邂逅、そして(6/6)

「よく寝てるわ。欠乏症けつぼうしょうの症状も朝になったら治ってるでしょ」


 二階から階段を降りてきたセラはそう言って、レイの対面の席の椅子いすを引く。


 宿泊している宿屋の一階、酒場にて。ユウを寝かしつけたセラはレイと落ち合った。まだ日が落ちて間もない時刻、食事も必要だがそれ以上に今朝の出来事について話し合う時間が必要だった。


 スライムの大移動の後、目的を失った一同は湖を後にした。


 ありのままを村長に報告しても信じてもらえないと思ったので、数匹駆除したら他の個体は逃げていったと説明した。間違いではなかろう。


 完全な駆除はしておらず、戻ってくる可能性がまったくないというわけではなかったのでセラは報酬ほうしゅうは受け取らなかった。


 そのわり、というほどのことでもないが特例として完全な監視下かんしかであれば村内へ魔物を連れ入ることを許可してもらった。


 あの薄桃色うすももいろのスライムはユウにべったりで、もはや村が近くなっても彼女の側を離れようとしなかったのだ。


 ユウは村に戻ると早々に宿屋のベッドに放り込まれた。魔力の回復は大人よりも子供の方が早いとされ、村に着く頃にはずいぶん顔色は良くなっていたが、失った体力はすぐに回復とはいかない。


 大丈夫だと言うユウをセラは無理やり寝かしつけ、その頭をスライムにしていたのと同じように魔力を込めてでた。


 人間の魔力には適性てきせい、相性があるのでスライムのように完全に吸収することは無理だが、まったく効果がないわけではない。


「気持ちええなぁ……スライムもこんな気持ちなんかなぁ……」


 そう幸せそうにつぶやいて、彼女は深い眠りへと落ちていった。あの分では朝まで目を覚まさないだろう。


「あのスライムは?」


 そうたずねるレイを後目しりめに、セラは給仕きゅうじの女性を呼び止めて葡萄酒ぶどうしゅを一杯注文する。


「ベッドの脇でジッとしてるわ。あんなに聞き分けのいいスライムは初めて」


 運ばれてきた葡萄酒をめる。口に合わなかったのか形の良いまゆが少しひそめられた。


 レイもそれに続いてすでに注文していたエールでのどうるおしてから、話始める。


「それで……どう思う?」


「どうって?」


「今朝のあれは……なんだと思う?」


貴方あなたはどう思うのよ」


 質問に質問で返され、レイはジョッキを置いてしばし思案する。


「俺は……あれがユウの、勇者としての力の一端いったんなんじゃないかと思う」


 セラも葡萄酒の入った木のカップをテーブルに置いてレイの話に耳をかたむける。


「ユウの力は、もしかしたら魔物を操る力なんじゃないか?」


 それがレイのいたった考えだった。


「どうしてそう思うの?」


 セラは質問を繰り返す。彼女自身はまだ自分の考えがまとまっていないのかもしれない。


「スライムは魔物だが、ほとんどただの自然現象に近い存在だ。魔力の多い所に集まる、人に体当たりする、火を嫌がる……この三つ以外に生態らしい生態は観察されていない。だけど、あれは明らかに意思を持った行動だった。やつらはあの場から逃げたんだ。魔法で仲間が燃やされても動じなかった奴らが、ユウが何かした直後に蜘蛛くもの子を散らすように……ユウのスライムを殺して欲しくないという願いにしたがうように……」


 あの魔物について詳しい研究がされているわけではないし、レイも彼らの生態についてほとんど知識はない。だが、あれは明らかに異常な行動。そしてそれはユウの願いにそくした行動だった。


「あのピンクのスライムもそうだ。ユウになついているように見えるが……本当はユウが無自覚に言うことをきかせているんじゃないか?そうでもないと……」


 給仕きゅうじの女性が事前に注文しておいた料理を運んできたのでレイは言葉を途切とぎれさせた。


 客の数はあまり多くなく、馬鹿騒ばかさわぎしている客もいないため、大きな声でしゃべっているわけではなくもレイ達の会話は他の者に筒抜つつぬけだろう。だが、さすがに間近まぢかに第三者がいる状況で話すことははばかられた。


 こんな荒唐無稽こうとうむけいで笑い話にもならないような話を。


「……もしそうなら、ユウの力が完全に覚醒かくせいすれば戦局が変わる。人間は勝利に大きく近づく。ユウは文字通り一騎当千いっきとうせんの勇者となる」


 例えば、魔族は人間でいう馬のように魔物を飼い慣らして騎乗する。その魔物が戦場で唐突とうとつ反旗はんきひるがえし、騎手におそかったとすれば。そうやって指揮権しきけんうばった魔物を従えて攻め入ることができるのだとしたら。


