結ばれた手と手(3/3)

 “勇者特区”が設立されてほぼ二月、人間の罪人の隣で、低い身長でも使いやすいようにつかが短くされたくわを振るう小鬼族ゴブリンの姿を満足気まんぞくげに見やる勇者の姿が“勇者特区”にあった。


 かたわらには護衛ごえいの騎士と魔法師、足元には薄桃色うすももいろのスライム。さらにあの年老いた母オールド・ゴブリンもいる。


 このころになると、罪人達も小鬼族を必要以上に怖がったり嫌悪けんおすることはなかった。小鬼族の方もしかり。仲良く、とはさすがにいかないが、小鬼族が簡単な人間の言語なら解すようになったので、身振り手振りなどもふくめて仕事中に若干の意思疎通いしそつうはかることはあるようだ。彼らが上手うまり合いをつけられるか、というのが今回一番の課題かだいだったのだが、おおむね良好と言える。ケイネスが意図的いとてきに罪の軽い温厚おんこうそうな罪人を送っているというのもあるが。


「うちとケイネスの兄ちゃんでやれるだけのことはやってみたんやけど、どうかな。上手くやっていけそうか?ばあちゃん」


 と、ユウが隣の年老いた母に問いかけた。ばあちゃんと言われたその小鬼族は相変あいかわらずの甲高かんだかいしゃがれた声で答える。


「食ベル物ガアリ、寝床ねどこガアル。ソレダケデ我ラニハ、十分。仕事ハ楽デハナイガ、戦ウヨリハ、ズットイイ」


 鉱山での仕事は過酷かこくだ。単純な肉体労働に加え、有毒ガスが噴出ふんしゅつすることもあれば落石で生き埋めになることもある。常に死と隣り合わせだと言っていい。そんな仕事だからこそ罪人への罰になるし、魔族をそれに従事じゅうじさせることで国民の反発をおさえている。ユウの指示によりなるべく無理のないようにワークスケジュールが組まれているが、そもそも労働するということにれていない小鬼族達にとって今の生活がどれほどの苦痛となるのか、ユウには想像もできない。


「まさか、こんな光景を見ることになるとはね……」


 溜息ためいきくようにセラがつぶやいた。戦術魔法師である彼女もまた、隣の騎士と同じく戦場で多くの魔族と戦った。命をうばった魔族の数は一や二では済まないし、同僚どうりょうが魔族に殺されるさまも見てきた。だからこそ、そんな魔族と人間が隣り合って鍬を振るう日が来ようとは思ってもみなかった。


不服ふふくか?」


 隣のレイが問う。問いかけた本人の方が、問われた方よりも複雑ふくざつな表情をしている。


「別に。魔族に取り立ててうらみなんかないわ。襲ってくるから戦うだけ。……でも、そういうものだと思ってたから、殺し合う以外の関係がきずけるとは思ってなかったの」


 おそらくほとんどの人間がセラと同じ考えだろう。


 はるか昔から人間と魔族は争ってきた。魔族は危険な存在だという認識は全ての人間の脳裏のうりに刻み込まれている。しかし、直接的な被害を受けるのは魔族領にほど近い北方に住む者か、戦に動員される兵士ぐらいなものだ。それ以外の者にとって魔族は危険であるとは認識しているが、直接的な怨恨えんこんを抱くような相手ではない。


「――他の魔族も、戦う前に話し合えたら争わずに済むんかもしれん」


 ユウは足元のスライムをかかえ上げた。スライムは一切の抵抗をしない。むしろ望んで抱かれにいっているようにすら思える。


「きっと皆、生きるために仕方なく人を襲ってるんやろ?北って寒いし、食べるもんが少ないから」


 その言葉に年老いた母はゆっくりとかぶりを振る。


「奪ウコト、生キルコト、言葉ガ同ジ。人間ヲ我ラガ襲ウコト、人間ガ動物襲ウコト、同ジ。何モ変ワラナイ」


 魔族にとって人間を襲うことは生きるかてを得るために当然のように行われる行為。仕方なく、ではない。それが彼らの生き方であるから戦う。ただそれだけのこと。


 北方が豊かではないから生きるために人間を襲うというのはおそらく事実だろう。だからといって豊かであったら人間を襲わないというわけではないのだ。


 レイは思った。もしかしたら魔族には人間と争っているという認識はないのかもしれないと。戦争をしているといった認識ではなく、ただ狩りをしているというだけの認識なのではないかと。だとすればそこに悪意はない。


