招かれざる者(3/4)

 集落にやってきた聖堂騎士、その全てが同時に首と胴体を分かたれていた。自分達が死んだことに彼ら自身が気づいていまい。それほどまでに一瞬の出来事。悲鳴も、苦痛もなく一撃の下にほうむり去られている。切断面はつなぎ合わせばくっつきそうなほど鮮やか。レイの技量をもってしてもここまで綺麗きれいには切断できまい。いや、レイでなくとも物理的な刃ではこうはいくまい。


 その刃の正体を知るセラは咄嗟とっさにユウと共に身をせたが、攻撃を受けたのは聖堂騎士だけだった。狼人族ウルフェン側にはその刃は飛来していない。身をせていない他の者もみな無傷だ。


「魔族が人間に頭を下げるなど、人間領こんなところで暮らしている内に魔族としてのほこりを失ってしまったようですね」


 シェサのすぐ目前で、ぐにゃりと空間がゆがんだ。厳密げんみつには戻ったという方が正しい。ゆがめられていた光の屈折率くっせつりつが元に戻り、あるべき光の反射がそこにいる者の姿を正しくうつし出したのだ。


 その白皙はくせき顔貌がんぼうを目にした瞬間、シェサは動けなくなった。恐怖、とはまた違う。言うなれば畏怖いふ。絶対的上位の存在への畏敬いけい。彼の者には勝てない。彼の者にはしたがわねばならない。感情や理性、記憶といったものではなく、生まれ持った本能がそう教えるのだ。


「――みょうにおいがするとは思っていた。だが、まさか……ありえねぇ……」


 目の前にいる存在がこの場所にいることが信じられず、テヴォは目を見開いて胸中きょうちゅう吐露とろする。


 その場にいる狼人族ウルフェンみな、シェサと同じ感覚を感じていた。長らく感じたことのなかったその感覚。この集落で生まれた若者にとっては初めての感覚。この感覚を与える存在から逃げるためにここまで来たというのに。


 人間より関節が一つ多い指がゆらりと動き、幼い狼人族ウルフェンの首筋をった。肩から側頭部そくとうぶに向けて登る感触にシェサは声にならない悲鳴をらした。まるで身体からだを巨大な蜘蛛くものぼってきているかのような怖気おぞけ。全身をめぐる血液の温度が一瞬にして氷点下まで下がってしまって動こうにも動けない。極度きょくど緊張きんちょう呼吸こきゅうが浅く小さくなり、酸素を求めて無意識に空いた口から水分が失われる。


 先ほどまでの比ではない。同じ魔族という分類をされつつも敵対する人間よりはるかに恐ろしい存在がすぐ側にいた。その者の気分次第しだいで自分の生死が決められる。


「私とて、こんな人間領のただ中まで来たくはありませんでしたよ」


 人間的基準で言えば十分に美しいと言える美貌びぼう憎々にくにくゆがめられた。そのひたい象嵌ぞうがんされた紅い宝石のような器官が怪しく光を反射する。生まれ持った魔力の流れを見る第三の目、この世に生を受けたその瞬間から強力無比な魔法という技術を操る術をる存在。魔族の階級最上位の次点に数えられる、その種族の名は――


長指族マギアス――」


 ユウを抱き留めた姿勢のまま、セラがその名をつぶやいた。魔族階級は魔神族デモリスに次いで二位、それは人間にとっても最上位の脅威ということだ。その生まれ持った魔法技術に人間が追いつくのに、いったいどれほどの才能と努力が必要だろう。努力をいくら重ねたとて、その境地まで辿たどりつける者はほとんどいまい。人間が魚に泳ぎで勝とうとするのと同じだ。そもそもの身体からだの作りが違う。長指族マギアスにとって魔法を使うことはただ身体からだを動かすようなものなのだ。


「何の、用だ」


 誰もがあまりの出来事と恐怖に動けない中で、テヴォだけがその上位魔族に問いを投げかけることができた。本能よりくる従属心じゅうぞくしんは族長としてのほこりで押さえつける。今はこの突然現れた上位魔族の真意を探らなければならない。


「何の用とはご挨拶あいさつですね。人間に襲われていた同胞どうほうを助けてやったというのに」


 ひとひとと、細長い指先がシェサの首筋をう。助けた、というがテヴォ達からしてみれば人質を取られている状況はまったく変わっていない。


「まぁいい。わざわざこんな場所にまで来たのです。多少の礼を欠いた言動は看過かんかしましょう」


 ろうでできた人形のように白く、整った顔のつくり。しかしてその細すぎる身体からだ節々ふしぶしは昆虫を想起そうきさせる。いや、不気味でありながらどこか蠱惑的こわくてきなその容姿ようしを例えるのならば蜘蛛くも、か。その糸にからめとられてしまったシェサは、もう自力では逃げ出すことができない。


