第二章

紅髪の異端審問官(1/7)

「―――――」


 文字にすることのできない奇妙で奇怪な音。おおよそ言語とは思えないそれには魔力に作用する特殊な韻律いんりつ圧縮あっしゅくされてふくまれている。その得意な発声法によってつむがれた音は一瞬であったが、人間の魔法師が同じだけの効力を持つ呪文をとなえるのならば数十秒はかかるだろうか。


「〈見えざる刃、舞え〉」


 そして魔法を完成させる最後のワードが口にされた。


 刹那せつな――


「がああああああッ!?」


 耳をつんざくような悲鳴があがった。悲鳴をあげたのは魔法を発動させたモノに接近していた人間の男。革鎧に片手剣と丸盾、その装備からごく一般的なラドカルミア王国の兵士だと分かる。もっとも、それも数瞬前までの話だ。足先から頭頂部とうちょうぶまで、その身体からだ全体から赤いきり噴出ふんしゅつさせて兵士は断末魔だんまつまと共に絶命し、物言わぬ肉塊にくかいと化した。


 彼の命をうばった傷はどうやってつけられたのか知識の無い者にはまるで理解しがたい形状をしていた。例えるなら、全身が刃でできた大蛇に巻きつかれて絞殺こうさつされたかのような、螺旋状らせんじょう裂傷れっしょうが全身をのたくっているのである。傷が全身におよんでいるせいでそこに生前の面影はなく、もはやただの赤い頭陀袋ずたぶくろだ。


 そのあまりにもむごい仲間の死に気が付いた他の兵士が、魔法を使ったのがなにものであるかを目視、その表情から先ほどまでの気勢きせいがサァッと音を立てて引いていく。


 ここはラドカルミア王国の最北端にして最前線。人間が住まいあるじとして君臨くんりんする領域と、魔族が住まい魔王が支配する領域の境目さかいめ。人間と魔族が絶えず小競こぜり合いを続けている戦闘区域だった。奪い取っては奪い取られを繰り返すその大地には常に死臭ししゅうただよっている。どれほど空が晴れわたっていようとそこに植物が根付くことはなく、空を舞うのはちょうではなく敵兵をつらぬ矢羽やばねであり、禿鷹はげたかなどの翼を持つ腐肉食動物スカベンジャーだ。


 ここ最近は大きな戦闘行為はあまり発生していないが、散発的さんぱつてき衝突しょうとつ頻繁ひんぱんに発生している。というのも、昼夜問わず何の脈絡みゃくらくもなし少数の魔族が人間側の領土に突撃してくることがままあるからだ。それは魔族側としても計画的な襲撃ではあるまい。知能の低い魔族が硬直こうちょくした戦況に我慢がまんできずに突っ込んでくるのだ。だが、魔族側にも戦術を考慮こうりょできる指揮官しきかんはいる。そういった低能な魔族であれ戦力は戦力、ただで失うのはしいとそれを機に集団的に襲撃を仕掛けてくることも多い。


 今回の戦闘のきっかけもそういった事にたんを発している。


 だが、今回は少しばかり異常な開戦の狼煙のろしとなった。


 唐突とうとつに魔族領から人間領へと突撃したのは小鬼族ゴブリンの一団。小鬼族ゴブリンはその繁殖はんしょく能力の高さからもっとも魔族陣営に多い種族である。またその知能はあまり高くない。こういった突撃は別段珍しいことではなかった。だが、奇妙なことに、彼らは武器を持っていなかった。しかし今となっては彼らがなぜ武器を持たずに人間領へと突撃したのかを知る者はいない。彼らが矢で貫かれて絶命するまでの間に、、もはや知るすべはない。


 とはいえ下っとはいえ同じ魔族である小鬼族ゴブリンが殺されたことで、他の魔族達が激昂げっこう各々おのおのの種族ごとに突撃を敢行かんこうし、今にいたる。


 戦術も何もない魔族達の突撃を人間がむかえ撃ち、押し返す。しっかりと護りを固めていた分、此度こたびの戦闘は人間側に風が吹いていた。少しずつ戦況がかたむき、魔族達が押し戻されていく。


