掲げられたもの(6/6)

 年老いた母オールド・ゴブリン、それはその言葉通り、年齢をめす小鬼族ゴブリンである。


 小鬼族の生態として一匹の雌を中心にした群れを形成することが知られている。群れを構成する小鬼族のほとんどはその雌の子供であり、彼らに守られてその雌は新たな子を産み、生涯しょうがいを子育てについやす。幾度いくどにもおよぶ出産に耐えられるようにその身体は通常の小鬼族よりも強靭きょうじんであり、群れを取りまとめるリーダーとして知能も高い。当然寿命も長く、普通の小鬼族と違って進んで戦うこともないので外的要因がいてきよういんで命を落とすことも少ない。


 そんな小鬼族の雌の中でもとりわけ長く生き、閉経へいけいして母としての役目をうしなったのが年老いた母である。


 子育てから解放された彼女らはその過ごした歳月から得た知識で新たな母を助け、群れの危機には魔法をもちいて戦う用心棒としての役目を持つという。魔法という力を得た彼女らは小鬼族としては破格の戦闘能力を持ち、小鬼族だけだと思って襲い掛かった人間が返り討ちにされたという話は少なくない。


「レイ、気を付けて」


「言われるまでもない」


 油断ゆだんなく長剣ロングソードを構えなおしたレイに向かって、セラの腕に抱かれたユウが叫んだ。


「やめてッ……!もし、もし言葉が分かるなら、うちと話をさせてっ……」


 その言葉に、レイよりも先に彼女が反応した。


「――ナンダ、人間」


 高く、そしてしわがれた声だった。だが確かにその小鬼族はそう言った。確かな叡智えいちたたえた瞳をユウの方へ向けながら。


 相手に会話をする意思があると見てとったユウは、思いのたけを口にした。


貴女あなたは、争うことが嫌で、魔族領から逃げてきたんとちゃうんか……?やのに、やのになんで人間を襲うんや……!そんなことしたら、人間うちらが怒るって分かるやろ……!争いになるのは目に見えてる……。せっかく逃げてきたんやから、なんで平和に、平穏へいおんに暮らそうとは思わんのや……!」


 年老いた母の白濁はくだくした瞳が値踏ねふみするように細められる。


「意味ガ、分カラナイ。我ラハタダ、生キタダケ」


 レイが一歩距離を詰める。彼の技量ならばもはや年老いた母との距離はゼロに等しい。呪文の一遍いっぺんでも口にしようものなら即座そくざにその首を落せる距離。


「我ラノ言葉、生キルコト、うばウコト、同ジ言葉。生キルタメ、人間カラ奪ウ。当然ノ事」


 年老いた母が逃げる様子はなかった。もはや逃げられる距離ではないとさとっているのかもしれない。ユウとの会話に応じているのは死を先延さきのばしにするための時間かせぎか。


「やったら……!生きることができんのやったら、もう人間は襲わへんのやな……!?」


 ユウが叫ぶ。興奮こうふんして痛みを感じなくなってしまっている。前に出ようとするのをセラが抱きしめておさえる。


「ユウ!落ち着きなさいッ」


 魔法師の制止にも耳を貸さない。しぼり出すように言葉をつむぐ。


「うちが勇者の権限けんげんでなんとかしたるッ!そしたら、争わず、平和に……!」


 勇者の提案ていあんを、年老いた母が素直に承諾しょうだくすることはなかった。


奇妙きみょうナ人間。オ前ガ何者カ、我ラハ知ラナイ。タダ、確カナノハ――」


 年老いた母が視線を動かした。もう動かない肉塊にくかいとなったくまへと。


「人間ワ生キルタメ、動物ヲ狩ル。我ラハ生キルタメ、人間ヲ襲ウ。何モ変ワラナイ。平和ナド、ナイ」


 それは明確めいかく拒絶きょぜつだった。人間が魔族を敵視てきしするように、魔族も人間を敵視している。敵からのほどこしなど受けられないということか。あるいは彼女らにも魔族としてのプライドやほこりというものがあるのかも知れない。


 それともただ単にユウの言葉を信用していないのか。人間の小娘の戯言ざれごとと思われているのかもしれない。


「人間も、魔族も、動物とは違うやろ!考える頭がある……相手を思いやれる心があるやんかッ!」


「動物ニモ、アル。言葉ニ出来ナイダケ、ソノ境界きょうかいハドコニアル?」


 ユウは言葉に詰まった。その問いに対する明確な答えを彼女は持たない。当然だ。哲学者てつがくしゃ生涯しょうがいをかけて研究するような命題めいだいよわい十四の少女が簡単に答えられるものか。


「そ、れは……分からんけど……少なくとも、今うちと話をしている貴女は……!」


「もういいだろう、ユウ!」


 聞いていられないと、苛立いらだちを込めて騎士が言った。


「魔族と和解わかいなどありえない!人間が動物を狩るようにこいつらは生きている限り人間を襲う!だから俺達は殺されないようにこいつらを殺す!それが俺達とこいつらの、人間と魔族との関係性かんけいせいだ!それ以上でも以下でもない!多少言葉を話そうが、中身は動物よりも性質たちの悪いけだものだ!これ以上言葉をわすなッ!これ以上……俺を失望しつぼうさせないでくれ……」