 であればこそ、和解は難しい。存在なき悪意を払拭ふっしょくすることはできない。


 それを理解しているのだろうかと、騎士は勇者は流し見た。


 するとユウは、さくらもちを抱いたままくるりと軽やかに回り、年老いた母の真正面に立った。その表情に悲観ひかんはない。


 あるのは、あの弛緩しかんした笑顔……ではない。しっかりとした決意を秘めた、それでいてどこまでも深い慈愛じあいあふれた優しげな微笑ほほえみだった。


「――ほんなら、まずそっから変えていかなな」


 そして彼女は右手を差し出した。まだその人差し指の爪には割れたあとがある。差し出された手が必ずしも握られるわけではないという証明が残っている。


「無理ダ。我ラハソウイウモノ。変ワレバ我ラデハ、ナイ」


「でもばあちゃん達はうちを信じてくれた。だから今こうして話せてる」


 年老いた母は差し出された手をまじまじと見つめた。


「一ツキタイ」


 その指の傷を見つつ、一匹の小鬼族が勇者に問う。


「我ラハオ前ヲ殺ソウトシタ、ナノニナゼ、手ヲ差シノベル?」


 レイとセラはその質問にユウがどう答えるか、よく知っていた。そしておそらく、それが彼女の行動の全てなのだろうとも。


「だって、争うのはアカンことやろ?」


「我ラハ人ヲ襲ッタ、ソレヲ許スト?」


「うーん、あの馬車の人らが許してくれるかどうかは分からん。でも、もしその人らが怒ってきたら、うちが説得する。もう、襲わへんのやろ?」


 年老いた母はユウの姿ごしに鍬を振るう子供の姿に視線を移した。小鬼族の知能はあまり高くない。難しい計算はできないし、嫌なことがあれば暴れる。人間に従属じゅうぞくして働くことは嫌なことのうちに入るだろう。暴れ出したくなる衝動を生き残るためと、ちっぽけな理性で懸命けんめいに押さえつけて今の状況がある。それがいつ破綻はたんするかは年老いた母にも分からない。


 絶対に襲わないなど、そんな確約かくやくはできようはずがないのだ。


「――オ前自身ハ、ドウナノダ」


「うち?」


「我ラ、オ前ヲ殴ッタ、死ンデイタカモシレナイ。オ前自身ハ、怒ラナイノカ」


 攻撃されればそれにいきどおるのが普通だ。それは人間も魔族も変わらない。


 しかしこの勇者は、今まで自分が殴られたことに憤った様子はまるでなかった。


「せやなぁ……確かにだいぶ痛かったけど……」


 ユウは右手をいったん引っ込めて、黒髪に隠れた後頭部こうとうぶに軽く触れた。さいわいもう傷らしい傷は残っていない。頭の怪我であったので後遺症こういしょうの心配があったが、たんこぶが出来た程度ていどで済んだのは本当に幸運だった。


「でもうちは、皆と仲良くしたいから……許すよ。もうしないと貴女あなたが約束してくれるなら」


 そしてもう一度手を差し出した。


 彼女にとっては結果が全て。その過程かていで自分がどれほど傷つこうが、結果が良ければ彼女は笑って全てを許すだろう。


 それがユウという少女だ。


 ――恐れと涙を失った、宥和ゆうわの勇者。


何時いつ、子ラガ、我慢がまんデキナクナルカ、分カラナイ……我ラハ、人ヲ襲ウモノダ、ソウイウモノダ、ソレガ我ラダ、ソレガ変ワルコトハナイ……」


「変わるよ」


 勇者は断言した。


「貴女が心からそう信じたら、貴女は変われる。貴女が人を襲わないとうちと約束して、それを護り続けてくれれば、貴女はそういうものやなくなる。せやろ?」


 何も難しいことはない。今我慢できるなら、それをずっと続ければいいだけのこと。


 今できるなら、未来の今でもできるはずだ。


「変わろう。やから、うちの手をとって。ばあちゃんが、人の手をとった最初の魔族になってほしい」


 長年の人間と魔族の確執かくしつ、それによってもり積もった怨嗟えんさの声も彼女には届かない。そういった世界の歴史にまったく影響されていないユウだからこそ、差し出すことのできたその右手。


 その異世界から吹いた風が、世界に積もった怨嗟を散らせるかどうかはまだ分からないが、少なくとも。


 この時、この瞬間。その白く華奢きゃしゃで小さな手と、枯れ枝のようにせ細った手は結ばれたのだった。


 ドクン、と。


 何かが脈打つような音と、見えない波のようなものがユウを中心にして広がっていくのを、その場にいた者達は確かにいた。

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