自然と共に生きる者達(3/8)

「――おどろいた。人間領にんげんりょうの中にこんな場所があっただなんて……」


 セラが嘆息混たんそくまじりにそうこぼした。そこには一つの種族の生活そのものが広がっていたのだ。


 いくつか並ぶ建物はほとんどが木造、地をう虫や蛇をけるためか高床式。屋根には大振りの葉が幾重いくえにもかさねられている。石でつくられた家屋も見受けられた。そこには煙突えんとつがあり、煙が上がっている。火をあつかう場合はそこを使用するということか。立ちのぼけむりだが、ここまで森の奥ならば保護区の外から目撃されることもないだろう。


 家の軒下のきしたで広げた獣のかわの肉ぎを行っているものがいる。手に持っているのは石をけずり出したナイフか。手先を注視ちゅうしすると狼人族ウルフェンの手は体毛以外は人間と酷似こくじしている。やたらと爪がするどいということはない。もしかしたら手先は器用なのかもしれない。


 何やら糸をつむいでいる狼人族ウルフェンがいた。最初にあった狼人族ウルフェンよりも身体からだつきが丸い。めす、なのだろうか。そばに置かれたかごの中には白い球状の物がたくさん入っている。おそらく昆虫のまゆ。どうやらそれをほぐして絹糸きぬいとを作っているようだ。中身のさなぎも別のかごに集められている。それをどうするのかは不明。


 駆け回っていた小柄こがら狼人族ウルフェンがユウ達を見つけた。子供らしい。その子供の狼人族ウルフェンはまずディナを見つけるなり目をかがやかせて、こちらに走り出そうとするが、すぐ側に見慣みなれない人間の姿を見つけて硬直こうちょくする。


「よぉシェサ!元気にしてたか?」


 ディナの方から声をかけると曖昧あいまいに手を振って挨拶あいさつする。ディナにかまいに行きたいが、そばにいる他の人物が怖くて近寄れない、そんな葛藤かっとう垣間かいま見える。


「……レイのせいでおびえられてるじゃない」


「あの子にとっちゃ俺もお前もユウも大差ないだろう」


 違うということはそれだけで恐怖の対象になりうる。それは人間の歴史が他のどの生き物よりも如実にょじつに証明している。


「まぁまぁまかしとき。うちがばっちり仲良くなったるさかい」


 ユウは自信満々に宣言する。しかしそれも当然といったところか。ディナと彼らの仲を見ていれば、彼らが人間という種族に対して潜在的な敵愾心てきがいしんを持っていないことは明らかだ。言葉も通じる。小鬼族ゴブリンの時よりもよっぽど可能性は高いと言えよう。


 親愛と好奇と警戒の視線を向けられながらユウ達はその集落の中を横切った。


「……………」


 シェサと呼ばれた狼人族ウルフェンの子供が物陰ものかげに隠れつつ、遠巻きに後を付いてきていた。怖いが、気になる。恐怖心と好奇心、その中庸ちゅうようの距離。家屋の柱からのぞく耳と尻尾がピンとりつめている。


 ユウがそれに気づいて、半身振り向いて手を振る。


「――!」


 するとシェサはあわててなめしている最中のかわかげに隠れた。


 シェサの反応しかり、最初の警備とおぼしき狼人族ウルフェンの反応しかり。彼らの反応は極めて人間的だ。見ている限り生活様式も時代をさかのぼれば人間と酷似こくじしている。


 苦笑するユウの隣でかわかげからはみ出ている尻尾をながめつつ、レイは思う。


 自分が知っている魔族とあまりにも違い過ぎる。これでは、人間と何ら変わらないではないか。


 魔族には魔族のいとなみがある。それは分かる。彼らも生き物である以上当然だ。だがそれは、人間とはもっと異なったものであるはずだ。めすを中心とした共同体コロニーを形成して生きる小鬼族ゴブリンのような、そんな人間からすれば生活というより生態といったほうが正しいようなものであるはずだ。


