邂逅、そして(5/6)

 デマリの農業を支える豊富ほうふな水量をたたえた湖。いだ湖面こめん岸辺きしべに並んだ木々がうつり込み、美しい対称風景シンメトリィえがき出す。一帯のひんやりとした空気が肺を満たすと心まで湖面のように凪いでいくような気がする。


 だがそれも少し視線を動かし、耳をすますと別の顔を見せる。


 ぴちゃん、ぴちゃん――


 水辺を何かがねる音。時折ときおりそれなりに大きなモノが水に落ちるドボンという音もこえてくる。


「うわぁ……こんだけおると……ちょっと引くなぁ……」


 ユウのほほがひくりと若干引きる。


 穏やかな湖岸こがんの風景はユウ達がやってきた方向の対面のみ、用水路が引かれている方の湖岸にはいくつもの半透明のかたまりがひしめいていた。


 数を数えようとしてユウは止めた。十や二十ではあるまい。よく見るとまだ生まれて間もない個体なのか、少し小振りのものもいる。


綺麗きれいな湖ね、きっと一帯の魔力も多いんでしょう。それにつられて寄ってきたのか、あるいはここで生まれたのか。いずれにせよ水気もあるしスライムには最適な環境ね」


 冷静に分析する魔法師の言葉を聞きながらユウは気合いを入れて腕まくり。


「本当にやる気なのか……?この数だぞ……?」


 あきれ半分、心配半分といった割合の表情を浮かべている騎士にユウは不適ふてきに笑って見せる。


「やってみなどうなるか分からんしな」


 そう言って意味があるのかないのか分からないが、両手をぷらぷらとさせて準備運動。だがふと問題に気づいたユウは、両手の指を合わせて上目かいにレイを見上げた。


「せやレイ君……ちょっとお願いがあるんやけど……」


 申訳なさそうな、あるいはびるような声色に特に何か感じ入るでもなく、レイがなんだと答える。


「うちがでとる間、他の子が邪魔してこぉへんように盾になって欲しいねん」


 今はまだ距離があるためスライムがユウ達に近づいてくる気配はないが、もう少し近づいて餌やりを始めればその魔力に反応して多くのスライムが近寄ってくるだろう。


 これだけの数のスライムに一斉いっせいに体当たりされれば例えユウじゃなくとも危険をともなう。下手をして顔をふさがれれば窒息ちっそくしかねない。


「それは別にかまわんが……」


「ほんま?ありがとぉ」


 もとよりレイの仕事は勇者の護衛だ。多少勇者が無茶をしようとも盾になるのは当然のことであるし、感謝されるほどのことでもない。


 スライムを受け止めるのにたいした苦労はないが、念のためレイは背中の盾を右手に装備した。


「セッちゃんは……」


 ついでユウは恐る恐るというふうに美貌びぼうの魔法師に視線を送った。


 もとよりスライムを駆除くじょするという依頼を、あくまで様子見を約束しただけではあるが受けたのはセラである。そして彼女はスライムを駆除することに肯定的こうていてきだ。


 ユウの行為こういは少なからず彼女の目的を妨害ぼうがいする。ゆえにやれるだけやってみればいいとは言ってくれたものの、その顔色をうかがわずにはいられなかったのだ。


「――数が多いわね。私もユウが頑張がんばっている間は餌やりを手伝ってあげる」


 まったく想定しなかった手助けの申し出にユウは一瞬いっしゅん目をぱちくりさせたものの、次の瞬間にはぱぁっと雲間くもま隙間すきまからのぞく太陽のような笑顔を顔いっぱいに浮かべた。


「ありがとぉ!やっぱセッちゃんめっちゃ優しいなぁ!」


 ユウがセラに抱き着いて感謝の言葉を伝える。


 されるがままのセラは相変わらずの気だるげな表情だが、その瞳の奥に少しばかりの罪悪感ざいあくかんという感情が映っていることにユウは気付かなかった。


「ほなやるぞー!」


 そしてユウは大量のスライム達への餌やりを開始したのだった。


 少し近づいてスライムの方から寄ってきたところをキャッチ、少し距離をとってから地面に座り込んで撫でる。しばらく撫でてスライムが満足したらわきにどかして別の個体をつかまえに行く。


