第五章

天に吠える狼少女(1/5)

「そんな……親父……嘘だろ……」


 シェサを抱いたまま、呆然ぼうぜんと一歩、二歩と後ずさるディナ。その肩を駆け寄ったレイが抱いた。


「……下がれ。こうなってしまえば、もうどうにもならん」


 今まで幾度いくどとなく魔族と交戦してきたレイは、族長の身に何が起きているのかを知っていた。


 禁忌きんきだと、神に唾棄だきする行為こういだと知りつつも、命ある者はそれが失われそうになると無我夢中むがむちゅうで手を伸ばしてしまう。人間も魔族も関係ない。いざ死ぬとなった時、倫理りんりの壁はガラガラと音を立ててくずれ去る。壁の向こうには死よりも恐ろしい結末が待っていることを忘れてしまう。


 自分なら大丈夫、少しだけなら大丈夫。そうやって理性を納得させてその禁忌きんきを破った者を騎士は幾度いくども見てきた。


 戦場において、敵味方問わず忌避きひされるむごく、醜悪しゅうあくなその姿。誰しもが眼をらさずにはいられない。生にすがり付いた者の末路まつろ


「ああ……なんてこった……」


 長指族マギアス気圧けおされていた狼人族ウルフェンの男衆達。彼らの口腔こうくうに苦いものが満ちた。


 森と共に生き自然をうやまう彼らにとって、それはもっとも不名誉ふめいよ最期さいごとされていた。自分の力量も分からず、それを越えて練魔行れんまぎょうもちいたおろか者。一時の強さを求めるあまり、自然から逸脱いつだつした罪人。だが、この中の誰がテヴォをめられよう?長指族マギアスを前にして一歩も動けなかった自分達の前に立ち、種族階級という越えられぬ壁を打ち砕いた。あのまま長指族マギアスに従っていれば、この集落の者達は望まぬ闘争と憎悪ぞうおうずに放り込まれていたに違いないのだ。その最悪の結果からテヴォは集落を護ったのだ。


 動けなかった不甲斐ふがいなさ。それがどうしようもなく彼らの胸をめ付ける。


「ちょっと……なんやねん……テヴォさん、どうしてもうたんや!?」


 ただ一人、状況を理解できていないユウが説明を求めて叫ぶ。


 その間にも、テヴォの身体からだは絶えず変容へんようしていた。


 身体中からだじゅうのいたる所がボコリ、ボコリと盛り上がり、盛り上がったかと思えば内からの肉の膨張ぼうちょうに耐えかねるように破裂はれつする。その度にあか飛沫ひまつが飛び散って大地をその色に染めていった。肉がぜたことによってできた傷口は、肉が膨張ぼうちょうすることによってすぐにふさがり、そこからさらに新たな肉腫にくしゅが生まれる。黒い体毛はすっかり抜け落ち、浅黒あさぐろい地肌と肉のピンク色がいびつに混ざった奇妙なまだらを日にさらしていた。


 身体からだ全体が沸騰ふっとうしているようなその有様。しかも傷口が膨張ぼうちょうすることでその身体からだは元の大きさよりも一回り大きくなっている。もはや元の雄々おおしい面影はない。地面をのたうつ巨大な肉の塊だ。肉に埋もれつつも冗談じょうだんのように元の形をたもつ頭部、その瞳にもう理性の光はない。


「ユウ……昔、魔法で怪我けがは治せないと教えたことがあったわね。その理由があれよ」


 セラはテヴォの変わり果てた姿から視線をらさずに言った。魔法の使い手である彼女だからこそ、絶対におかしてはならない領分りょうぶんだと自身に強く言い聞かせるように。


厳密げんみつには、怪我けがを治すことはできる。でもね、それをすると身体からだの再生に歯止めがかなくなるの。ちょっとの傷にも過剰かじょうに反応して肉が膨張ぼうちょうするようになる。それが大きくなりすぎて破裂はれつすればその傷をふさぐためにもっと肉が膨張ぼうちょうする……魔力によって無理矢理再生したことで、身体からだが元の形を忘れてしまう……」


 肉体の過剰かじょう再生、それによって自壊じかいし、その傷を埋めるためにまた過剰かじょうに再生する。自壊じかいと再生をり返して次第しだいに大きくなる肉塊にくかいの化物。


