沌は、アンジェリカの生きる場だ。

 だから、クランのしようとしていることは、可能かどうかはともかく、アンジェリカの楽しみの邪魔でもあるし、その結果がとんでもない災厄を招く未来も予想出来る。

 邪魔でもあるのだが、


「おい……一応、言っておくけどあたしは本気だからな。ジェリ姉がなんと言おうと、あたしは王サマをぶっ殺す」


「うふふ、出来もしないことを強い言葉で言って。情けないこぶたさんだこと」


 この可愛らしいクランの道を遮ろうだなんて、頭の片隅に過ぎることすらない。

 もし、彼女に本当にルディに肉薄するだけの力があったとしても、アンジェリカは止めなかっただろう。

 可愛くて可愛くて、仕方ないのだ。

 父としてのルディに、何一つとして感情はない。幼い頃からすら興味もなかった。

 母親はどこの誰かすらわからない。ルディの無聊を慰めるため、どこかから差し出されたのか、はたまた自分から身を捧げたのか。

 そんなどこかの誰かが産み落とした三十五王子、三十八姫、総勢七十三人のルディの子どもたちである。

 一応、国から補助金は出るが、基本的にはなにか制限を受けることもない。

 王の子どもとして相応しい行動を、と言われても「父親があれだろ」と反論されて言い返せた者は誰一人としていなかったのだ。

 もちろん社交界では一定の価値を認められはするが、それだけと言えば、それだけのあやふやな存在だ。

 エルフの継承法は、下層は長男か長女が家を継ぐ長子継続、上層は末子継続が一般的となっている。

 財産があり、子どもにしっかりとした教育を施せる家であれば、家長が死ぬ頃には長男は自力で一家を興しているはずであり、最も財産を持っていないであろう末子への継承が優先されるべき、という考えが元になっていた。

 しかし、だ。

 そもそもルディがなんらかの原因で死んだ場合、どこまでがルディの遺産なのか、誰が継ぐのかを元老院の法は明らかにしていない。

 まずは王が王であるという証明、王権だ。

 これまで王を持たなかったエルフが、ルディの子どもだからといって次の王となるのはひどい違和感を覚える。それはアンジェリカ自身が王となる光景を想像しても。

 次に財貨だ。

 静宮殿でルディが自分で受け取ったものは、なに一つとしてない。

 素晴らしい絵画や彫刻、山のように積まれた財宝、そもそも宮殿自体もそうだ。

 捧げられた供物をちらりと見てくれればいい方で、それをルディがどうこう言ったことは一度としてない。

 そんな王になんとかして「これは素晴らしい物だ、是非欲しい」と言われる名誉を求める連中がさらに列を成すのだが……受け取られていないこれらは果たしてルディの財産になるのか?

 王に捧げこそすれ、その子にくれてやった覚えはない、と言い切るエルフは記録の残る公的な場ですらも数多く存在し、ルディの子どもという立場はとてつもなくあやふやな存在になる。

