紅髪の異端審問官(6/7)

「――じゃ、お先にッ」


 言うやいなやディナがはしった。数十歩分の距離が一瞬にして詰まる。だがディナの射程しゃていに入るより先に銀の輝きがひらめいた。


 地面と水平にぎ払われた長剣ロングソードの一閃。ディナの方から見れば盾のかげから不意に現れる奇襲攻撃だ。盾を常に前方に構えるのは防御のみならず長剣ロングソードを隠すかげを作るため、見えざる位置から放たれる高速の一撃はユウの元いた世界に存在する居合いという技術に似ている。


 ディナの身体からだかすんだ。後の先をとったレイの一撃を上体をグッと下げることで回避、そのままレイへと肉薄にくはくする。顔面を盾にこするほどの密着、一瞬、レイの視界からディナが消える。盾が生み出す死角を利用できるのは持ち主だけではない。


「ツァッ!」


 盾を左手でつかみ無理矢理こじ開けた隙間すきまにディナの右中段りがじ込まれた。ここまで接近すればレイの持つ得物はもはや不利。リーチの長さを生かせない。


 剣を持つ左手が折りたたまれて脇腹を防御ブロックりを受けた下膊部かはくぶがビリビリとしびれる。そのレイよりも一回り小さい体躯たいくから放たれたとは思えない重い一撃。


 すぐさまレイは背後に一歩下がると即座そくざに転身、移動のベクトルを真逆に変え、突進。りを放ち体勢の崩れたディナを殴りつけるように盾で強打する。長剣ロングソードと盾を一体として扱うのがレイの戦闘スタイル。盾に攻撃力はないと見限る者は打ちのめされたあとでその認識があやまっていたと知ることになる。


「チッ」


 ディナはこれを両腕を交差させて防御、ガツンという硬質こうしつな音を響かせながら後方に下げられる。そしてそこは長剣ロングソードの間合いである。即座にまた横薙ぎの一閃が振るわれた。敵の攻撃を受けてからの反撃で一気に決める。これもまたレイの基本的な戦闘スタイル。だがそれは、彼女もまた同じだった。


 レイはこの一撃で決着するかと思った。後方にはじかれて不安定な姿勢のディナに、レイの高速の一撃が回避できるとは思えない。しかし彼女の瞳を見た瞬間、レイはみょうな違和感を感じる。その瞳はいまだありありと闘志を燃やしていた。回避できないことは彼女にも分かるだろうに、なぜ――


 ガキィンッ!


 寸止すんどめするつもりだった長剣ロングソードが、自分から当たりにいったディナの右腕にはじかれた。響く音は金属に斬りかかったような硬質こうしつな音、腕に伝わる手応てごたえもそれと同等。


 不適ふてきな笑みを浮かべたディナが反撃のために前に出ようとした、が、すぐに思いとどまる。はじかれた瞬間にすぐに剣を引き戻したレイは後方へ引きつつもすでに臨戦態勢りんせんたいせいを整えていたからだ。数歩分の距離をはさ相対そうたいする二人、状況は最初とまったく同じとなる。これほどの攻防をこなしていながら二人とも息の一つも乱していないので、余人よじんは時間が巻き戻ったかのような錯覚さっかくを受けるかもしれない。


 レイはすき無く構えつつ、視線を細めてつぶやいた。


「……練魔行れんまぎょうか」


 そのつぶやきにディナはまゆひそめ、


「おいおい、これでもローティス教の異端審問官いたんしんもんかんだぜ。練魔行れんまぎょうじゃくて、練命行れんめいぎょうって言ってくれ」


 そしてまだまだこれからと右腕を前に出して構え直す。その腕、さきほどレイの長剣ロングソードの一撃をはじいた場所は血どころか服がけてもいない。無論、衣服の下に仕込まれた鉄板が露出ろしゅつしているというわけでもない。


 練魔行れんまぎょう、もとい練命行れんめいぎょうきわめて会得者えとくしゃの少ない秘儀ひぎである。その本質は魔法以外での魔力の有効利用にある。生命力たる魔力を自身の身体からだの一部分に集中、筋力や皮膚ひふ硬度こうどなど肉体を一時的に賦活ふかつする。それは魔法以上に繊細せんさいな魔力操作であり、きわめた者は一瞬だけ魔力の防壁をまとうことで自身の硬化こうかした皮膚ひふと合わせて刃すらもはじくという。


