自然と共に生きる者達(2/8)

 教皇領きょうこうりょう大森林保護区だいしんりんほごく。そこは文字通り、樹木の枝葉が幾重いくえにもかさなり人の行く手をはばむ密林地帯である。その外縁がいえん辿たどり着いた勇者達は馬車を降りた。外縁がいえんに近づいただけで、植物のムッとした呼気が鼻につく。


 森に入る直前には、教皇の支持により保護区を警備している聖堂騎士の警備小屋があった。馬車で行けるのはここまで、後は徒歩とほで向かわねばならない。御者ぎょしゃの男性はユウ達が帰還するまではこの警備小屋で過ごすことになる。


 修道服しゅうどうふくの上から胴体をおお板金鎧ばんきんよろいを着こみ、槍で武装した聖堂騎士はディナの姿を見るなりれた様子で滞在日数をたずねると、特に何か言うでもなしに通行を許可してくれた。どうやらディナが保護区へ入るのは一度や二度ではないらしい。


「ここからはあたしが先導せんどうする。森の中ではあたしの支持にしたがうこと。絶対にはぐれるなよ。死ぬぞ」


 端的たんてきかつ強い語調ごちょうのディナの言葉に勇者一行は強くうなづいた。これほど深い森、ユウが入ったことがないのは当然としてレイもセラも入ったことがない。そこにひそむ危険の数々を考えると腕利うでききの二人といえど自分なら大丈夫とはとても言えなかった。


 森というものは恐ろしい。不規則に並ぶ樹木は人間の方向感覚を簡単に失わせ、あしからみつくつるやぬかるんだ地面は体力をうばう。日がれれば例え松明たいまつの灯りがあったとしても進むことは困難だ。それだけでも十二分に脅威きょういだというのに、その草葉のかげひそむ者達の存在を加味かみすればさらにその危険度は増す。毒蟲、毒蛇、これほど大規模な森ならば大型の肉食動物も生息しているだろう。あるいは魔物がいることも考えられる。死角から襲い来る彼らに常に警戒けいかいはらわねばならない。


 落ち葉の体積たいせきした腐葉土ふようどの地面をみしめ、森を進む。先頭はディナ、次にセラ、ユウ――と腕の中にさくらもち――と続き最後尾にレイがつく。いかなる状況でもユウを守れるようにこの隊列を常に維持いじする。


 樹皮じゅひ、花、果実、れた地面、様々なにおいの入り混じった不思議な香りがユウの鼻孔びこうくすぐる。全方位から感じられる命の気配。木々に生えているこけをなんともなしに注視ちゅうししているとそれが不意に動き出す。昆虫の巧妙こうみょう擬態ぎたい。一見何もいないように見える場所にも多くの命が息づいていた。


 葉擦はずれの音に交じって奇妙な旋律せんりつが聴こえる。上を見上げるとあざやかなかざり羽にいろどられた鳥が命をうたっていた。木々は空から降り注ぐ陽の光を誰よりも多くその身に受けようとその腕を伸ばし、天をおおう。その隙間すきまからちらちらとのぞく陽光が黒髪の勇者のあどけない顔貌がんぼう斑点はんてんえがいた。


 道なき道をディナは迷いなく進んで行く。彼女には進むべき方向が分かっているようだった。さながら、住みれた生家せいかにいるように。


 どれほど歩いただろうか。道中休憩きゅうけいはさみつつ保護区の中心部へ向けて歩き続けていたディナは、ふと立ち止まった。


「どしたん?」


 ユウのひたいにはじんわりと汗がにじんでいる。それはセラも同じだ。長時間の森歩きに疲労ひろうが溜まってきている。よほど身体をきたえている者でなければそろそろ体力的につらくなってくる頃合いだ。スライムを抱えていればなおのこと。


 そのよほど身体をきたえている二人の内の一人、最後尾を歩くレイが背中の長剣ロングソードつかに手をばした。


「……見られてるな」


 レイの鋭敏えいびんな感覚が自分達にそそがれる無言の視線をとらえた。一人ではない。正確な数は分からないが、複数ふくすうの何かが息を殺してこちらの様子をうかがっている。


 しげみのかげ、木の裏、樹上にも気配がある。すぐに襲ってくるような殺気は感じない。レイ達が何者かを観察しているのか。


出迎でむかえだ。ジッとしててくれよ」


 ディナはそういうと、無防備むぼうびに両手を広げて数歩前に出る。


「よぉ!帰ったぜ!客人がいるが、悪いやつじゃねぇってのはあたしが保証ほしょうする!集落にいれてくれないか!」


 ディナが声を張り上げてしばし、視線の主たちが姿を現した。その姿を見た瞬間、レイは条件反射で武器を抜きかけたが、なんとかそれを押しとどめる。セラも同様、呪文をとなえようと動きかけたくちびるみしめて表情が強張こわばる。ただユウだけは感心するようにおーと間の抜けた声をらした。


