天に吠える狼少女(ウルフガール)

序章

祈り(1/2)

 荘厳そうごん。この空間に初めて足を踏み入れた者が抱く印象はその二文字に集約される。


 壁一面にめ込まれた極彩色ごくさいしょく色硝子いろがらす。その規模きぼたるや大国の城の門扉もんぴにも匹敵するほどで、これほどのものは世界広しと言えどここにしか存在しまい。


 極彩ごくさいが、降る。


 色硝子を透過した陽の光が色彩しきさいの雨となってニバノス大聖堂を満たした。その雨にうたれた者は例外なく瞳を閉じ、心の奥底からき上がる信仰心しんこうしんのままに祈りをささげずにはいられない。


 そう、ここは聖堂。期日きじつには多くの信者達が集まり、聖職者せいしょくしゃの下、宗教儀式ぎしきり行われる神聖なる建造物けんぞうぶつ


 とりわけこのニバノス大聖堂は、大陸屈指くっしの宗教団体であるローティス教の総本山そうほんざんとも呼べる場所であった。巨大なステンドグラスに描かれた睡蓮すいれんの花がそれを示している。


 感謝せよ人の仔等こら汝等なんじらは自然のもたらす恵みの上で生きている。されど自重じちょうすることなかれ、汝等もまた自然である。


 ローティス教の教えは、日々のかてを提供してくれる自然に感謝し、自然と共に生きることをく。かといって文化的発展を否定するわけではなく、それもまた人間として自然な行為こういであるとする。その教えは心のり方の重要性を説く。個として生きるのではなく、世界という巨大な共同体の中で生きる存在であるという自覚を持てと。


 争わなくてはならないこともあるだろう。しかしそれは生存競争としての闘争であるべきで、私利私欲のために他の生命をおびやかすことは悪である。


 ローティス教の教えは大陸全土へと広まっており、多くの国家がそれを国教として定めている。争いに否定的な教義きょうぎなれど、魔族から人間領を守護する防人さきもりであるところのラドカルミア王国も国教と定めているという点でその勢力の大きさはして知るべし。大抵宗教と言えばこのローティス教のことを指す。


 祈りの日となれば大勢の信者でにぎわう大聖堂だが、その見上げるほど高い天井の下にいるのは現在はただの二人だけだった。


 一人は老人。すっかり白に染まってしまった髪を整髪料せいはつりょう綺麗きれいでつけている。生きてきた歳の数だけきざまれたしわ合間あいまからのぞく瞳には、その歳月にたがわぬ思慮深しりょぶかさと向き合った者が自身の罪をかえりみられずにはいられない厳格げんかくさ、そして、その罪さえも包み込んでくれるかのような海のように深い慈愛じあいがあった。


 濃緑のうりょく法衣ほういまとい、歳を感じさせぬ大樹のように真っすぐに伸びた背、その威容いよう。色彩の雨に身をさらすその姿はまさしく陽の光を浴びる古木こぼくそのもの。


 教皇きょうこうセムジ二世。大陸中に多くの信者を持つローティス教の精神的指導者しどうしゃである。


 もう一方はごくごく普通の下働きといった風の男。教皇の側にあって明らかに緊張した面持おももちで、何やら報告している。


 男の報告を教皇は所々でうなづきつつ聞いている。頷きはするものの一言も口をはさまないので、男は物言わぬ樹木に話しかけているかのような錯覚さっかくを受けた。だがそれはいつものこと。教皇の寡黙かもくさは神職にたずさわる者ならば誰もが知るところであり、だからこそその言葉には重みがある。


「――という、ことでして。その勇者の発案はつあんによって“勇者特区”では魔族が罪人と共に暮らしているそうです」


 また教皇は頷く。


 ラドカルミア王国が勇者召喚という界律かいりつ魔法を行使こうしし、〈世界を救う者〉、勇者を召喚したという情報は時間と共に各国へと伝達されていった。運命などという曖昧あいまいなものに作用する界律魔法について各国は懐疑的かいぎてきだが、“勇者特区”なるものの特異性とくいせいは良くも悪くも注目をびていた。