 だがこの練命行れんめいぎょう、ほんの少し魔力の調整をあやまっただけで破滅はめつへといたる危険をはらんでいる。というのも、基本的に肉体に作用する魔法は禁忌きんきとされているからだ。もちいれば魂の形がゆがみ、生き物としての形を維持いじできなくなると言われている。錬命行れんめいぎょうはその境界線きょうかいせんえないギリギリに位置する。変化ではなく引き出す。その者の持つ潜在能力ポテンシャルを引き出すことが練命行れんめいぎょう極意ごくい。つまり潜在能力ポテンシャルが高くなければまともに効果を実感することはできないということだ。


 その潜在能力ポテンシャルを高めるために、練命行れんめいぎょうおさめんとする者は自身の肉体を限界までめ抜くと言う。その修行はまさしく苦行くぎょうだ。魔力の認識という魔法師の第一歩を踏み出しておきながら、それの修行ではなく肉体の鍛錬たんれん生涯しょうがいの多くをついやすことになる。それをいったいどれほどの者が看過かんかしえようか。


 しかしレイの目の前にはその地獄のめ苦を耐え抜いた少女が確かにいる。修道服しゅうどうふくのような衣装の下にはその証拠たる極限きょくげんまでしぼり込まれた肉体が秘められているに違いない。女の身、それもその歳で異端審問官いたんしんもんかんという職にいているのだから何かしら理由があるのだとは思っていたが、まさか錬魔行れんまぎょう、もとい練命行れんめいぎょうとは。


 なお自然であることを主教義しゅきょうぎとするローティス教は魔法というものをあまり好ましく思っていない。魔力によって自然に干渉かんしょうし、通常はあり得ざる事象じしょうを引き起こすのが魔法であるからだ。しかし、今や人々の生活を支える重要な技術となりつつある魔法を頭ごなしに否定したりはしない。それはいわば火と同じ物。それがなければ人々はいまだに夜の闇におびえ動物的な生活を送っていただろうが、それを得たがゆえに多くの森が焼かれ、多くの命が失われることになった。魔法も同じ、人々の生活を豊かにもするし容易たやすく人の命をうばいもする。安易あんいな使用はひかえるべき、というのがローティス教の見解けんかいだ。


 ゆえにディナは自分の技術を練命行れんめいぎょう呼称こしょうすることにこだわる。曲がりなりにも異端審問官いたんしんもんかん体裁ていさいの問題だ。


(……ふむ)


 ディナの会得えとくしている技術が分かったところで、レイはどうやってこの場をおさめるか考えた。寸止すんどめを考えた速度で剣を振るえば練命行れんめいぎょうによる硬化こうかふせがれて有効打にならない。かといってディナが感知しえないほどの速度とタイミングで、つまり練命行れんめいぎょうが発動するよりも速く剣を振るえば寸止すんどめはできない。寸止すんど前提ぜんてい、そんな生半可なまはんかな攻撃が通るほどディナは甘くない。


 彼女は強い。しかし手心を加えたり自ら負けを認めれば彼女は怒るだろうし、武闘家としての自尊心プライドを傷つけてしまうかもしれない。やると言ったからには全力で勝ちにいかなければ彼女に失礼だ。


 それにもちろん、レイにも一の騎士団ナイツオブザワンとしてのほこりがある。例え組手と言えど、ラドカルミア最強の精鋭部隊がそうそう負けるわけにはいかないのだ。


「じゃあ、そろそろもっかいいくぜッ!」


 再びディナが疾駆しっく、レイが反射的に盾を構えた。また盾を押しのけてくるようなら今度はその前に盾で体勢を崩す。


 しかしまた盾まで肉薄にくはくしたディナはそのまま右腕を振りかぶり攻撃体勢に入った。盾という体術で打ち砕くにはあまりにも強固な守りに狙いを定め、全霊の一撃を叩き込む。


せきッ!!」


 裂帛れっぱくの気合いと共に放たれた掌底しょうていを盾が受け止める。厳密げんみつには、受け止めたかに思われた。


 衝撃しょうげきは盾ではなくその後ろ、盾で隠れているはずのレイの胸を打った。大きなダメージになるようなものではなかったにしろ、予想だにしない衝撃しょうげきにさしものレイも一瞬呼吸が止まり、体勢を崩して後ろへと後ずさる。


(魔力を飛ばしたのか――!)