 敵の戦力をけずりつつ、兵力の増強もできる。これほど強力な力もそうはあるまい。ユウ自身が無力なのも当然と言えるだろう。


「そう……それが貴方の考え、いえ、希望なのね」


 しかしセラは、レイの考えにあまり賛同さんどうしていないようだった。少なくともレイにはそう見えた。


 テーブルに置かれた蝋燭ろうそくの灯りが、少しでも光量を増やすために置かれた金属の反射板はんしゃばんね返って二人の横顔をらす。カップの中、紫紺しこん鏡面きょうめん物憂ものうげな瞳がうつっていた。


「あの時、確かにユウは何かをした。それは間違いないと思う。でも、それは魔物を従わせるような、他者を屈服くっぷくさせるような、そんな力じゃなかったと思う。だってそんな力、あの子が欲しがるわけないもの」


「ユウの意思と、勇者の力がみ合ったものになるとは限らない。それに、もしそうならあのスライムの大移動はどう説明する」


 セラはまた葡萄酒を一口。あまり質が良いとはいえないそれを舌先で転がしつつ、自分の考えをまとめていく。


 葡萄酒を嚥下えんかして、一拍いっぱく、魔法師は口を開く。


「私には……あのピンクのスライムが他の仲間を説得して逃がしたように見えたわ」


 あの薄桃色のスライムからたんを発した振動の共鳴、セラはそれが彼らの言葉だったのではないかと思ったのだ。ユウ自身も、あの薄桃色のスライムが他の子を説得してくれたと言っている。


「じゃあ、あのユウがっした波みたいなのはなんだったんだ?あれがきっかけで異変は起きた。お前の言う事が正しかったのだとしても、ユウがあの力でピンクのスライムにそうさせたとは考えられないか?」


「……どうしてもユウに魔物を操る力を持っていてほしいのね」


「当然だろう。お前はその逆みたいだが」


 セラはもう一度カップを傾ける。今度は味わうことはなく、一息に飲み込む。


 後味だけならばそう悪い酒ではなかった。


「あの波がなんだったのかは、検討けんとうもつかない。でも……」


 そう言ってから美貌びぼうの魔法師は一瞬だけ騎士に視線を送り、すぐにまた視線を落す。


 寝る前に聞いた話だが、ユウ自身は何かしたという自覚はまったくなかった。ただあのスライムを助けたかっただけなのだと言う。


 だからこそ、セラは思うことがある。


 少しばかり言いづらいように口の端を動かして、やがて観念かんねんしたかのように重い口を開いた。


がらにもないことなのは、分かってるんだけどね……。あの波は、魔物を支配するような、そんな高圧的こうあつてきな感じじゃなかった。むしろ……その反対、とても優しい感じがしたのよ」


 その様子が少しだけ可笑しくて騎士が笑いをらすと、射貫いぬくという表現が実によく合う鋭い視線が向けられた。


「……なるほど。だがまぁ、結局の所どちらの意見も確証かくしょうを得るにはまだ判断材料が少な過ぎるわけだ」


 肩をすくめてレイはエールを一口、料理に手をつけるべくさじを手に取る。


「ユウの体調が回復しだい早々に村を出よう。なんにせよ、ユウにもっと様々な経験をしてもらう必要がある。最初の村でこれだ、意外とちゃんと結果が出るのにそう時間はかからないかもしれんな」


「……そうね」


 少なくとも、今回の件でユウが何かしらの力を持っていることは証明されてしまった。セラの、ユウに勇者の力などなければいいという願いはもはや叶うまい。


 ユウが勇者としての力を持っているのかという旅の目的は、旅に出てわずか四日ばかりで半分は達成された。ユウには何らかの力がある。


 次なる残り半分の目的は、その力が何なのか、だ。


「でも、あまり危険なものは駄目だめよ。あの子、目を離せばすぐ危険な目にいそう。ユウが死んだら私達もあのお姫様に首をねられるんだからね」


 最後の一文は明らかな照れ隠しだった。


 素直に心配だと言えばいいのに、そう言えない魔法師にレイは少なくない好感を持っている。


「そうだな。そうならないように全力を尽くそう」


 だがそれを指摘してきすれば彼女が機嫌をそこねるだろうことは明白だったので、騎士は食事に専念せんねんすることにした。


 虫の鳴き声もこえない、静かな夜だった。

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