 このまま殲滅戦せんめつせんに移れるのではないか――人間の兵士たちがそんな希望を抱き始めた矢先やさき、彼女が現れた。


長指族マギアスだあアァッ!!」


 一人の兵士が叫んだ。今しがた仲間を無残むざんな姿に変えた存在、超絶的な魔法技術を駆使くしする恐るべき魔族の名を。


 その体躯たいくは人間的な基準で言えばせ細っていた。胴体が異常に細く、アンバランスに手足が長い。長指族という名の示す通り、その手から伸びる指は人のそれより関節かんせつが一つ分多く、長い。人型ではあるが、どことなく昆虫を想起させるような輪郭シルエット。その不気味な体躯たいくとは裏腹にその白皙はくせき顔貌がんぼうは女性的な美しさをそろえている。しかしそのひたいには人間にはない紅い宝石のような奇妙な器官が象嵌ぞうがんされていた。


 長指族マギアス。その名は魔王の属する魔神族デモリスいで人間に恐れられている名である。魔族の絶対的な力関係を表す種族階級は二位。言いえれば魔神族デモリスいで高い戦闘能力を持つということだ。


 どう見ても激しい肉体運動には不得手ふえてな外見をした彼らがその地位にいるのは、一重ひとえにその生まれ持った魔法適性てきせいゆえである。


 彼らはそのひたいの紅い宝石のような器官で魔力そのものをるという。人間が修行と才能によって獲得かくとくする魔力を感知する能力を生まれながらにして持っているのである。しかもその精度せいどは人間のそれとは比較ひかくにならないほど鋭敏えいびんだ。それによって彼らは一切の無駄なく効率的に魔力をあやつり魔法を使う。戦場において人間の魔法師が武装した兵士十数人に匹敵ひってきする戦力になると考えれば、それより卓越たくえつした魔法技術を持つ長指族マギアスがどれほど大きな戦力かはかることができるだろう。魔法とはそれだけ強力な力なのだ。


「―――――」


 長指族マギアスの女がまた圧縮言語によって呪文を詠唱えいしょう、周囲の兵士達が逃げる間もなく魔法が発動する。


「〈見えざるつい、打て〉」


 同時に三方向に放たれた不可視ふかし衝撃波しょうげきはが兵士達を打った。一人は胸、一人は脇腹わきばら、一人は肩。何もない空間から襲った見えない打撃、その重さによって骨のくだける不快な音がひびいた。傍目はためからなら、急にその部位が水圧に押し込まれるがごとくへこんだように見えただろう。無駄に身体からだごと吹っ飛ばすようなおおざっぱな衝撃しょうげきではなく、その一点だけに集中された一撃は当たった部位だけを的確てきかくに破壊する。革鎧など何の役にも立たない。胸と脇腹わきばらを打たれた二人はその衝撃に内蔵が破裂し、即死。肩を打たれた一人は激痛に地面をのたうち回る。ショック死していた方が長く苦しまない分まだマシだったかもしれない。


「弓兵、構えエェェッ!!」


 指揮官しきかんと思われる一人が声を張り上げた。後方にひかえた弓を持った兵士達が一斉いっせいに矢をつがえる。


 魔法という遠隔えんかく攻撃手段が存在する中で、弓矢の殺傷さっしょう能力は低いと言わざるをえない。相手が鎧で武装していたり、そもそも鎧を着こむ必要がないような強靭きょうじん外殻がいかくまとっていた場合、その殺傷能力の低さは顕著けんちょに現れる。だが、それでも弓矢が現役で戦場で用いられているのは、それが魔法を使うもの達にとって天敵となりうるからだ。


 魔法を使うものは人間にしろ魔族にしろ精神集中のさまたげにならぬように重い鎧をけ、軽装を好む。その上、呪文の詠唱えいしょうという手順をむ必要がある魔法は咄嗟とっさの防御は技術的に不得手、そこに矢が刺さるというわけだ。


 山なりに放たれた矢の一群が長指族マギアスせまる。が、それは命中の直前に見えない力によって叩き落される。圧縮言語による魔法の高速発動。だが、それはある程度ていど人間側も想定済み。


かまうな!ち続けろォッ!」


 相手の魔法がいかに発動するのが早かろうが、その効果は見たところ一瞬のもの。ならば、絶え間なく矢を放ち続ければ何本かは魔法の間隙かんげきって本体に届く。


「―――――、〈光よまどえ〉」


 第二射が放たれるより早く、長指族マギアスの魔法が発動した。その瞬間、兵士達のつがえた矢じりの先から長指族マギアスの女の姿が消えた。


 どこを狙うべきか、兵士達が混乱する中、魔族領側の奥から敵の増援ぞうえんげる咆哮ほうこうひびいた。

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