 そして、王の財産がここまでだ、王を継ぐ者は誰か、王は継承されるべきではない、と区切るのは、とてつもない不敬でもあった。

 いかに庶民に人気のある議員でも、いかに強欲で悪辣なやり口で有名な議員でも、手を出したくない議題になってしまっている。

 もし王を継ぐにしても、老練であろう長子が継ぐのか、それとも末子が継ぐのか。信じる神すら違うエルフの国の未来は……綺麗に言えば一人一人の中にある。

 もし、この瞬間、ルディが死ねば。その未来は、元老院議員すべてに共通する悪夢であった。

 数十年に一度、政争の具として議題に上がることはあっても、最終的にはなんとなくふわっと暗黙のうちにお流れにするのが、議員の嗜みである。


 そんなどうしようもない立場にあるルディの子供たちは、本人の資質が認められることがなければ、最初こそちやほやしてくれた社交界すらもそっぽを向いてしまう。

 武力か、権力か、財力か。結局は世俗で発揮される価値観を必要とするのが、ルディの子供たちであった。

 アンジェリカの上の王子と姫は、すでに半分ほど市井に降りて庶民として暮らしている。

 それは本人の主観はともかく、客観的に見れば彼らは惨めでは決してなく、それなりの補助金も出るので、贅沢するつもりがなければ割といい暮らしが出来たりもするのだ。


「それで、可愛い可愛いこぶたさん。あなたはこれからどうするつもりなの?」


 だが、クランだけは違った価値を持っていた。

 単純に、美しいのだ。

 他種族からは全員が美しい、と言われるエルフではあるが、エルフから見たエルフの美醜はまた違う。

 ほんのわずかに鼻が曲がっている、少しだけ首が短くてバランスが悪い。そういう他種族には理解し難い美醜である。

 そういう価値観の中で、妹の顔立ちを見慣れているアンジェリカでもぞっとする時があるくらいに、鈍い他種族が一目でも理解出来るくらいに、ひたすらに整っていた。

 それなりに美しいはずのアンジェリカでも、自分の欠けた部分を突き付けられている気分になる時がある。

 クランには女友達と呼べる者がいない。わざわざ彼女の横に並んで、比べられるのは耐え難い苦痛だろう。

 ちなみにアンジェリカにも女友達はいない。

『元老院最大の敵』とわざわざ仲良くなりたい、と思う者を友と呼ぶ勇気はアンジェリカにもないものだったからだ。


「どうするって……そりゃ武者修行だよ」


「武者修行」


「宮殿の中にいても稽古はつけてもらえるけど、やっぱ強くなるには武者修行だよな。あちこち旅をしてさ」


「旅」


「……なんだよ、ジェリ姉。あんたが言葉数少ないと怖いんだけど」


「いえいえ、うふふ」


 二つ名は他者からどう見られているか、という証明だ。

 強そうな二つ名持ちは、実際に強い。

 金に関係のありそうな二つ名は、金を持っている。

 梔・ルディ・クラン・ハビムト。彼女に贈られる二つ名は白い肌を讃える『白百合姫』、豪奢な金髪『黄金姫』。

 外見だけの名。

 そして、最も囁かれている名こそが『王の花束キングオブブーケ


「この美しい少女を手に入れれば」


 この言葉に続く物は、数多い。


「この完璧なる少女に子を産ませれば、次の王になるかもしれない」


「ただこの美しい少女を手に入れたい」


 そういう欲望に満ちた名である。

 そんな彼女が、旅に出る。


「うふふふふふふ」


「なにほんと、どうしたのジェリ姉!?こわいんだけどマジでさ!?」


 乱になるに違いない。

 男たちが彼女を巡り、争うことだろう。

 それはすっかり落ち着いてきた元老院を乱すに違いない。

 楽しい楽しい大乱を、アンジェリカは望んでいた。

 波一つない凪の海は、美しいが楽しくない。


「なんでもないわ、わたくしの可愛い可愛いクラン」


 ただ生きるには、エルフの生は長すぎる。

 出来ることなら、先の見通せない混沌に満ちた生を。

 それがアンジェリカという女の望みである。

 もし美しくなかったとしてもひとかけらとして目減りしないであろう愛らしいクランへの愛情と、激しくも楽しい生の悦びはまったく切り離されていないところに格納され、それはアンジェリカの中で一つも矛盾しない。


「どこに行くのか考えてはいるのかしら?」


「どーすっかなー、いくつか候補は」


 あるんだけど、という言葉は続かなかったし、言葉を切ったクランの表情を見ていなかった。

 それは、クランも同じだろう。

 二人の目は、同じ方向を、ただの壁を見ていた。


「目的地は決まったみたいねえ」


「ああ」


 力強い断言。


「エンシェント落としだ」


 どこかで、この瞬間、エルフが千年の時に足を踏み入れていた。

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