第二章

邂逅、そして(1/6)

 二日目の朝。何かが空をく音が断続的だんぞくてきこえてユウは目を覚ました。


「うみゅう……」


 まだのぼり始めたばかりの光が草原のまと朝靄あさもや寝間着ねまきを少しずつがしていく。その過程かていで少しだけ肌寒い風が吹いてぶるっとユウは身震みぶるいをした。夜露よつゆに冷やされた清涼せいりょうな空気が欠伸あくびをしたユウの口から肺に入って身体を満たす。草木の呼吸と、少し湿しめった大地のにおい。自然の息吹いぶきが身体を循環じゅんかんし、ユウの覚醒かくせいしきっていない思考を鮮明せんめいにしていった。


「おはよう」


 すぐ近くで火の消えた焚火たきび後始末あとしまつをしていたセラが声をかける。その瞳はどこか眠たげに細められているが、それはいつものことだ。直前まで見張りの役をになっていたのか、起き抜けというわけではなさそうで動きはきびきびとしている。


「んん、おはようさん……。レイ君は……?」


 目をこすりながらユウがたずねるとセラがあごでユウの背後をしめす。まだ焦点しょうてんが定まらないながらもユウが振り向くと、少し離れた場所に目的の人物の姿があった。


 まだ早朝だというのに完全装備。盾とさやから抜かれた剣をかまえ前方をにら臨戦態勢りんせんたいせい。だがそこに相手の姿はない。


 レイが動いた。野盗を相手にしていた時よりも素早く振るわれる剣。朝日を浴びて光を放つその剣が幾筋いくすじもの銀のおびを引いて、まだかすかに残る夜の残りを切り裂く。


 それはいわゆる型と呼ばれるものだった。剣技けんぎにおいて規範きはんとなる動作の流れ。実戦ではその型通りに動くことなどあまり多くないが、剣の振る角度、間の取り方、足運びなどそういった基本的な諸動作しょどうさは型の応用に他ならない。何度も何度も何千、何万とり返す内にその基本はレイの身体に染みついている。その上でさらに繰り返すことによりその剣はより速く、よりするどく、動きは洗練せんれんされていく。


 その美しいとさえ思える型の演舞えんぶはレイの日々の鍛錬たんれん、努力の結実けつじつである。


 一つの型から次の型へのぎ目が素人目しろうとめには判断ができないほど自然で、一つ一つの動作もなめらか、停滞ていたいもない。それでいて速い。例えるのならば絶え間なく流れ続ける水の流れ。その滑らかさを実現するためには強靭きょうじんかつしなやかな肉体、筋肉が必要だ。一日でも鍛錬をおこたれば、その動きは確実におとろえるだろう。


 一連の動作が終わったところでぱちぱちと拍手はくしゅの音が聴こえてきたのでレイは朝の鍛錬を切り上げた。


「よく眠れたか?」


 剣と盾を背中の定位置に収納しゅうのうしながらレイはユウの元へ歩いた。型をする前に筋力トレーニングもしていたため、ひたいに若干の汗が浮かんでいるが疲労している様子はない。早朝の涼やかな風と相まって心地よさそうですらある。


「まあまあかなぁ。それよりレイ君すごいなぁ!見惚みとれてしまったで!」


「日々の鍛錬を欠かさなければ誰でもできるようになる。稽古けいこをつけてやろうか?」


「あ、いや……できればそれは遠慮えんりょしたいなぁ……」


 その日々の鍛錬を想像してユウは苦笑いでやんわりと拒否する。レイの動きは生半可なまはんかな鍛錬で身に付くものではないだろうし、その鍛錬が自分では到底とうていついていけるようなものではないと簡単に分かったからだ。