 人間の敵、魔族。絶対に分かり合えぬ存在であるはずのそれを屈服くっぷくさせ手懐てなづけることに成功した。“勇者特区”について各国が抱いているのはおおむねそんな印象である。そこを設立した勇者がその事を聞けば全力で否定しにかかるだろうが、そう思われているからこそ国家間のいさかいには発展せずにいる。


 魔族の侵攻から人間領を護る城壁であるラドカルミアが魔族と手を結んだなどとなれば、人間という種族全体をおびやかしかねない大事件なのだから。


 もっとも、今はまだ静観せいかんてっしているが、そういった危機感を抱いている国家は少なくないだろう。


「それと、例の教皇領でとらえられた狼人族ウルフェンですが……」


 男がふところから何やらひものような物を取り出した。それを見て教皇の目が細められる。


「教皇様のおっしゃった通り、手首にこのような組紐くみひもを付けておりました。これはいったい……」


 教皇が無言で手を差し出した。男は魔族が身に着けていた物を神聖なる教皇に触れさせていいものかと逡巡しゅんじゅんしたが、その教皇からの無言の圧力には逆らえず、その組紐を手渡した。


「……………」


 しばし教皇がその組紐をながめる。植物の繊維せんいで作られた紐に動物の毛をみ込んだ粗末そまつなものだ。


 組紐から視線をはなさず、教皇がその口を開いた。


「……して、その狼人族ウルフェンは」


 突然の問いに一瞬狼狽ろうばいした男だったが、


「あ、え、えー、私が現場に着いた時には牢屋ろうやの中ですでに息絶えておりました。そもそも、捕らえられた時に矢を受けていたらしく……進入経路を聞き出すまでは殺すなとは伝達してあったのですが……」


「……そうか」


 瞳を閉じてそう呟いた教皇は、男が止める間もなくその組紐を懐にしまいこんでしまった。


「教皇様は、あの狼人族ウルフェンのことを何かご存知ぞんじなのですか?」


 男のその問いは荘厳そうごんなその空間に似合わぬドタドタとした足音によってかき消された。


「教皇様!ここにおられたか!」


 大聖堂の入り口から長衣ちょういすそで地面のほこりぬぐいながら、太った男が早足でやってきた。その教皇の着ているものとよく似ている衣装で彼がくらいの高いローティス教の聖職者であることが分かる。


 だが、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく、外見、全てをとっても教皇の持つ威厳いげんにはまるで遠くおよばない。


「アムディール枢機卿すうききょう……」


 下働きの男が新たに現れた者の名をつぶやいた。その騒々そうぞうしい男がローティス教において三人しかいない枢機卿の地位にある者であるというのは熱心な信者でなくとも知っている。


 というのも、枢機卿の中でもこのアムディールという男はローティス教という宗教組織の財政ざいせい大規模だいきぼ祭事さいじ告知こくち、運営など金が動く事柄ことがらにすべからく関わっており、人前に出る機会も多いからである。熱心な信仰心を持つあまりそういった俗世的ぞくせてきな事柄を毛嫌いする信者も少なからずいる中で、こういった金勘定かねかんじょう敏感びんかんな者はある意味貴重なのかもしれない。


「はぁ、はぁ、探しましたぞ」


 息を整えつつ、アムディールは下働きの男に視線を向け、ほほの肉のたるみをらした。


「あー……では私はこれで」


 人払いの意図いとさっした男はそそくさとその場を後にした。彼が大聖堂の門扉を閉めたあたりでようやった息が整ったアムディールは寡黙な教皇に語り掛ける。


「聞きましたかな?ラドカルミアの“勇者特区”について」


 ちょうど今しがた聞いた話に教皇はゆっくりと頷く。


「まったく!けしからんことです!」

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