 撫でている間に近づいてくる他のスライムはレイがつかんでなるべく遠くに放り投げる。数が多くなればっ飛ばして距離を離す。


 ユウが魔力の注入を開始すると一定範囲内の全てのスライムが彼女に向けて移動を開始するので、レイはなかなかハードな護衛作業を行うことになった。おけ一杯分の水と同じ重量の物を持ち上げて放り投げるという動作を何十回も繰り返すのだから、その様子は採石場さいせきじょうで切り出した石を運ぶ労働者ろうどうしゃ彷彿ほうふつとさせた。途中からレイは護衛作業ではなく新しい筋力トレーニングだと思って作業に従事じゅうじしていたほどである。


 ユウが真剣な面持ちで餌やりを行うかたわら、セラも同じようにスライムを撫でる。となりのユウとは違い、つまらなさそうに無表情であったが、撫でているスライムの様子以上に隣の勇者の顔色を頻繁ひんぱんに伺っているようであった。


「――よし、次!」


 満足げにぷるぷる震えているスライムをユウが脇に置く。これで湖に来てから三匹目。


 別の個体を捕まえようとユウが立ち上がった瞬間、その小さな身体が横にふらついた。


「――おっと……」


 転倒てんとうすることはなかったが、その額からじんわりと汗がにじんでいた。魔力の放出は文字通り自分の中のエネルギーを外に出している行為こういほかならない。手の平から放出するだけでも体力的な負荷ふか全力疾走ぜんりょくしっそうしている状態に近い。


「ユウ」


 その様子を見てセラが声をかけた。ユウとまったく同じ量の魔力の放出を行っている彼女だが、その表情は終始しゅうし変わらず汗もかいていない。れによる魔力のあつかいの精密せいみつさもあるが、それ以上にユウとは魔力の容量キャパシティがまったく違うのだ。


 自分の名を呼ぶ声色こわいろに心配と、もうやめようという意思を感じてユウは無理やり口のはしを持ち上げる。


「まだまだ、これからやって!むしろこっからがうちの本気やさかい」


「……そう」


 足元をふらつかせながらも新たなスライムを捕獲ほかくしにいくユウをセラは止めなかった。


 どのみちもう少しで限界が来ることが彼女には手にとるように分かっていたからだ。


「――ッ!」


 スライムを撫でるユウの手に宿やどった光が細かく明滅めいめつを始めた。小さくうめいた拍子ひょうしれた頭から汗のしずくがスライムにりかかって、スライムはぷるぷると身をふるわせた。


 呼吸もあらくなってくる。ユウの限界が近くなってきたのは誰の目から見ても明らかだった。


 満足させたスライムを横に置いて、また新たなスライムをつかまえに行く。


 いい加減かげんにやめさせようとしたレイをセラの無言の視線が押しとどめた。


「――うぁ!?」


 スライムの体当たりの勢いを受け止めきれず、仰向あおむけに転がったユウの腹にスライムが飛び乗る。その重量でユウが苦し気に呻いた。


「ユウッ!おい、しっかりしろ!」


 もう見ていられなくなったレイが手近なスライムを蹴っ飛ばしたあと、ユウに駆け寄ってその腹に乗ったスライムを放り投げた。


 そのまま小さなユウの頭の下に腕を通して上体を起こさせる。近くで見るとユウの状態はただの肉体疲労とは様子が違った。


 荒い呼吸、額に滲む汗。しかし身体の体温が下がってきており、唇が紫に変色している。


「おいセラッ!どうなってる!?」


 騎士はこうなることを予想していただろう魔法師の名を叫んだ。


 その魔法師は抱きかかえられたユウの側にかがみこんで、体温や瞳孔どうこうを確認するとその物憂ものうげな双眸そうぼうを地面へと下げた。


「……魔力欠乏症けつぼうしょうよ。なりたての魔法師がよくなる病気、というか現象げんしょう。自分の限界ギリギリまで魔力を使い過ぎて健康状態を維持いじできない状態。魔力は生き物に必要なエネルギーだから、それが枯渇こかつしかければこうなるのは当然よね」


