深窓の才妃(5/8)

「かいみゃく?」


 聞きれない単語にユウが聞き返す。魔法にうといレイが知らないのは当然として、セラも聞いたことがない単語だった。


「“界脈かいみゃく”とは文字通り世界の脈動みゃくどう。世界が大きく動いた時、変化した運命が世界全体に行き渡る脈拍みゃくはく余波よは。分かりやすく言えば、界律魔法かいりつまほう行使こうしされた際に発生する現象げんしょうです。勇者召喚の時にも確認されていますよ」


「やっぱり……」


 小さく呟いたのはセラ。ユウの力は界律魔法並みのものではないかと彼女は以前からうたがっていた。


 だが本当に界律魔法だと分かった衝撃しょうげきはかり知れない。それは本来、準備に何年もかけ、王国屈指くっしの魔法師が数人がかりで行使する術なのだから。


「ではやはり、スライムや小鬼族ゴブリンが大人しくなったのは勇者の力で間違いないわけですね。魔物、魔族を種族全体ごと大人しくする界律魔法……それを行使できるのが勇者の力……」


 感極かんきわまったようにレイはそうこぼした。いまだ確証かくしょうのなかった希望が、まばゆいばかりの光を放ちだす。魔族との争いが終結しゅうけつし、人々が恐怖におびえることなく生を謳歌おうかできる、そんな夢物語のような未来への道がひらかれた。


 だが、騎士であるレイ以上にそれを望んでいるはずの王妃おうひは否定の言葉をつむいだ。


「いいえ。勇者の力が界律魔法を行使できるということは確かでしょうが、それの効力は魔族を大人しくする、といったものではないでしょう」


 おそらくラドカルミアでもっとも界律魔法にくわしいであろう魔法師が続ける。


「界律魔法は運命に作用する魔法。目に見えない大いなるものに作用さようする力なのです。そんな目に見えた効力こうりょくはありません」


 だからこそ、そんな曖昧模糊あいまいもことしたものだからこそ、今まで乱用されることがなかったのであり、魔族がそれをもちいることもない。


「運命を変える、とは言いかえるならば“”を生み出す、とも言いかえる事ができます。――勇者ユウ」


 不意に名を呼ばれたユウがびくんとして身構みがまえる。しかし、セルフィリアの視線はユウの顔から落ち、そのひざの上へ。


 いつも勇者の側にいて、決して暴れることのない彼女の異形いけいの友人、さくらもちへと。


貴女あなたはそのスライムを抱いたとき、そして“勇者特区”にいる小鬼族ゴブリンの母と手をむすんだ時、何を想いましたか?どのような“可能性”を願い、求めましたか?それを生み出す力が貴女あなたの力なのではないかと、私は思います」


 ユウも視線を落してさくらもちを見やった。相変あいかわらずその友人は時折ときおりプルプルとふるえるだけで何も語らない。語るすべを持たない。


 最初は、生き物への慈愛じあい以上の感情はなかった。生きていると思ったから、死んでほしくなった。だが今は違う。この薄桃色うすももいろの中には確かな意思があるとユウは確信している。言葉も多少は理解しているのではないかと思っている。ユウがさくらもちへ抱いている感情はもはや慈愛ではなく愛情であり親愛しんあいだ。


 みずうみのスライム達がセラの魔法によって駆除くじょされようとしている時、ユウはなげいた。命をうばう以外の方法はないのかと、人間とスライムが仲良く生きていける方法はないのだろうかと探し求めた。


 そう、ユウは仲良くしたかったのだ。それこそがいことだと信じているから。


 であるならば、あの時、ユウが願った可能性は――


 その時、ひかえめに扉がノックされると年配ねんぱい侍女じじょがしずしずと入室し、セルフィリアに耳打ちした。


 一つうなづいたセルフィリアがユウ達に向き直る。


「今日はまねきにおうじてくれてありがとう。とても興味深きょうみぶかい話を聞けたわ。でももうお開きね。屋敷にこもっていても、公務こうむ隙間風すきまかぜのように忍び寄ってくるの。リンシア」


 と、母がとなりの娘を見やると、金髪が同じテンポで前後にれていた。退屈たいくつふねいでいるようだ。


「え、あ、寝てないわよ?」


 名前を呼ばれたことで覚醒かくせいしたのか、あわてて取りつくろうが母は苦笑しつつたしなめる。


「いけませんよ。王族である以上、上辺うわべだけで何も心のこもっていない賛辞さんじを何時間もかされることもあります。そういう時、今のようにふねいでいては相手の心象しんしょうを悪くしますよ。……それはともかく、今日はもう貴女あなたの友達は返します。好きに遊ぶといいでしょう。それと、せっかくだから今日はまっていきなさい。ひさしぶりに貴女あなたの寝顔を見せてちょうだい。もちろん友達もね」


 そう言ってユウに微笑ほほえみかけるセルフィリアは、〈深窓しんそう才妃さいき〉という仰々ぎょうぎょうしい肩書かたがきなどない、初めて娘が友達を家に連れてきたことを喜ぶ母親以上の何者でもなかった。