「じゃあ、テヴォさんは……」


「――練魔行れんまぎょうは肉体の潜在能力ポテンシャルを魔力で引き出す技。肉体に作用するという点では治癒魔法ちゆまほうと同じ。過剰かじょうに肉体を活性化かっせいかさせることで治癒魔法ちゆまほうと同じ効果を得るなんてのもできるんでしょうね」


 もとより練魔行れんまぎょう領分りょうぶんおかすぎりぎりの境界線を渡る荒行あらぎょうだ。意図いとせずともこういった結果をまねきかねないからこそ会得えとくしようとする者は少ない。


 しかしテヴォは、こうなると分かっていてその境界線を越えた。最愛の娘をまもるために。こうしなければディナは長指族マギアスの魔法に切り裂かれていただろう。


 娘のため、狼人族ウルフェンにとってもっとも不名誉ふめいよ最期さいごだとしても。彼はその先に待つ常軌じょうきいっした苦痛に身を置くことを選んだのだ。


「痛いなんてものじゃない……。全身がこわれ続ける苦痛なんて想像もできない。もうとっくに意識もないでしょうね」


 口にして、そのあまりにもむご末路まつろを想像してセラは顔が強張こわばった。視界の中で、巨大な肉塊にっかいがその肉膨にくぶくれした両腕をがむしゃらに振り回していた。レイが自分で歩く気力を失ってしまったディナを引きつれて下がる。言葉にならない絶叫ぜっきょうを上げて腕を振り回すその様は、痛みにもがき苦しんでいるように見えた。


「元に……元に戻す方法はないんかッ!?」


 こういったものにもっともくわしそうなセラにユウがすがり付く。だが、魔法師は首を横に振った。


「一度ああなってしまえば、もう元に戻すことはできない。それができないから治癒魔法ちゆまほう禁忌きんきなのよ」


「じゃあ、どうすれば……」


「殺すしかない」


 ユウ達の側までディナを引っ張ってきたレイは、その気の抜けたように脱力した細い身体からだを座らせた。ディナはそんな、そんなと小さくつぶやきながら、血潮ちしおをまき散らし暴れる父親だったモノをながめていた。呆然自失ぼうぜんじしつとなりながらも気を失ったシェサだけはひっしと抱いて話さない。自分をかばって父は禁忌きんきおかした。その事実が彼女の心を折ってしまっていた。


「あの苦痛から族長を救ってやるにはそれしかない。安らかに眠らせてやることが、一番の救いだ」


 そう言ってレイは長剣ロングソードを構えた。この場でそれができるのは、おそらくレイとセラだけだろう。だが簡単ではない。あの肉の塊はおぞましい再生能力を備えている。腕やあしを斬り落としたところですぐに再生してしまうだろう。一撃で絶命させる必要がある。そのためには、首を落すのがもっとも最適だ。


 だが首を落すにはまずあの肉の壁を突破しなくてはならない。その上、振り回される剛腕ごうわんは筋肉まで無節操むせっそう膨張ぼうちょうしているために通常はあり得ざる膂力りょりょくを有している。自分の身体からだこわれることすら考慮こうりょしないようなその一撃を受ければただではすまない。だからこそ、あれは敵味方の区別なく破壊をまき散らす災厄さいやくとして戦場で恐れられるのだ。


「セラ、悪いが俺だけでは荷が重い。援護えんごしてくれ」


「分かったわ」


 騎士の頼みに魔法師は素直すなおうなづいた。セラもレイと同じ考えなのだ。もうどうしたってテヴォを救うことはできない。ならばせめて、終わらせてやる必要がある。


「そんな!?なんとか、なんとかならへんの!?」


 ユウだけが、希望は残されていないのかと必死に問いかける。だがレイも、セラも、他の狼人族ウルフェン達ですら黙したままその視線を地に下げる他なかった。


 テヴォを救いたいという気持ちはみな共通している。だが、本当にもうどうしようもなかったのだ。


「残念だが……もう、絶対に元には戻せない。もうあれは族長じゃないんだ……」


 うめくようにそうつぶやいて、レイはその手にした長剣ロングソードつかふるえるほどキツくにぎりしめた。そのつぶやきはユウに向けてのものではなかったのかもしれない。今からそれを斬らねばならない自分への言葉。自分を一振りの剣に変える暗示あんじ


 だがその言葉を、勇者は聞き逃さなかった。


「絶対……今絶対って言ったな!?」

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