 最後には懇願こんがんすら込めてレイは言った。


 勇者としての力があるかどうか、そういった次元の話ではない。ユウがこんな調子なら、例えその力があったとしても戦力になどなるものか。


 勇者召喚は失敗だ。彼女はその器ではない。騎士はそう断ずる他なかった。


 騎士がさらに前に出てその長剣を振り上げた時、周囲の草むらがガサリと音を立てた。


「……探す手間がはぶけた」


 無慈悲むじひに、レイがつぶやく。草むらから姿を現したのは逃げたはずの小鬼族達だった。


 意外だったのは、それを見てもっとも驚いたのは年老いた母だったということだ。その皺が深い顔にさらに深い皺を寄せてうなる。


「ナゼ……戻ッタ……」


 人間と言葉を交わしたのは、時間稼ぎだった。彼らが逃げる時間を稼ぐための。しかし、年老いた母が命をして稼いだその時間は水泡すいほうしてしまった。


 小鬼族達は棍棒こんぼうを手に、騎士にせまった。例え三方からかこったとして敵わないだろうことは承知しょうちだろうに。それでもジリジリと距離を詰める。


 跳びかかろうとする彼らを制したのは、他ならぬ年老いた母だった。彼らの言葉で一言呟くと小鬼族達の動きが止まる。


 そして母は騎士のその後ろ、ユウの方を見ながら言った。その表情には確かな葛藤かっとうと、すがるような懇願こんがんがあった。


「人間」


 明らかにこちらへ向けられた呼びかけにユウが再び彼女と向き直る。


「オ前ニしたガエバ、人間ヲ襲ウノヲ止メレバ、我ラハ生キラレルノカ」


「耳を貸すな。こいつらが言う事を聞くわけがない。自分の命がしくなっただけだ」


 レイがそう断じるのも無理はない。先ほどまでの態度とはまるで反対の発言だ。いよいよ殺されるとなって思ってもいないことを口走っているのだと考えるのが当然だろう。


「私ノ命ナド、惜シクハナイ。殺シタケレバ、殺スガイイ」


 しかし年老いた母が口にしたは自身の命乞いのちごいではなかった。


「私ハ逃ゲタ。モウ、耐エラレナカッタカラ」


 視線をユウかららす。その視線の先には、血溜まりに沈む首のない小鬼族の死体が転がっている。


 母の瞳に映っているのはまぎれもない悲しみだった。


「――モウコレ以上、我ガ子ガ死ンデイクノハ、耐エラレナイ。ドウカ、我ガ子ヲ、モウ殺サナイデクレ……」


 そう呟くと、まぶたを閉じて項垂うなだれた。


 年老いた母は長く生きることによって人間と変わらない高い知能を持つ。その過程かていで本来余計な感情までも、不必要な感情までも獲得かくとくすることがある。不必要で、不自然で、不可解な、まるで人間のような感情をも。


 多産で数を増やすことによって種の存続そんぞくはかってきた小鬼族にとって個体ごとの命などあまり重要ではない。ゆえに彼らは個体を表す名前を持たない。だと言うのに、ごくまれにこういった個体が発生する。そういった個体が魔族領を逃亡するのだ。


 子へと愛情という、小鬼族としては限りなく不適切ふてきせつな感情を持ってしまった者、それがこの年老いた母だった。


 そして彼女によって育てられた小鬼族もまた、通常よりも仲間意識が強かった。故に年老いた母の窮地きゅうちに、自身らの命はないと分かっていても戻ってきてしまった。年老いた母の魔族としての矜持きょうじり、人間に懇願させたのは他ならぬ彼らの存在だった。


 ポツリと、大地に点が浮かんだ。点はあっという間に数を増やし、大地をらしていく。


 雨が降ってきた。まるで泣くことを知らない小鬼族と、泣くことを忘れてしまった異世界からやってきた少女の代わりに天が泣いているかのように。


「レイ君……」


 勇者が口を開いた。


「確かに、魔族と和解するんは、難しいと思う。この人と話して、うちがどんだけ無茶なこと言っとるか、分かった。でも……」


 生まれ持った価値観かちかんの違いはそう簡単にはくつがえらない。それでも。


「魔族と和解すんのは難しくても、この人と、その子供達とは、和解できると思う」


 今は全てでなくても構わない。ただ、目の前の彼女らとなら手を繋げるはずだ。


「こいつらは馬車を襲った。さいわい死者は出なかったが、ここにいたるまでにも人を襲っているだろう。それで誰も殺していないとは思えない。そんなやつらと和解できると?」


「うちらも殺した。それに、やられたからやり返す。そんなことを繰り返してたら、いつまでも争いはなくならん。誰かが、どちらか一方がまず相手を殴る手を止めなあかん。その手に持った武器を降ろさなあかん。怒りをぐっとおさえて、もうええよって言わな、争いはなくならん……」


 怒りを飲み込むこと、にくしみを忘れること。言葉にするのは簡単でも、それがどれほど難しいことか。人間同士でさえままならないというのに、元いた世界でもそれはよく分かっていただろうに、それでも彼女はそれを口にする。