「今日はいろいろ教えてもうて、ありがとうございました」


 ユウが頭を下げた。その背後はいご護衛ごえいの二人もそれに続く。長話の間、二人はずっと立ちっぱなしだったが、それを苦痛に思うような二人ではない。


「私達がび出したんですもの、知りうる限りを伝えるのは当然です」


 そこで不意にセルフィリアが微笑ほほえみを消す。


「ただ、制約せいやく代償だいしょうのない力は存在しません。努々ゆめゆめそのことを忘れてはなりませんよ」


 セルフィリアと同じく、真剣な面持ちでユウはうなづいた。眼前がんぜん偉人いじんの言葉を深く胸にきざみ込む。


 〈深窓しんそう才妃さいき〉は何かに思いをせるように、少しかたむいてきたの光が差す窓の向こうに視線をやった。まだ夕刻ゆうこくには少しばかり早く、どこまでも続くあおい空をうすい雲が行く当てもなく旅している。


「――かつて、はるか昔に一度、勇者召喚がされました」


 記憶を手繰たぐり、セルフィリアは語る。


 勇者召喚でび出された勇者はユウが初めてではない。ユウの時よりももっと膨大ぼうだいな時間と労力をかけて、もっと大きな人々の希望を背負ってこの世界にいざなわれた者がいる。


「その時の勇者に与えられた運命は、〈魔王をつ者〉。そしてその運命のまま、勇者は魔王をちました。勇者召喚は確かに成功していました」


 だが、まだ魔族は存在し、依然いぜんとして人々の脅威きょういであり続けている。


「しかしその勇者は魔王をった直後、名もなき魔族によって殺されたそうです。魔王をうしなったことで魔族の勢力せいりょく北方ほっぽうに追いやることには成功しましたが……あとは言わずとも分かるでしょう。魔族を根絶こんぜつすることはかなわず、また新たな魔王が生まれ、再び魔族は力をつけつつある」


 セルフィリアがその叡智えいち慈愛じあいたたえた碧眼へきがんを、まだおさない勇者へ向け、手を差し出す。狼狽ろうばいした勇者だが、握手あくしゅを求められていると分かるとユウは立ち上がって右手を伸ばし、おずおずとその手に手を重ねた。


 娘とそう歳も変わらない少女の右手を母の温かな両手がつつむ。


「運命とはいくらでも変わりうるもの、そして永遠に続いていくもの。いさましき者よ、決して死なぬことです。貴女あなたが生きている限り貴女あなたの運命はつむがれる。良からぬ方へかたむいても貴女あなたがいればまた変えられる。び出した我らが言えることではないかもしれませんが、どうかお気をつけて。私の娘、リンシアのためにも」


「……分かりました」


 ユウがその時どんな表情をしていたのか、背後はいごひかえる二人の護衛ごえいには見えなかった。


 この少女は、少々しょうしょう自分の命をかろんじるきらいがある。誰かのためならば平気で自分の命を差し出す危うさがある。その心に、前の世界で負ったまだえていない傷があるのを二人はさっしていた。


 レイとセラは、この滅多めったに人前に現れない王妃おうひ並々なみなみならぬ敬意けいい尊敬そんけい、そして忠誠ちゅうせいを覚えた。王妃おうひは二人がまもると決めた勇者にもっともかけて欲しい言葉をかけてくれたのだ。この人と夫のエルガス王、この二人がおさめる国に生まれてよかったと、心の底から思う。


 そうして一同は応接室パーラーを後にした。部屋にはセルフィリアだけが残される。


「中庭に行きましょ!そこにね、噴水ふんすいがあるの!夕方にはの光がうつってとっても綺麗きれいなのよ!」


 退屈な時間から解放され、反動から元気いっぱいにはしゃぐリンシアに先導せんどうされて一同は屋敷の中を行く。


 中庭への道中、玄関ホールに来る時には見なかった人物がいるのにユウは気付いた。


 白地に緑の装飾そうしょくほどこされた不思議な作りの衣装。王都にいると町中で見かける修道女しゅうどうじょと似たような服装だが、それよりもずっと動きやすそうに見える。


 何よりユウの目を引いたのはその夕焼けのようにあざやかなあかい髪だ。衣服の白、緑、そして髪の紅と三色のコントラストがいやおうでも人目を引く。


 その人物は何やら侍女じじょと話をしていた。玄関扉げんかんとびらが開いているのでどうやら今しがたやってきたらしい。もしかしたら、セルフィリアに耳打ちしたあの年配ねんぱい侍女じじょはこの者の来訪らいほうげていたのかもしれない。


 ふと視線に気づいたのか、その者の視線がユウの方に向く。ユウの黒瞳こくどうと獣のような黄色い瞳が交錯こうさくする。


 一瞬、ユウはその人物の性別が分からなくなった。野性的やせいてきなその眼差まなざしが少年のように見えたのだ。


 視線の交錯こうさくは一瞬、すぐにユウはリンシアにかされて屋敷の奥へと向かった。だからその来訪者らいほうしゃがユウに向けて何事かつぶやいたのにまったく気が付かなかった。


 気が付いていたとしてもこえる距離ではなかったが、その人物は口角こうかくを上げて笑みを浮かべつつ、こうつぶやいたのだ。


「――やっと見つけた」 

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