 淡々たんたんと、魔法師は言った。当然という言葉通り、彼女はこうなることを随分ずいぶん前から予期よきしていたのだ。


「こうなると分かっていて、なぜ止めなかった?」


 いきどおりのこもった騎士の視線をまるで意にもかいさず彼女は手をのばす。


 キメの細かい肌の指先が自分の頬を撫でるのをユウは感じた。汗が出るのにやけに寒い。体温調節がうまくできない。血液になまりが混ざったかのように身体からだが重かった。


 生きていくために必要な何かが足りない、というよりも、生きるために必要な意思のようなものが身体から失われてしまったような喪失感そうしつかん


「ユウ、聴きこえる?聴こえるなら目を開けなさい」


 すぐ近くで自分の名前を呼ぶ声が聴こえて、重いまぶたを開く。いつもの無表情が少しだけつらそうにゆがんでいるのが見えた。


「安心して。命に関わるようなものじゃないから。時間がてば楽になるわ」


 その言葉を聞いて、ユウ以上にその身体を支えている騎士が安堵あんどしたのが分かった。


 それが可笑おかしくてユウは弱々しく笑う。だが、セラがその笑顔につられて表情をゆるめることはなかった。


「ユウ、貴女あなたは文字通り自分の全てを振りしぼって、スライムを助けようとしたわ。その優しさは素晴らしいものだと思う。でもね、相手がそれにこたえてくれるとは限らない。ほら、見なさい」


 セラにうながされてユウは視線を動かす。


 すると周囲のスライム達がいまだにこちらに向けて近寄ってきているのが見えた。一匹がユウに向けて跳躍ちょうやくしたのをレイがたたき落す。地面に叩きつけられたスライムはしばし驚いたように身を震わせながらも、またユウ達に向けてゆっくりとにじり寄る。倒れる寸前すんぜんまで魔力を与えていたスライムもまだもの足りないのか近づいてきている。距離がまればまた体当たりしてくるだろう。


 彼らはユウの状態などまるで考慮こうりょしない。思考しこうする能力があるかすら疑問ぎもんなのだから当然である。ただ魔力のある方に近寄って、体当たりする。火を嫌がるなどの最低限の生物的本能はあるが、それでも生物よりも自然現象に近い存在だ。


一見いっけんなついたように見えたとしても、それはそう見えるだけで人間と魔物が心をかよわせることはないの。だから動物と魔物というのは区別されてるの。こいつらは人間の敵なのよ。これ以上、魔物に肩入かたいれするのはやめなさい。貴女のために……」


 セラが湖に来ることを決めたのも、ユウがスライムを助けるべく行動することを止めなかったのも、全てはこの事を伝えたかったからだった。


 セラはユウがスライムに対して少なくない好感を抱いていたのを危惧きぐしていた。魔物に心を許せばいつか必ず後悔こうかいすると分かっていたからこそ、スライムというもっとも安全な魔物で身をもって知ってもらうことにしたのだ。


 その後悔する相手がもっと危険な魔物だった場合、差し伸べた手が食いちぎられるかもしれないのだから。


「……………」


 ユウは何も言い返せなかった。自分にもっと魔力があれば、という問題ではないであろうことは容易よういに想像がついたからだ。そうであったなら彼らはその全てを求めてユウに寄ってくる。ただそれだけだ。そこに信頼や愛情といった感情は存在しない。セラが言いたいのはそういうことなのだ。


 ここまでユウが全力をして疲れ果てていても、満足していないスライム達は近寄ってくることをやめないのだから。


「もう止めないわね?」


 そう言ってセラは立ち上がり、スライムの群れに向けて手を伸ばした。


「ファル/エファ/ウラ/エファ/ウエル――」


 呪文。体内の魔力を特定の形にするための命令符丁ふちょう。それによってただの生命力に過ぎないエネルギーは万象ばんしょうへといたる。


「〈炎刃えんじんよ、顕現けんげんせよ〉!」


 彼女の右手がはらわれると同時、湖岸の冷えた大気を灼熱しゃくねつの火炎が切り裂いた。


 あかい斬撃にも見える炎がむちのようにしなり、セラの指先からスライムの群れ、湖面までの大地を打ちえる。一瞬にして燃え上がった炎はしかし燃え広がることはなく、高熱でもってその軌跡きせきを切り裂いた。大地に黒いげ目がつき、ジュッと音を立ててそこにあったモノを蒸発じょうはつさせた。