 全ては争いはくないことだと信じているが故。そのためならば自分の命すら惜しくない。人の命を奪うことは善くないことだと言いながら自身の命はかえりみない、屈折くっせつした平和主義。


 それがユウという少女。心に大きな傷を負った、恐怖を失った勇者。


 勇者の言葉が届くと、年老いた母が、その身体を支えていた杖を手放してひざまずいた。ともすれば雨の音でかき消されそうな小さな声で何事か呟く。


 雨音の中に、三つ音が響いた。小鬼族達が手にしていた粗悪そあくな棍棒を手放した音だった。


 武器を持った人間の前で、魔族が自ら進んで武器を捨てる。そのあり得ざる光景にレイは息を飲んだ。


 いまだその手の長剣は高くかかげられている。振り下ろせば枯れ木のような年老いた母の首など簡単に身体と分かたれるだろう。うつむいて跪いている姿は自ら進んで首を差し出しているようにすら見える。


 だと言うのに、なぜ。その手を振り下ろせない。


 自分の魔族へとうらみはこんなものだったのか。こんな少しばかり魔族が人間らしい情愛じょうあいを見せただけで刃がにぶるほどのものだったのか。人間と魔族とのへだたりはこんな些末さまつな出来事でなくなるようなものなのか。


 レイは葛藤かっとうした。今さら魔族に情けをかけるなど、そんなことが許されるわけがない。今までいったいどれほどの魔族の首を落したのかもはや分からないというのに。


 ――どちらか一方がまず相手を殴る手を止めなあかん。その手に持った武器を降ろさなあかん。怒りをぐっと抑えて、もうええよって言わな、争いはなくならん……。


 先ほどユウが言った言葉が頭をぎる。小鬼族達は先に武器を降ろした。目の前で仲間が殺されているのにも関わらず、その怒りをおさめた。


 ――結局、振り上げられた長剣は、そのまま背中のさやへとおさめられた。一の騎士団ナイツオブザワンを退団することになるかもしれないとレイは思った。


「……一月ひとつき、ここで待て。その間、近くの人間にはこの一帯に近づかないように言っておく。再び俺達が戻ってくるまでに、人間を襲ったり、ここから逃げたのなら、必ず見つけ出してその首を落す」


「――感謝スル」


 そして騎士はきびすを返した。魔族に感謝された者を人間にとって対魔族の象徴しょうちょうである騎士と呼んでいいのかは疑問ぎもんだが。


 しかし、レイの信じる騎士道では、武器を持たない者は斬らない。少なくとも彼の信じる騎士道は貫かれたのだ。


「ありがとう……レイ君……」


 そう呟いて安堵あんどしたユウは、またあの微笑みを浮かべた。緊張感きんちょうかん欠片かけらもない、あのとろんとした笑顔を。


「セッちゃんも、ありがとう。ごめんなぁ、何も言わずに出てきてしまって」


 脱力だつりょくしたユウの身体を支えていたセラは、その笑顔を、そのこわれた笑顔を直視ちょくしすることができなかった。


 華奢きゃしゃ身体からだを抱きしめる。雨で濡れた少女の身体を温めるように。


「どうして……どうしてこんなことをするの……!私達が間に合わなかったら、殺されていた……」


「ごめん……でも、大丈夫やったから……」


「今回は大丈夫だったけど、次はこうはいかないわ……。相手がもっと危険な魔族だったら?一瞬で殺されるか、最悪、なぶり殺されるかもしれない……」


 魔族の中には人間を痛めつけることをたのしむような連中も少なくない。そういった手合いにつかまった人間の末路まつろ悲惨ひさんだ。殺してくれと自分から懇願こんがんするようなことになる。


 それがどうしようもない現実だ。


「自分の命が大切に思えないなら、私達の事を思い出して。貴女が死ねば、私とレイはあの御姫様おひめさまに首をねられるのよ……!」


 彼女らしい言い方だった。本当は自分達の首が刎ねられることなど何も心配していない。心配しているのはユウのその身だけ。震える声がそれを雄弁ゆうべんに物語っている。人の感情の機微きび敏感びんかんなユウがそれに気付かないわけがない。


「お願いだから……貴女を心配する人がいることを忘れないで……!お願いだから、もっと自分を大切にして……ッ」


 痛いほど、ユウの身体が強く抱きしめられる。ユウは抵抗ていこうせずに彼女が離すまでジッとしていた。


「……ごめんな、セッちゃん。ごめん……」


 ユウは、自分の肩に雨ではない物がみ込んでいくのを感じていた。


 温かなが、ユウの内面へと染み込んでいく。彼女の心の傷へと入り込んでいく。が染みてもう痛みを感じなくなっていたはずの傷がずきずきと脈打みゃくうった。それでも自身からあふれることはなかった。


 その痛みは決して不快ふかいなものではなく、むしろ心地よいとさえ思った。


 流されたしずく一滴いってき一滴、彼女の天秤てんびん上皿うわざらへとたまっていく。いまだその天秤は彼女の命を高く掲げていたが、それがほんの少し、下がった。

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