「少々戦力が足りないのです。なので私と共に魔族領まで来てもらいます。安心してください。それなりの立場をご用意しましょう。人間におびえて生きる日々も今日までです。むしろその逆、これからは貴方あなた達が人間をおびえさせ、殺すのです。あるべき姿に戻るのですよ」


「魔族領に、だと――?」


 なぜ今になってそんなことを。長らく大森林保護区の中で生きてきたテヴォ達には魔族と人間の戦争の状態など知るよしもない。こんな場所に司令官たる長指族マギアスが出向かねばならないほど魔族側の戦況は切迫せっぱくしているというのか。


 実際はそうではない。この長指族マギアスがラチラサという名前の魔王の側近そっきんであり、その魔王の享楽的きょうらくてきな命令を遂行すいこうするために奔走ほんそうしているのだということもまた、テヴォ達には知るすべがないのだ。


「――しかし、妙ですね」


 と、魔王の側近そっきん、ラチラサはテヴォから視線を水平に動かし一同をめるように見回した。


「どうしてそちら側に人間が何体かいるのでしょう。捕まえてなぶっているようにも見えませんが」


 その視線を受けて、とうとうレイは長剣ロングソードを引き抜いた。見慣れただ。人を人とも思わぬ、害虫程度にしか思っていない。それを殺すことに何の躊躇ためらいもしょうじない。その足元に横たわる首のない聖堂騎士達のように。


「――なんだぁテメェ。親父がそんな趣味しゅみの悪い事するかよッ!」


 狼人族ウルフェンは優しくほこり高い種族だ。他者をしいたげることをしとせず、弱き者には手を差しべる。それによって救われた者がいる。そのほこりをいだ者がいる。狼人族ウルフェンほこりを汚すような発言に誰よりも怒ったのは人間であるディナだった。


「テメェが何様か知らねぇがな。とっととシェサを放して帰りな!狼人族ウルフェンは人殺しなんかしねぇ。テメェらにこき使われるために魔族領に戻ることもねぇ!」


 テヴォのすぐとなりまで前に出て、食って掛かる人間の少女に長指族マギアスの瞳がスッと細められた。


 そして――


「―――――」


 言語化できない、複雑ふくざつからみ合った音の螺旋らせん


「どけぇッ!」


 咄嗟とっさにテヴォはとなりのディナを突き飛ばした。その刹那せつな


「〈見えざるやいば、舞え〉」


 くういて飛来した見えざる魔力のやいば。それは現実に存在するどんな刃物よりも鋭利えいりにテヴォの巨躯きょくを引きいた。


 まるでつむじ風のように足先から円をえがき、刃が毛皮をめ上げた。斬撃でできた蛇による捕縛ほばく。その長い胴は黒い毛を真紅に染め上げ、両足の爪先から腰回りまでに紅いズボンをかせた。テヴォの巨体であったからそれで済んだ。ディナの細い身体ならば足先から首元までを輪切わぎりにされていたところだ。全身に及ぶ攻撃は身体からだの一部を硬化こうかさせるだけの練魔行れんまぎょうではふせげない。


「ヌゥ……!」


 苦悶くもんの声をらしてテヴォが大地に横たわった。接地せっち拍子ひょうしあか狭霧さぎりが巻きあがり、あたりに濃密のうみつ血臭けっしゅうただよう。


「親父ッ!?」


 突き飛ばされて難を逃れたディナがすぐさまテヴォに駆け寄った。酷い怪我けがだ。特に両足はくっついているのが不思議なほどに、肉と筋肉がずたずたに引き裂かれている。これでは傷を塞ぐことができたとしてももう満足に立ち上がることはできまい。いや、それ以上にすぐに出血を止めなければ命が危うい。


「族長ォッ!?」


 遠巻きに見ているしかなかった狼人族ウルフェンの男衆達もたまらず駆け寄ろうとする。


 が、


「……………」


 上位魔族の一瞥いちべつによってその動きを制されてしまう。ただそれだけで、屈強くっきょうな戦士達がへびにらまれたかえるのように動けない。本来は、これが正しい姿なのだ。くつがえすことのできない種族階級、自分より上位の種族には逆らえない。その重圧の中でこれだけ動けたのは一重ひとえにテヴォの胆力たんりょくに寄る。


「……まさか、人間をかばうとは。相当毒されているようですね」

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