 少しばかりの焦げくささ、だがそれは生き物の焼けるようなにおいではない。スライムの体組織はそのほぼ全てがただの水分。蒸発はするが焦げることはない。


 炎の鞭の一振りで、四、五体のスライムが文字通り消滅しょうめつした。


「ああ……」


 一瞬にしてこの世から消滅してしまったスライムにユウが手を伸ばす。


 仕方のないことだと分かっていても、どうしてもおさえきれない感情が身体を動かしたのだ。感情を理性で抑え込むにはまだユウは幼すぎた。


 人の生活のためには仕方ない。だが、それでも、共存という道は本当にありえないのか。共に生きるという選択肢は本当に存在しないのか、そう考えてしまう。


 たとえ魔物だとしても、意思を持たないのだとしても、一個の命ではないのか、と。


「もっと広範囲にぎ払うようにたないとね。危ないからユウを連れて下がってくれる?」


 後ろは振り向かずに魔法師は言った。その表情はユウ達からは見えなかったが、いつもの物憂げな眼差まなざしをしているのだろうということは明らかだった。


 ユウと同じ数スライムに魔力を供給きょうきゅうしており、さらに今魔法を一発撃ったにも関わらずその声色に疲労は一切ない。それどころか、今程度の魔法ならばあと十数発撃ったところで彼女が疲労することはないだろう。


 圧倒的な魔力の容量、それをコントロールする卓越たくえつした魔法技術。レイの一の騎士団ナイツオブザワンのような明確めいかくな肩書きこそないが、彼女もレイと同じく人々の命運を左右する勇者の護衛を任された超一流。戦術魔法師という範囲の中ならば五指ごしの中に入る実力者だった。


「ユウ、どうだ。立てそうか?」


 優し気な声色でたずねられ、ユウは屈強くっきょうな騎士の肉体に体重をあずけながら立ち上がった。


 まだ身体は重い。だが倒れた直後ほどの虚脱感きょだつかんはない。湖についた時、セラはこの一帯が魔力の多い、スライムにとって最適な環境だと言った。しくもそれは、魔力が枯渇こかつした人間が身体を休めるのにもっともてきした場所でもあるということだった。


「……ごめんな。二人に、心配かけてもうた……」


 まだ少したどたどしく、ユウは二人に謝った。


「セッちゃん……」


 その名を呼ばれた時、魔法師の背中が少しだけ緊張きんちょうするように強張こわばったのが分かった。


「セッちゃんは、やっぱ優しいなぁ……。ごめんなぁ、うちのために、にくまれ役みたいなことさせてもうて……」


 ことここに至って、ユウはセラの考えを理解した。


 ユウに魔物というものと人間は相容あいいれないのだと教えるため、あえてこの無謀むぼうな行動を放置ほうちした。こうでもしないとユウが聞き分けないと分かっていたからだ。