 その体躯たいくは人間とほぼ変わらない大きさと形だった。二足歩行、両手両足のバランスもほぼ人間と同じ。小鬼族ゴブリンのように骨格的に前傾姿勢ぜんけいしせいということもない。狼人族ウルフェンと言うぐらいであるから基本的な輪郭シルエットは人と酷似こくじしている。その全身が黒い剛毛ごうもうおおわれていることをのぞけば。


 つややかな黒い毛におおわれた身体からだには余分よぶん脂肪しぼうは一切見受けられない。野性の中できたえ上げれた肉体美をしげもなくさらし、衣服は腰布こしぬののみ。人間的な基準を当てはめればこの場にいる者達は全ておすなのだろう。腰布こしぬのかられる毛のたばが重力に逆らってゆらゆらとれている。尻尾があるようだ。


 身体からだと同じく毛におおわれた顔は鼻梁びりょうからり上がり、その鼻先と口は前方に突き出ていた。そこに側頭部そくとうぶから生える三角形の耳を合わせるとまさしくそれはおおかみ彷彿ほうふつさせる造形ぞうけいだった。狼人族とはよく言ったものだとレイは感心した。しかし一方で、こいつらが本当に人間に対して友好的な種族なのかとうたがわざるをえなかった。それほどまでにその姿はおぞましく凶悪な見た目だったのだ。


 レイの視線が素早く動き、状況を把握はあくする。現れた狼人族ウルフェンは四体。全て前方。背後に気配はない。もし一斉いっせいおそい掛かられた場合、すぐさまセラと場所を入れえ……などといったことをレイが無意識に思考している最中、その狼人族ウルフェンの一体が鋭利えいりな牙の生えた口を開いた。


「ディナぁ!ひさしぶりじゃねぇか!ええ!族長がさびしがってらァ!」


 その口の形状では少々しゃべりづらいのか、舌ったらずの濁声だくせい。しかしてそのおおかみ双眸そうぼううつるのはまぎれもなく再開の喜び。そのあけすけな態度たいどにレイとセラは思わず亜然あぜんとして空いた口がふさがらなくなった。


「最近はいそがしかったんだ。異端審問官いたんしんもんかんも楽じゃねぇの!」


 そう言ってディナは何の警戒心けいかいしんもなく狼人族ウルフェンの胸に飛び込んだ。むかえる狼人族ウルフェンもまた同じ、その黒い体毛で人間の少女を包み込む。他の狼人族ウルフェンもそのまわりに集まってディナの帰還きかんを喜んでいるようだった。


「あっ!コラケツさわんなッ!!」


 抱擁ほうようはディナが狼人族ウルフェン顎下あごした頭突ずつきをらわせたことで終わる。一瞬ふらついた狼人族ウルフェンはぶるぶると頭をふるわせつつ、


「ったく、相変わらずさわ甲斐がいのねぇケツだな!もっと肉つけろ!それじゃあ人間のおすにもモテねぇぞ!」


「うるせぇな!余計なお世話だよ!」


 そう言ってガハハと二人して笑う。頭突ずつきをかましたディナもそれを受けた狼人族ウルフェンも、まるで気を害した様子がない。一種の挨拶さいさつのようなものらしい。


「それで、そいつらは?教団の関係者にゃあ見えねぇが」


 狼人族ウルフェンはその突き出た鼻をくんくんと動かし、


「しかも、そこのガキは、もうだいぶうすまってるがみょうにおいがしやがる。生まれは近隣きんりんじゃねぇな。それになんでぃ、スライムなんか抱えやがって」


「はぁー、えらいようく鼻やなぁ」


 感心しっぱなしのその少女のことをどう説明したものかとディナは少し思案しあんし、


「――教皇以外に魔族と仲良くしたがる変わり者、かな。あとの二人は御守おもりだ。いちおうおえらいさんだから乱暴な扱いはしないでくれよ」


 ディナの言葉に狼人族ウルフェン達はその獣の双眸そうぼうでユウをながめる。単純な表情の変化ではまだユウには彼らがどんな感情を自分に抱いているのかはかることはできなかった。


 そして一体がまたガハハと声を上げて笑う。


「面白いガキだな!俺らを前にして恐れも緊張きんちょうもないときたか!きもわってやがる!」


 心の変化による発汗量はっかんりょうの変化。人間の身体からだ雄弁ゆうべんにその内心を語る。狼人族ウルフェン嗅覚きゅうかくがあればその声をくことは容易たやすい。


「来いよ!集落に案内するぜ。なんのためにここに来たのかは知らんが、ディナが連れてきたんだ。悪い話じゃないんだろう。まずは族長に会ってくれ」


「お、ほな、よろしゅう頼むわ!」


 ディナはよほど彼らに信用されているらしい。そしてユウはうながされるまま、何の警戒心けいかいしんもなく彼らの後を付いていく。あわてて護衛ごえいの二人がその背中を追った。


 魔族に連れられてもうしばし森の中を歩くと、不意に視界が開けた。


「――おどろいた。人間領の中にこんな場所があっただなんて……」

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