自然と共に生きる者達(8/8)

 セラ達とは少し離れた位置に座るユウ。その姿にちらちらと視線を送る小さな姿があった。


「……………」


 ユウが視線の方へ視線を向けると、あわてて大人のかげに隠れる小さな毛玉。小さな、といっても背丈的せたけてきにはユウと同じほどだろうか。


 ふと思いついたユウはわざと顔を逆の方向へ向ける。


「――!」


 今がチャンスとばかりに近づいてくる気配けはい。ギリギリまで引き寄せてからユウはその気配けはいの方へ振り向いた。


「――ぅあ!」


 間近で交錯こうさする視線。おどろいて硬直こうちょくするその自分と同じぐらいの背丈せたけ狼人族ウルフェンをユウはじっくりと観察かんさつする。緊張きんちょうでピンと張った両耳と尻尾。恐らく集落に入った時にディナがシェサと呼んだ狼人族ウルフェンの子供。炎の明かりに黒い毛がらめいている。名前は女の子に思えるが、ユウには外見から性別の判断はつかなかった。


 その子供の手はユウのすぐ側、小さな勇者の護衛ごえいへとばされていた。あと少しで触れるというところでユウが振り向いたらしい。伸ばした腕が中空で静止している。


「なんや、さくらもち触りたかったんか」


 シェサの関心がどこにあるかを知ったユウは、その感心の向くものを抱え上げ、


「はい!」


 目の前に差し出されたスライムとそれを差し出すユウをシェサは交互こうごに見やった。さくらもちが小首をかしげるようにぷるりとふるえる。


「……………」


 しばし硬直こうちょくしていたシェサだが、やがて好奇心に突き動かされるまま、その薄桃色うすももいろに手をばした。指先で何度か突いた後、ユウにうながされるまま座ったひざの上に乗せる。


「……ぷるぷる」


 両手でほぐすようにさくらもちを押しむ。


 アー


 抗議こうぎの声なのか心地よいのか、余人よじんには判断ができない鳴き声が聞こえてシェサはまた固まった。


「……スライムが鳴くなんて、知らなかった……」


「さくらもちは特別やさかい。ここらへんにスライムはあんまおらんの?」


「うん……すぐに他の獣に食べられちゃうから……」


 このゼリー状の物体にロクな栄養があるようには思えないが、少なくとも水分補給にはなるのかもしれない。かじりとった破片はへんが胃のの中で動くさまを想像するととても怖気おぞけが走るが。


「なぁなぁ、名前なんていうの?」


 ユウが狼人族ウルフェンの顔をのぞき込む。近づく自分とはずいぶん違う輪郭りんかくの顔、夜空のような黒瞳こくどうに見つめられてたじろぎつつも、


「――シェサ」


「シェサちゃんかぁ。うちはユウ。よろしくなぁ」


 差し出された白い手を黒い手がおずおずとにぎり返した。


 白い手が、ぼうと光出す。


「――え?」


 にぎった手をそのままさくらもちの上へ。やわらかい身体からだを手をにぎったままでる。


 ぷるぷる――


「スライムはな、魔力がご飯なんよ。だからこうやっていつもうちがあげてんねん」


 さくらもちが嬉しそうに身体からだふるわせている。


「ユウは練魔行れんまぎょうが使えるの……?」


 ユウが魔力を放出したことでそう思ったシェサがおどろいて問う。狼人族ウルフェンといえど誰もが練魔行れんまぎょうを使えるわけではない。それは人間であれ魔族であれ、才能と努力によって会得えとくする技術であるからだ。ゆえにそれを会得えとくした戦士達は狼人族ウルフェンの中でも尊敬そんけいの対象だ。


「ディナちゃんが使うやつ?まさかぁ。うちができんのは魔力を出すだけ。魔法も使えんよ。魔法どころか剣も振れんし……」


「でも、勇者なんだ」


 この黒髪の少女が勇者であることはすでにテヴォから狼人族ウルフェン達に伝えられている。もっとも、勇者という存在そのものが彼らにはいまいち判然はんぜんとしないものであるから、人間のすごい人という認識程度しかないだろうが。


