第一章

深窓の才妃(1/8)

「――で、どうするって……?」


 神妙しんみょう面持おももちで少女は問うた。


 すみを流したかのような漆黒しっこくの髪、くりっとした大きな目もまた夜空をうつしたかのような黒。この国では非常に珍しい色だ。としの頃は十四かそこら、まだ色香いろかには程遠ほどとおおさなげな顔つき。一般的な町娘や村娘というよりは旅人といった風の服装に身をつつんでいる。


 そもそも、ここは町でも村でもない。あえて形容けいようするならば村になろうとしている開拓地かいたくち、か。


 現地で伐採ばっさいした木材からつくった小屋がいくつか並び、そのわきにはいまだ無加工の材木が転がっている。奥に視線を向ければたがやした地面も見える。畑であることは確かだが、そこから実りが得られるにはまだ当分時間がかかるだろう。


 少女が問いかけた相手、それは人間ではなかった。


 少女の身長よりもさらに低い身長、二足歩行ではあるが人のそれとはかけ離れた灰褐色はいかっしょくの肌。突き出た鷲鼻わしばなとがった耳、せぎすの体躯たいく、それらの特徴はそれが小鬼族ゴブリンという種族に属することを示している。


 さらにこの個体は通常の小鬼族ゴブリンよりもしわが多く、瞳が白濁はくだくし、粗悪そあくな木のつえ身体からだささえていた。明らかにとしをとっていると分かるその姿。それは本来短命である小鬼族ゴブリン種が辿たどり着けない境地きょうちであるはずであり、その例外にいたった小鬼族ゴブリン年老いた母オールド・ゴブリンと呼ばれている。


 小鬼族ゴブリン、すなわち、魔族。それは本来人間の敵であり絶対に相容あいいれないはずの存在であった。


 この場所、“勇者特区”をのぞいては。


「ウム、我ラト共ニ働ク、トノ事ダ」


 甲高かんだかく、そしてしゃがれたその言葉を聞いた瞬間、少女の表情が一気に輝いた。


 魔族と人間が共に働く、そんな信じられない奇跡がこの場所にはある。勇者の名の下に設立された人間の罪人と魔族が共に鉱山労働と開拓かいたく事業を行う収容地区しゅうようちく、“勇者特区”には。


「良かったわね、ユウ」


 ユウと呼ばれた黒髪の少女は花が咲いたような笑顔を声がかけられた方へと向けた。


 その笑顔を向けられた人物は、思わずほころんでしまいそうになった口元をあわてて手でおおった。人前で笑顔を見せるのが少々気恥きはずかしいらしい。


 美しい女性だった。濃緑のうりょくの髪を後頭部こうとうぶでまとめたポニーテイルが顔をそむけた拍子ひょうしにさらりとなびく。実用性一点張りの旅装束たびしょうぞくに身を包んでいても、その女性的なボディラインは隠しきれない。せすぎず、太りすぎず、女性として完成されたプロポーション、衣装を変えれば見惚みとれない男は存在しまい。


 とはいえ、普段彼女はあまり感情の起伏きふくを表情に出さない。だからこそどこか近寄りがたく、それほど男にたかられることもなかったのだが。


 勇者、すなわち目の前のユウという少女の護衛ごえいにつくようになってからすきが増えたと彼女、セラ・リグンの昔を知る者は言う。この“勇者特区”で働いている人間の男の半数以上が彼女と食事を共にする機会を狙っていると当の本人は気付いているだろうか。


「レイくぅん!おっけー!自由にしたって!」


 いでユウは少し離れた位置でたたずむ男性に声をかけた。


 短くり上げられた鋼色はがねいろの髪に精悍せいかんな顔立ち。絵に描いたような正義漢せいぎかん。背負った盾と長剣ロングソードが、甲冑かっちゅうではなく革鎧かわよろいを着ていても彼が騎士であることを物語る。


 とりわけ彼は騎士の中でもこのラドカルミア王国では最高峰さいこうほうにある対魔族集団、一の騎士団ナイツオブザワンに所属していた。まさしく騎士の中の騎士。名をレイ・ルーチス。現在は魔法師であるセラと共に勇者ユウの護衛の片翼かたよくになっている。


 ユウの言葉に一つうなづいたレイは、その背中の長剣ロングソードを抜いた。騎乗きじょう時以外には大きすぎてあつかいづらいはずのそれを軽々と振るい、前方に一直線に振り下ろす。


