招かれざる者(4/4)

「……まさか、人間をかばうとは。相当毒されているようですね」


 あわれみさえこもった視線が地にうずくま同胞どうほうに向けられる。その視線を向けられた魔族は、瀕死ひんしの重傷を受けながらも凄絶せいぜつな笑みを浮かべた。


「――コイツァ、俺の娘だ。父親が無鉄砲な娘の面倒見るのは当然だろうが」


「……そうですか」


 細長い指先がテヴォへと向けられた。指先で指し示さなくとも精密に魔法をコントロールできるのは先の魔力の刃で明らか。この動作はいわば、相手に圧力を加えるためだけの牽制けんせいだ。


「選びなさい。後ろの同族どうほう達にこの場にいる人間全てを殺すよう命じ、魔族領に来るか。この場で全員死ぬか」


 無慈悲むじひに、冷徹れいてつに。長指族マギアスはそうせまる。この場で、自分達で、人間と決別し魔族陣営に加わるならそれでいい。逆にそれができないのなら、その程度ていどのこともできないような魔族は必要ないと。


「――ッ」


 傷の痛みとは別に、狼人族ウルフェンの族長はうめいた。答えなど決まりきっている。だからこそうめく。


 娘を殺すなど、できるわけがない――


「何、アホな事言ってんのやッ!」


 だからこそ、こんな選択を提示ていじされている父親を見てあの小さな勇者が声を上げないはずがなかった。


「何が起きてんのか、いまいちよぉ分からんけど、あんたは狼人族ウルフェンの人らを仲間にしに来たんちゃうんかッ!?それが、なんでそんな話になんねん!」


 セラに肩をつかまれながらだが、飛び出さんばかりにそう叫ぶ黒髪の少女にラチラサの視線が向く。


「黒髪……」


 そんな髪色の人間は初めて見る。そしてふと先の記憶がよみがえる。今足元に転がる人間共はこの子供の事を何と言っていたか。


 そう確か、、と。


「――この子供が勇者?こんな人間の小娘が界律魔法かいりつまほうを……?」


 にわかには信じがたい。だが、もし本当だとすれば。


 魔族にとって最大の脅威きょういは今、目の前にある。


 その長い指先がゆらりと動いた。勇者との距離はおよそ十メイトル、そんな距離は長指族マギアスにとってないに等しい。その魔法という死の指先は視界にうつるほぼ全てに届く。外見に加えて、その魔法の射程しゃていこそが彼女らが長指族マギアスと呼ばれる所以ゆえん


「させるかよォッ!」


 ラチラサの意図いとさっしたディナがえた。魔法による攻撃を防ぐ最良の方法は何か。答えは簡単だ。使わせないことである。


 強力無比な攻撃手段である魔法の最大の欠点はその発動に呪文の詠唱えいしょうという前準備が必要な点だ。だからこそその欠点を埋めるために戦場において魔法師は単独では行動せず、護衛の兵士をともなう。先ほどからラチラサが用いている圧縮言語も少しでもその欠点をおぎなうためにみ出された技術だ。


 一方で、ディナのもちいる練魔行れんまぎょうにはそれがない。


 即座そくざに魔力を両足に集中、硬化こうかではなく筋力の制限リミッターを解除。潜在能力ポテンシャルを開放し、その膂力りょりょくでもって爆発的な初速のみ込みを行う。


 矢のごとく飛び出したディナ。それに気付いたラチラサの視線が向く。


 ひたいあかい宝石があやしくらめいた。


「!?」


 突然ディナは失速、何の兆候ちょうこうもなく眼前から吹きつけた暴風に髪が逆立さかだった。髪どころかその身体からだすらちゅうに浮く。身体からだ全体を包み込む、その生き物の吐息といきのような生々しい温度。まさしくそれは生命をつかさどる力。


 ただ単純な、魔力の放射――


 しかしそれは量のけたが違った。魔力というのは本来物質的な質量を持たないエネルギーだ。だからこそそれに質量を持たせるには一工夫ひとくふう加える必要がある。ディナがレイとの組手でもちいた魔力打などは多量の魔力を圧縮することで衝撃しょうげきを与えるほどの質量を持たせている。今ラチラサがもちいた技も言ってしまえばそれの規模きぼを大きくしただけだ。だが人の身体からだを浮かすほどの衝撃しょうげきを与えるためにいったいどれほどの魔力を圧縮する必要があるか。


「―――――」


 ディナがそれを考えているひまはなかった。ラチラサが圧縮言語による詠唱えいしょうを開始したのだ。


 今魔法を撃たれれば回避できない。受けるしかない。練魔行れんまぎょうで防御できるのは一カ所のみ。どこを守るべきか。即死をまぬがれるために首?いや、それ以外が全て切りきざまれれば結果は同じ。