一応いちおうなぁ。最初はうちも信じられんかったけど、どうにもほんまらしいわ」


 最初こそ自分自身でも信じられなかった。だが、さくらもちと出会い、小鬼族ゴブリンと出会い、それが真実だと知った。今では〈深窓しんそう才妃さいき〉からのお墨付すみつきだ。界律魔法かいりつまほうを行使できるのがユウの勇者の力。それがいまだにどんな効果を持つのははっきりとはしないが、漠然ばくぜんと、その力を使って何をすべきは分かる。


 魔族との和解。宥和ゆうわして、融和ゆうわする。それによって戦争を終わらせ、世界を救う。それこそが〈世界を救う者〉たる勇者、ユウの使命にして存在理由。


 そのためにユウはここにいる。


 そこでふと、シェサの視線がさくらもちではなく、自身の頭に向いていることにユウは気付いた。顔、ではない。髪、か。


「どしたん?」


 首をかしげた拍子ひょうしすみを流したような漆黒しっこくの髪がさらりと流れる。つやめくその髪に、炎の明かりが蜃気楼しんきろうのようにらめいていた。それをほうけたように見やるシェサはぽつりとこぼす。


「――同じ色だ」


 その人間ではとても珍しい黒い髪と、シェサ達狼人族ウルフェンまとう黒い毛皮。微妙びみょうな色合いやつやは違うが、黒という点では確かに同じ色だった。


 同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じ毛の色をしている。


 シェサが今まで知っていた唯一ゆいいつの人間であるディナは外見こそ狼人族ウルフェンとは大きく異なるが、その気質きしつは限りなく狼人族ウルフェンだ。少なくともこの集落の狼人族ウルフェンみな、ディナのことを同じ集落で育った同族、家族だと思っている。もちろんシェサもそうだ。


 そして今日出会ったディナ以外の人間三人。最初はディナとはまた違う容姿ようしをシェサは恐れ、近づくことができなかった。だが今、こうやって言葉をわし、間近で姿を見て、違いなど些細ささいなものでしかないとシェサは知った。


 とりわけこの自分と同じ毛の色をした少女、としも近いであろうこの少女を恐れる必要などいったいどこにあるだろう?


「……ユウ、この森の外がどんななのか、教えて?」


 おずおずとそう口にしたシェサ。その視線の先にある火に照らされて朱を帯びた、毛が少なく、たいらな異種族の顔がニッと笑った。


「ええで!あ、でも、うちもまだ分からんこと多いけどな」


 そう言ってから語られた人間の世界は、この森で生まれ、この森しか知らないシェサにとってはとても遠い地のことのように思えた。だが実際はそうではない。森を出れはすぐそこにユウの語る世界が四方に広がっている。近いどころか、目と鼻の先だ。すぐ側にある未知の世界の話に一匹、いや狼人族ウルフェンの少女は瞳をかがやかせていた。


 その様子を、彼女の両親ふくめ、多くの狼人族ウルフェンが見ていた。


 まだ年若い、二人の少女の交流。次なる世代をになう者達の友好。


 閉じられたこの森の中は、その小さな身体からだにはせますぎるのではないか。いずれ必ずくる破綻はたん、その前に、彼女が進むべき道をしめしておくのが自分達の役目ではないか。そしてその道は、この異種族の少女の見据みすえる先にあるのか。


 このうたげは、“勇者特区”への移住を集落の狼人族ウルフェンに伝える以外にも、ディナ以外との人間との交流という意図いとが多分にふくまれている。行きたいやつを連れていく分にはかまわないと言ったテヴォだが、その実その行きたいやつが増えるようにと手助けをしてくれている。娘の提案ていあん無下むげにしないための、彼なりの親心。


 並べられた皿の中身が全て空になるまでうたげは続いた。人間と魔族がとなり合い、同じ皿の食事を食べ、語らった夜が更けていく。界律魔法かいりつまほうなどなくても、二つの種族はこれほどまで心をかよわせられる。この時間は二つの種族が共に生きるという未来はあり得るのだと雄弁ゆうべんに物語っていた。


 実際に“勇者特区”に移住するかどうかはともかく、このうたげ狼人族ウルフェンの多くがそれを選択肢せんたくしの一つとして真剣に考え始めていた。


 いざとなれば、この幼い人間の少女に未来をたくすのもありか。そう思っていた。


 ――誤算ごさんだったのは、そのいざがもう吐息といきのかかるほど近くまで背後にせまっていた、ということだ。

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