「ユウを筋肉痛で殺す気?馬鹿言ってないでさっさと出発するわよ」


 若干じゃっかん残念そうなレイを後目しりめにうっとうしそうに手についたすすはらうセラ。彼女にうながされ、ユウ達はデマリ村への道行みちゆきを再開した。


 ――それから数刻すうこくたない内にユウは自身の常識でははかれない存在と初の邂逅かいこうたす。


「ん、止まれ」


 先頭に立って街道を進んでいたレイが背後の二人を制止する。


「なんや?また野盗か?」


 怪訝けげんに思ってユウが辺りを見回すが、それらしい人影はない。


 街道は林に沿って伸びている。一方は草原で身を隠すような場所はなく、もう一方も樹木以外の草葉の背が低く、子供はともかく大人が身を隠すには窮屈きゅうくつだ。


「いや……まぁそれほど危険なものでもないんだが……」


 そういってレイが道の先の木のかげを指さす。


 ユウが指の先に視線を巡らすと、そこには奇妙なものがあった。


「……なにあれ?」


 それは簡単に言えばゼリー状の球体だった。


 大きさはユウの膝丈ひざたけよりも少し小さいぐらい。青っぽく半透明で若干向こうの景色がけて見える。それが風が吹くでもなしに時折ときおりぷるぷると震えている。


 目や口に相当する物は見当たらず、生き物なのかどうかすら判然はんぜんとしないその物体をユウはまじまじと見つめた。


「ああ、スライムね」


 セラが特に興味もなさそうにつぶやく。しかしそれとは対照的たいしょうてきにユウの瞳がキラキラと輝いた。


「スライム!これがうちでも知っとるぐらい有名なあれか!」


 ユウがなぜここまで関心を示すのかレイ達には分かりかねるが、当のスライムはユウ達の存在にいまだ気づいていないのかのんびりと街道を横断おうだんし始めている。透けた体内には臓器ぞうきにあたるものも見当たらない。自立して動いているが、果たしてそれを生き物と呼んでもいいものか。


「触ってもええかな!?危ない?」


 ユウがそんなことを聞くのでレイは困ったように頭をく。


「危ない……というほどでもないが、いちおう魔物ってことになってるやつだからなぁ……不用意に近づくのは止めたほうが……」


「大丈夫なんやな?じゃあ触るー!」


 レイのえ切らない反応を見て安全と判断したユウがとてとてとスライムに近づいていく。


「大丈夫か……?」


「まぁ……大丈夫なんじゃない?」


 顔を見合わせている保護者二人のやりとりなど耳に入っていないユウがスライムに近づくと、ユウの存在に気づいたのかスライムの動きが止まる。


「おー、ぷるっぷるやなぁ!ほらええ子や。おいで!チチチッ」


 かがんで舌をらすユウの方へスライムが近寄っていく。


 そして――


 ぴょん!


 ドカァッ!


「「ユウッ―――!?」」


 二人が見守る中、スライムに体当たりをくらったユウが盛大せいだいに吹っ飛んで一回転、街道に仰向あおむけに転がった。


「にょわあああ……ぐぇ」


 転がったユウの腹の上にとどめとばかりにスライムが乗っかる。その思った以上の重量にユウの口から意図いとせず奇妙な音が漏れた。


 体当たりのいきおい自体は大したものではなかった。ただ、身体がゼリー状のスライムは言ってしまえばそれと同等の量の水と同じ重さと質量を持っている。レイが受けたところでよろけもしないだろうが、体格の小さいユウがかがむという不安定な姿勢しせいで受けたので派手はでに吹っ飛んだのである。


「大丈夫か!?」


 目を回しているユウにレイ達が駆けよって声をかけるとらいじょうぶ……という舌っ足らずな返答が帰ってきたのでひとまず大きな怪我はなさそうだ。


「あ……ひんやりして気持ちええ……」


 仰向けに寝転がった状態でユウが自分の腹に乗ったスライムをで回している。吹っ飛ばされたというのにどこか満足気まんぞくげだ。


 スライムもスライムで居心地がいいのかユウの腹の上から動こうとしない。


 あきれた様子のセラが説明する。


「スライムって生き物なのかどうかすら怪しい魔物なの。思考能力しこうのうりょくがあるのかすら分からない。でも人間を見つけるとこうやって近寄ってきて体当たりするから魔物扱いになってるのよ」


 スライムを撫でまわしつつ、セラの説明を聞いていたユウがふと疑問になって尋ねる。


「そもそも魔物ってなんなんや?動物とちゃうの?」


 そうね……と呟き、セラはしばし言葉を探す。そしてユウの側にかがんで自分もスライムを撫でながら答えた。


厳密げんみつに動物と魔物を区別する規定きていがあるわけじゃないの。だからはっきりとしたことは言えないけど、生態せいたいが不確かでよく分からないけど人間に害をなす存在、が魔物かしら」


 説明を聞いても頭から疑問符ぎもんふが消えないユウ。とりあえずスライムの位置を腹からももの上に押し移して上半身を起こす。


「つまり……なんやよう分からんけど危ないやつは魔物って言ってるわけか?」


「そういうことよ」


 理解はしたようだがなんともに落ちない様子のユウがポンポンとスライムの身体を撫でる。一度体当たりしてからは大人しいものである。


「こんな子を魔物なんて悪者呼ばわりすんのはどうかと思うけどなぁ……大人しいもんやで」


 はっと気が付いてユウがセラを見上げた。


「なぁなぁ、この子何食べんの?ごはんあげたい!」


 魔物に餌をやりたいというこの世界の住人からすれば信じられない言葉にセラはただただ戸惑った。魔族ほどではないが、魔物も人間の敵であり、たおすべき存在である。


「ええ……知らないわ。生態が不確かなのが魔物って言ったでしょう?」


「むぅ……じゃあなんで人に体当たりしてくんの?」


「だから知らないわよ……」


 セラが答えられないのは決して彼女が無知だからではない。


 生態が不確かなのが魔物、ではあるが強力な魔物になれば対抗たいこうするためにある程度ていどの研究が行われる。しかしスライムほど害の少ない魔物になると注目する研究者もいないのだ。