 盾をへだてて胸を打ったその攻撃の正体を、直感的にレイはさとる。その不可視の打撃は呪文もなしにただ放たれた魔力の塊だ。ある意味魔法師以上に魔力の扱いに長けた彼女だからこそできる芸当。物質的な障害を透過し、実際の打撃からワンテンポ遅れて顕現けんげんする打撃の前では盾は意味をさない。


 下がるレイにディナが追いすがる。追撃を行わせないために、不安定な姿勢ながらも放たれた長剣ロングソードの突きをレイの右側面に回り込むように回避、常に盾に密着する形、常にレイの死角に移動する動き。


せきッ!!」


 再び盾越しの一撃、見えざる拳がレイの肩を打ち、盾を持つ右腕が衝撃しょうげきに引かれる。それに合わせてディナはさらに肉薄にくはく。内に入れば入るほど長剣ロングソードはその大きさがあだになり振れなくなる。対してインファイトこそディナの徒手空拳としゅくうけんがもっとも生きる距離。


 ゆえにレイは――


「――ッ!?」


 盾のかげからしなるように振るわれた拳をディナは咄嗟とっさに右腕で防御ブロック、振るわれた腕には先ほどまでにぎられていた得物がない。この距離では逆に不利とさとった瞬間に何の迷いもなくレイは長剣ロングソードを手放していた。


(殴り合い上等ッ――!!)


 しかし無手での戦闘はディナに分がある。だからこそフェアになるように組手の最初に武装をうながした。攻防の最中にレイが武器を落したというのなら、それはディナが落させたということ。何の問題もない。そもそも、まだレイには盾がある。それが一防具のわくおさまらない武装であることをすでにディナは知っている。


 盾が動いた。次に来るであろう衝撃しょうげきそなえてディナがガードを固めようとする、が――


 クンッ


 ディナの体躯たいくが不意に横に流れた。おのれの意思でない重心移動にさしものディナも体勢を崩す。先ほどガードしたレイの左腕がそのままディナの右腕をつかんで横に引っ張ったのだ。


練命行れんめいぎょう――)


 自由に動く左腕で顔面をかばい、腕を硬化こうか。盾によるなぐりにそなえたディナ。だが、来るはずの攻撃が来ない。そして盾の背後にレイの姿がないことに気づく。


 盾を動かしたのはフェイク、注意を盾に集中させるため。密着しているがゆえ、ディナの視界はほぼ全て盾でおおわれてしまっていた。


 レイの姿が見えずとも、相変わらず腕はつかまれている。つまり、すぐ側にはいるということ。それで見えないということは……。


 ディナが気づくより先に長剣ロングソードのようにするどい一撃が不安定な体勢の彼女の両足をはらった。ディナの腕を引きつつ限界まで姿勢を下げたレイが地面をけずり取るように低くりを放ったのだ。引っ張られる腕とは逆に両足がり取られたことでディナの体躯たいくが大地と水平に浮く。


 一瞬の浮遊感ふゆうかん刹那せつなの攻防でありながら、空を飛んでいるかのようだ、とディナは妙な感慨かんがいを覚えた。


 が、次に待っているのは地面との熱い口づけだ。その来るべき衝撃しょうげきそなえてディナは身構みがまえる。その身体からだが文字通り、空を泳いだ。つかまれた腕が強く引かれて若い異端審問官いたんしんもんかん身体からだは遠心力のまま螺旋らせんえがく。


 そして――


 手放した盾がバタンと音を立てて多くの巡礼者じゅんれいしゃによってみ固められた街道の路面ろめんに転がった。それを保持していたはずの腕は今は別のものを抱えている。布地越ぬのじごしでも分かる。乙女おとめと聞いて想起そうきするような柔らかさとは無縁の内臓が収納しゅうのうされているのかどうかすらうたがわしいほどにしぼり込まれた腰回り。


「――これで満足してくれないか」


 頭上からる声。吐息といきが髪にかかるほどの至近距離。身体からだ全体に伝わってくる体温。口づけをしたのは大地ではなく、革鎧に包まれたレイの厚い胸板だった。片腕一本で振り回されたディナはそのままレイのふところへと抱き留められたのである。つかまれた腕はそのままに、レイの右腕はディナの腰に回されている。さながら舞踏会ぶとうかいでのおどりの一幕いちまく


 一瞬、何が起こったのか分からず呆然ぼうぜんとしていたディナだったが、状況を理解すると苦笑。


「……これでも教皇領きょうこうりょうじゃ負けなしだったんだが、まいったよ」


 その優美ゆうびな体勢とは裏腹に、これほどの密着姿勢ではディナも攻撃しようがなかった。このまま体重をかけて押し倒されればそれを逃れる術はない。もっとも、相手が並みの暴漢ぼうかんであるならばいかようにも逃れる手段はある。が、この場合相手は並みではない。間違いなく、最上級だ。


「あんたにだったらこのまま抱かれてもいい」

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