 防げない――


 ディナが死を覚悟かくごした瞬間、すぐ背後から裂帛れっぱくの気合いがほとばしった。


「グルアアアアアッ!!」


 く者の精神を根本からるがすようなおぞましい咆哮ほうこう。ディナのそれを上回る練魔行れんまぎょうの筋力強化によって黒い閃光と化した狼人族ウルフェンが音にせまる速度で娘の横をはしり抜けた。


 いまだ残る魔力の壁をその速度と巨体で粉砕ふんさい、生きるため、そして護るためにしか振るわれない黒い剛腕が、絶対的上位存在であるはずの長指族マギアス胸部きょうぶを刈り取った。


「――ッ!?」


 不意にすさまじい衝撃しょうげきを受けた華奢きゃしゃ身体からだが盛大に吹っ飛んだ。そのまま後方の木々に激突、意識が途切れる。が、胸と背中を襲う激痛に無理矢理現実に引き戻された。


「あ、グァ……!?」


 木に背中をあずけるようにずるずると座り込む。激突の瞬間に肺の中の空気が全て外に出てしまい、新たな酸素を求めて口を開くが上手うまく呼吸ができない。吐き出す空気もないのにき込むと空気の代わりに赤黒い血が口腔こうくうあふれた。身体からだは動く、背骨は折れていない。が、肋骨あばらが何本か折れているようだ。身じろぎする度に激痛が走る。吹っ飛んでいる最中に背中から魔力を放出して激突の衝撃しょうげきやわらげていたからこの程度ていどで済んだ。


「なぜ、動け……まさか……!」


 口のはしからあかい筋を流しながら、ラチラサの瞳が見開かれる。


「まさか、狼人族ウルフェンがこれほどまでおろかな種族だったとは……!せいぜい人間共に尻尾を振って、ほろびへの道を歩むがいい……!」


 ラチラサが小さく呪文をつぶやく。次の瞬間にはその身体からだがすぅっと空気にけるように姿が消えた。


「……においが遠ざかっていく。立ち去ったか」


 その言葉を聞いた瞬間、ふっとシェサの意識が途切とぎれた。りつめていた緊張きんちょうの糸が切れたのだ。その小さな身体からだをテヴォの大きな身体からだが優しく抱き留めた。


「は、はは!なんだよ親父!心配させやがって!ぴんぴんしてんじゃねぇか!」


 そう気安く言うが、ディナの表情は嬉しいやら安堵あんどしたやらで泣き笑いだ。実際のところ、不安で不安で仕方なかったのだ。


 シェサを早く助けねばという焦燥しょうそう、父親が死んでしまうのではないという恐怖。それらから解放された今、早く父の胸に飛び込んでその温もりを肌で感じたかった。


「――ディナ」


 だが、抱きしめられるほど近くへやってきた娘を父が抱きしめようとはしなかった。


「シェサ連れて、こっから離れろ」


「は?」


 テヴォの言葉に意味が分からないとディナは首をかしげた。もう危険は去ったのだ。この場を離れる必要などどこにあるのか。


「早く、しろ……!」


 何かをこらえるように小刻こきざみにふるえだすテヴォ。その切羽詰せっぱつまった声色こわいろにますますわけが分からずディナはその顔をのぞき込む。


「親父……?」


 すぐ側にやってきたディナにテヴォは強引ごういんに気を失っているシェサを押し付けた。


 荒い呼吸がかかるまで近づいたディナは、ようやっと、気付く。


「――親父、……?」


 その黒い毛皮にはあかい鮮血がまとわりついている。が、あれほど激しく動いたというのに新しい血潮ちしおが流れている様子がない。何より、毛の薄い箇所かしょに見えていたはずの傷口が、ない。


「に……逃げろォ!ディナア、あ、あ!?」


 血走った痙攣けいれんする父のただならぬ様子に、娘は一つ思い至る。


 それは、練魔行れんまぎょうを教わっている時に耳にタコができるほど聞かされた話。絶対に犯してはならないと嫌というほど教えられた禁忌きんき


「親父、親父まさか!?」


 ――まさか、狼人族ウルフェンがこれほどまでおろかな種族だったとは……!


 先ほど長指族マギアスが言った言葉は、このことを言っていたのだ。なぜならそれは、魔力をあつかう者にとって何よりも恐れるべきえてはならない境界線を示しているからだ。


「ガあぁあアアぁアアァアあアあアッ!?」


 テヴォが天に向かって絶叫した。まるで、神を冒涜ぼうとくするかのように。


 ボコリ、と。


 テヴォの腕の一部が盛り上がり、そして、破裂はれつした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る