 全てはユウの今後をあんじてのこと。これが優しさでなくてなんと言おう。


「――それが分かるなら、そんなになるまで無茶しないで。まもる方の身にもなってよね、勇者様」


 少しばかり冗談じょうだんめかした言葉に、ユウはただ無言。しばし、重苦しい沈黙が満ちる。


「……さて、それじゃ悪いけど、ここにいるスライムは全て駆除するわ」


 ユウとレイがゆっくりと距離をとるのを確認して、セラは再び呪文の詠唱えいしょうを開始する。


 まだ数は多いが、それほど時間はかかるまい。


 ――だがその詠唱は、予想だにしていなかった存在によって中断された。


「セッちゃん……!ごめん!待ってッ!」


 ユウが叫んだ。セラもそれに気づいて、さすがに魔法を放つことを躊躇ちゅうちょした。


 そこにいたのは、あわい桃色のスライムだった。


 間違いない。ユウ達が街道で出会って、初めて餌付えづけをしたスライムだった。


 ユウに懐いたような仕草しぐさを見せ、言う事を理解しているようなそぶりすらして見せたあの個体。村の入り口で別れたその個体が湖までやってきたというのか。


 まだ魔力欠乏症で息も絶え絶えなユウが、制止するレイを振り切ってその薄桃色うすももいろに駆け寄った。


「間違いない……あの子や……」


 近寄ったユウに、そのスライムが体当たりする様子はなかった。ユウの足元までゆっくり近づいて、その身体をり寄せる。


 明らかに他のスライムとは挙動きょどうが違う。その魔物はユウのことを覚えていた。


「ごめんセッちゃん……」


 ユウはそのスライムをかばうように抱きしめる。


「セッちゃんの言うことはよぉ分かる。でも、でもこの子だけは……お願い……」


 勝手なことを言っているのは十分承知しょうちだった。だがこれだけはどうしてもゆずれなかった。


 一緒にいたのはほんの短い時間だったとしても、ユウとこのスライムには確かなえんがあった。それが一方的な愛情であったとしても、それでも縁が出来た以上他の個体と同一視どういつしはできない。


 相容れないのだとしても、それでも……。




 ――ドクン




 その感覚がなんなのか、その場にいる誰も知りえなかった。


 ただユウを中心に何かえない波のようなものが世界に広がっていったような、そんな気がした。


 その中心にいたユウは、波が鼓動こどうのように世界という身体の隅々すみずみまで浸透しんとうするのを感じた。


「――あっ」


 あっけにとられていたユウの腕の間から薄桃色がぴょんと抜け出した。


「今、何か……」


 不思議な感覚に困惑こんわくするセラの目の前で、さらに奇妙なことが起きようとしていた。




 ぷるる――ぷるる――




 薄桃色のスライムが小刻こきざみにそして一定のタイミングで身体を震わせる。すると、周囲のスライムも同じように身体を振動しんどうさせ始めたのだ。


 振動の波がさざ波のように広がっていく。やがてこの湖一帯、目に見える全ての範囲のスライムが同じように身体を震わせる。


「お、おい……セラ、これはなんだ……?」


「知らないわよ……!」


 明らかな異常事態いじょうじたい。何が何やら分からないレイの問いにセラが苛立いらだったように答えた。少なくともセラはスライムのこのような集団での習性しゅうせいは聞いたことがない。


 そもそもこの共鳴きょうめいはいったい何を意味しているのか。情報の伝達でんたつか、はたまた他の何かか。それすらも判別できない。


 共鳴はほんのわずかな時間しか発生しなかった。やがて振動がゆっくりとおさまっていく。


「何が……うわっ!?」


 ユウがつぶやいたのきっかけに、全てのスライム達がぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。


 周囲一帯にひびき渡わたる奇妙な水音の大合唱だいがっしょう。そして湖をくしていた大量の魔物達は三々五々さんさんごごに移動を開始した。


 脇を飛び跳ねて大移動する魔物達、呆然ぼうぜんとしてかたまる人間達には見向きもしない。


 やがて水音が遠く離れていき、湖は本来あるべき静謐せいひつな空間を取り戻していた。用水路に流れ込む水の音が残された者達の耳をくすぐる。


「あ、あはは……なんやごっつすごいことなったなぁ……」


 あまりの出来事に身体の疲労を忘れてしまったらしいユウがかわいた笑いをらした。


 もう湖にスライムの姿はない。いや、厳密げんみつには一匹だけは残っている。あの薄桃色のスライムだけは。


 スライムがユウを見つめていた。当然目などないのでただユウがそう感じているだけではあるのだが、なぜかそんな確信かくしんがあった。


「……他の子達を説得せっとくしてくれたんか?」


 スライムは答えない。答えるすべを持たない。ただゆっくりと近寄って黒髪の勇者にぴとりと寄りうのみ。


 そんなスライムを優しく撫で、まだ不健康ふけんこうな色合いのくちびるでユウは笑った。


「これで、もう駆除する必要はあらへんな」


 まだ横になっていないと辛いだろうというのに、そんなことを言ってにししと笑う勇者に対して、魔法師はただ肩をすくめて見せる以上の返答を持たなかった。

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