 パサッ


 まるで糸を斬るかのように抵抗なく、あざやかになわが断たれた。


 拘束こうそくかれた彼らは、おっかなびっくり立ち上がって周囲を見回した。その顔には恐れと、おどろきと、そして少しばかりの希望が浮かんでいる。彼らの不安をぬぐい去るように、彼らと同じ種族の者たちが率先そっせんして彼らを引き連れて行った。あとは彼らがここでの暮らしを教えてくれるだろう。


「これで、小鬼族ゴブリンの数はちょうど十か……。魔族領から逃げてきた小鬼族ゴブリンは皆保護でけたらええんやけど……」


 指折り数を数えたユウはそうつぶやいた。さきほどまで縄で拘束されていたのは、人間領に侵入したことで捕獲ほかくされた小鬼族ゴブリン達だったのだ。


 ユウの立案りつあんもと、罪人と魔族が共に鉱山労働と開拓事業を行う“勇者特区”が設立されて二月ふたつきと少し。ラドカルミア王国にはユウたっての願いで新たなれが出されていた。その内容は、人間領で魔族を捕獲した場合、それを国に引き渡せば報奨金ほうしょうきんが支払われる、というものだった。もちろんそれはユウの魔族を保護したいという想いからのことであったが、対外的には新たな労働力の確保、ということになる。


 だが魔族とてやすやすとつかまったりはしないだろうし、危険をおかしてまで魔族を生けりにしようと思う者がいるかどうか、触れの発布はっぷを行ったラドカルミア王国の宰相さいしょうケイネスは成果が出るとは思っていなかったのだが。


「ずいぶん大人しい連中だったな」


 長剣ロングソードを背中に戻したレイが呟いた。拘束されている間、新たにやってきた小鬼族ゴブリン達は特に暴れようとはしなかった。聞くところによると捕獲した時も同様だったという。勝ち目がないと見ると自ら武器を捨てて投降とうこうしたのだそうだ。


 魔族が自ら武器を捨てる。それがどれほど異常なことか。少なくとも長年魔族と戦ってきた一の騎士団ナイツオブザワンであるレイはそんな話聞いたことがなかったし、以前に自分がその光景を目撃していなければ話を聞いても信じることはなかっただろう。小鬼族ゴブリンらえた者達もあまりに従順じゅうじゅんな様子に罠なのではないとうたがったという。だが、これはまぎれもない事実。


「大人しいと言えば……」


 平静を取り戻し、いつもの物憂ものうげな眼差まなざしを取り戻したセラがふと思い出した。


「ここらのスライム、全然体当たりしてこないわね。持ち上げても全然抵抗しないし」


 そしてつとユウの足元を見る。その特等席とくとうせきにはいつだって大人しいスライムの代表がいる。


 あわい桃色をした半透明はんとうめい楕円だえん。個体と液体の中間のようなその物体は実際に触ると以外にしっかりとした弾力だんりょくで指を押し返してくる。ユウの膝丈ひざたけよりも小さいそれは、一見生き物には見えないが、れっきとしたスライムという魔物である。


 スライムという魔物にかなり愛着あいちゃくがあるユウだが、とりわけ初めて出会ったスライムであるこの個体には特別なきずながある。それゆえ常に行動を共にし、魔力供給きょうきゅうというえさやりをし、さくらもちという名前さえ与えている。


 本来スライムという魔物は人間が近づくと体当たりしてくる。そしてそれ以外の生態せいたいが知られていない。ユウ達は魔力を餌にしているということを突き止めたが、それ以外の生態は依然いぜん謎のままだ。それがこのさくらもちをふくめ、“勇者特区”に存在するスライムはいずれも人間が近づいても体当たりしてこない。あるいは“勇者特区”以外のスライムもそうなっているのかもしれない。


 スライムの生態に何らかの変化が起きている。


小鬼族ゴブリンといいスライムといい、やっぱりユウの力、なのかしら……」


 セラの深いみずうみのようなひとみに見つめられて当の勇者ははてと首をかしげた。


「うちのせい?」


「せいっていうか、おかげというか……」


「力を受けた本人にいてみればいいんじゃないか?」


 レイがユウ達に歩み寄りつつ、視線をいまだその場にたたず年老いた母オールド・ゴブリンそそぐ。


 ユウの力と思わしき何かを受けたモノはこの場にそろっている。この年老いた母オールド・ゴブリンとさくらもちだ。いずれもユウと触れ合った瞬間に見えない波のような波動はどうをその身に受けた。さくらもちは話すどころか声を出すことさえできないが、れを取りまとめる聡明そうめい小鬼族ゴブリン人語じんごかいする。


「――ということやねんけど、ばあちゃん、うちと手をつないだ時、どうなったん?」

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