 そう、思っていた。


 実際は、階級が上位になればなるほど魔族の暮らしの様子を人間は知らない。上位になれば知能も高くなり、戦闘能力も高くなる。人間領にんげんりょうに逃亡してくることもない。人間がその種族について知りうるのはその種族が戦場に置いてどれほどの脅威きょういとなるかぐらいだ。


 知らないものは、恐ろしい。つまりはそういうことだったのだ。分からないことが多い相手とは仲良くできるはずがない。逆にいえば、知ることができれば歩み寄りの可能性も生まれてくるということ。


 思えば、あの時レイが年老いた母オールド・ゴブリンの首を落さなかったのは、彼女の想いを知ってしまったがゆえ。知ることによって全てが始まっていく。


 恐る恐るこちらをうかがう黄色くて丸い瞳と目が合う。その瞬間、レイはもう狼人族ウルフェン躊躇ちゅうちょなく斬ることはできないとさとった。


「何止まってるの?……ああ、可愛いわね。でも早く族長に会わないと」


「……ああ」


 思わず立ち止まっていたレイがセラの言葉により我にかえってまた前を向く。


(だいぶ、ユウに感化されてきたようだ)


 そう苦笑交じりに心の中でつぶやく。そして本人が気づいているかは分からないが、それはセラも同じ。例え子供とはいえ、相手は魔族。それを可愛いなどと。


 レイがそんなことを思いながら進む内に、一軒いっけんの家へと辿たどりつく。


 一同が近づくと誰かが声をかけるより早く、家主が出入り口にかかる布を押し上げて顔をのぞかせた。


「親父!」


 その顔を見て、ディナが喜色ばんだ。それは相手も同じようで、その獣の口で不器用にニッと笑みを浮かべると梯子はしごを使わずに身軽に大地へと降り立つ。


「よく帰ったな!心配なんぞしてねぇがな!」


 言葉とは裏腹に、ふところに飛び込んだディナを強く抱きしめてその身体からだが浮くほどにぐるんぐるんと振り回す。最初にあった狼人族ウルフェンよりもさらにがっしりとした体躯たいく。戦場で猛威もういを振るう戦鬼族トロルとも殴り合いができそうだ。おそらく彼が族長なのだろう。


 振り回されたにも関わらずよろけもせずにディナは着地。


「本当かよ。あたしがいなくて不安で夜も眠れねぇんじゃねぇか?」


「馬鹿言え快眠だ!ぐっすり寝すぎて夢も見ねぇ」


 軽口の応酬おうしゅう。だが、そこには確かな親愛の情がある。それは二人の表情が何よりも確かに証明していた。


「なんでぃ、知らねぇやつが多いな」


 ディナの頭上しに族長はユウ達を一瞥いちべつ


「ここじゃなんだ。まずは中に入りな」


 そう言って今しがた出てきたばかりの家の梯子はしごに手をかけるが、それをディナが引きとめる。


「待ってくれ。こいつらのこともそうだが、まず、話をしなけりゃならねぇことがある」


 突然悲哀ひあいびたディナの声色に族長がまた彼女に向き直った。そして、ディナがふところから取り出した物を見て全てをさっしたようにその黄の瞳を細めた。


「ごめん。守れなかった」


 ディナが取り出したのは一本の組紐くみひも。彼女が自分の右腕に付けているものと同じ物だ。それを受け取った族長は鼻先に近づけてにおいをぐ。


「ああ、エディモの匂いだ」


「エディモ……じゃあこれの持ち主はアシャルカか……」


 族長がこちらの様子を遠巻きに見物していた狼人族ウルフェンの一体に声をかけると、すぐに二体の狼人族ウルフェンが連れて来られた。身体的特徴からしておそらく夫婦。


 族長から組紐くみひもを受け取っためす狼人族ウルフェンはしばし呆然ぼうぜんとそれをながめると、やがてボロボロと涙をこぼしその場に泣き崩れた。その肩をおす狼人族ウルフェンが抱く。


 おす狼人族ウルフェンは族長とディナに頭を下げると何も言わずに、泣き続ける妻を連れてその場を後にした。最後に、いくつかの感情の入り混じった視線をユウ達に向けて。


「――あたしがラドカルミアに行く前のことだ」

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