 いるとうっとうしいが調査する労力ろうりょくを割くにはあたいしない。スライムは人間にとってそういう存在なのである。


「ぬくいからかな?」


 そう言いつつユウはスライムをぎゅううと抱きしめる。特に反応は示さない。


「だが火を焚くとスライムは逃げていくぞ。熱はどちらかというと苦手なんじゃないか?」


 レイの言葉にユウはふぅむと腕を組んで考える。相変わらずそのひざにはスライムが乗ったまま。ユウがどけるまで動きそうにない。


「そもそも口ないよなこの子。でもなんも食べへんってことないやろしなぁ……身体からだん中に取り込んでかすとか……いやそんなエグいことはないよなぁ……」


 うんうんとうなるユウ。そろそろ面倒になってきたセラが立ち上がってその繊手せんしゅを伸ばす。


「考えるだけ時間の無駄よ。ほらユウ、それちょっと脇に置きなさい。魔法で駆除くじょするから」


 そう言ってユウが答えるのも待たずにゆっくり呪文の詠唱えいしょうを始める。


 刹那せつな、スライムがビクンと反応した。


 もぞもぞと動いてユウの膝の上から脱出、地面に辿たどり着くとぐぐぐと力をめ、そして――


 ぴょん!


「うっ――」


 今度はセラの腹めがけて体当たりをかました。さすがにセラは倒れることはなかったが、不意に腹部ふくぶ衝撃しょうげきを受けて二歩三歩と後ずさる。


「こいつ……欠片かけらも残ると思わないことね……」


 怒りによって暗い笑みを浮かべるセラとは対照的に、ユウは何かに気づいたようにスライムを真剣な表情で凝視ぎょうしし、なにやらぶつぶつと呟いていた。


「今なんで急に動いた……?セッちゃんの言ってることが分かった?んなアホな……じゃあいったい……」


 そこでもう一度呪文の詠唱を始めようとするセラをあわててユウが止めにかかる。


「ちょ!セッちゃんちょっと待って!なんか分かりそうやから魔法は……魔法?」


 言いかけて気づく。スライムが何に反応してびかかったのか。


「そうか!セッちゃん!魔法や!この子は今魔法に反応したんや!」


「魔法……?」


 ユウの指摘にセラは魔法の発動を中断する。スライムが再び跳びかかって来る様子はない。


「うち、王宮で魔法の講義こうぎ受けとる時はいつも途中で寝てしもてたけど、魔法を使うための力……魔力って人間みんな持っとるんやろ?」


 魔力、魔法のみなもととなる体内から発せられるエネルギー。一説にはそれは生命力そのものであるとも言われている。故に人間、もっというのなら生き物であるならば必ず保有ほゆうしているエネルギーなのだ。ただその量には個人差が大きく、その上、魔法を使うには一種の才能が必要で誰もが魔法を使えるわけではない。


「スライムが人間に跳びかかってくるんわ魔力に反応してんのとちゃうかな。魔力がごはんなんとちゃう?」


「魔力を……?それは……いや、ありえる話ね」


 実際、セラの知っているスライムの生態と照らし合わせてもそれは十分考えられる仮説だった。


 魔力というものは大気中にも微量びりょうながら存在しており、地域によって密度みつどの高い場所や低い場所がある。その密度の差がどういった要因よういんで生まれるのかはいまだ明確めいかくな答えが出されていないが、一般に大気中の魔力の密度が高い場所は植物がよく成長することなどが知られている。 


 そしてスライムは、そういった魔力密度の高い場所に多く発生するのだ。


 繁茂はんもする植物を食べているという可能性も捨てきれないが、透けて見える体内に消化器官しょうかきかんどころか内臓ないぞうにあたる器官すら見受けられないので物理的な摂食せっしょくではなく魔法的な手段で栄養を得ているという可能性は高い。


「よっしゃ!そうと分かれば……セッちゃんよろしく!」


 そしてユウはどぞどぞとセラに手の平を向けて促す。


 だがセラはスライムを一瞥いちべつしたあと、腕を組んでぷいっと横を向いた。


「……イヤ。誰が好き好んで魔物に魔力をあげないといけないのよ。どうしても餌付えづけしたいなら自分でやりなさい」


 至極しごくもっともなことを言われたのでユウがむむむとうなる。


「でもうち、魔法の講義の内容全然覚えとらへんしな……」


 そう言ってチラリ、チラリとセラに視線を送るユウ。


 セラがはあぁと溜息を吐いた。昨日ユウが見抜いた通り、セラという人物はかなり優しいのかもしれない。


「……一般に、魔法師になるには二つの大きな段階があると言われているわ。それが認識にんしきと理解」


 再びスライムを、今度は自分から膝に乗せてふむふむとユウがセラの話に耳をかたむける。


 一方でレイは自分には無縁むえんの話だと近くの木陰こかげに腰を下ろして武具の手入れを始めた。


「認識っていうのは魔力を感じられるようになることよ。それができなくちゃ話にならないわけだけど、これが一番難しい。魔法師になりたいと思った者の八割がこの段階で挫折ざせつするわ」


 基礎きそにして最難関さいなんかん。その入り口のせまさこそが魔法は才能の技能と呼ばれる所以ゆえんである。


「今までまったく自覚していなかった力が自分の中にあると言われてすぐにああこれかと分かるわけがないのよ。今まで自覚してなかったんだから。そのためにはまず、今まで自分がまったく見ていなかったところを見なくちゃならない。自分の中にある今までのぞいたことのない深淵しんえんに目を向けてもぐっていくの。くらく何もないように思える場所に、きっとそれがあると信じて潜っていく……。瞑想めいそうをする修行法が一般的ね」


 センスがある者ならば教えられればすぐに気づくことができる。だがそうでない者は徒労とろうにも思える瞑想を何時間、何日、何ヶ月と続けても見つけることができない。精神集中の補助ほじょに薬物なども用いる場合もある。たとえ薬による異常な集中状態であったとしても、気づくことさえできればいいのだ。それでもなお、見つけることのできなかった者は一様いちようにこう言う。自分には才能がなかったと。


「はい!セッちゃん先生!」


 元気よく挙手きょしゅするユウ。


「……何かしら」


 その妙な元気故に薄々うすうすこの先の展開が分かってしまいすでに辟易へきえきした様子のセラ。


「よう分からん!!つまりどゆこと?」


 予想通りの発言にしばし魔法師は天をあおぎ言葉を探す。


「……………自分は魔法を使えるんだと心の底から信じられるかどうか、かしら」


 小難しい話ではなく、結論は簡単だ。理屈りくつはそこへ至る道のりを円滑えんかつにする潤滑油じゅんかつゆに他ならない。


 魔力というものの存在を認め、それがおのが内にあるということをること。その些細ささいで大きな気づきが魔法師への第一歩となる。


 それができれば世界の見え方が変わる。


「なるほどなぁ。確かにそれがでけへんと話にならんな」


「そ。次の段階の理解は呪文の作用とか魔法の仕組みを理解することだから、今はどうでもいい。魔力を放出したいだけなら、自分の中の魔力に気づいて、それを身体から出すイメージをすればいいだけ。口で言うほど簡単じゃないけど」


 これほど長く喋ることにれていないのだろう。セラが少しむずかゆそうにのどを鳴らす。


 一通り話を聞き終えたユウは真剣な面持ちで自分の両手の平を見つめた。


「魔法を使えると信じる……かぁ……」


 何かを確かめるように両手をにぎったり開いたりを数度繰り返した後、ユウは瞳を閉じる。


 今まで意識したことすらない自分の奥深くへと意識を向けていく。


(……さて、どうかしら)


 セラはユウの邪魔をしないように無言で待った。


 彼女に才能があればそれこそ一瞬で気づくことができる。逆にそうでなければ道のりは途方もなく長い。


 時間にしておよそ三十秒ほど。ユウはまぶたを開いた。


「――こうかな」


 ぴくんと膝の上のスライムが震えた。


 ユウの右手が、顔の陰の中でほんの少しだけ淡い光を放っていた。


「――おめでとう、ユウ。貴女あなたには魔法師の才能があるわ」


 それはまぎれもない魔力の光。ユウが魔法師の扉に手をかけた瞬間だった。


 おそらく王宮では理屈でユウに魔法の存在を理解させようとしたのだろう。もともと魔法が存在しない世界からやってきたのならそれは自然な手順と言えよう。理論りろん原理げんりを知り、その仕組みを理解すれば魔法という超常の力の存在を受け入れる手助けとなる。だがユウのような直感で物事をとらえる者にはそれは不必要なのだ。


 ただあるのだと、その一言で十分。


「あとは……あり?」


 ユウがその放出した魔力をスライムに与えようと手を動かした瞬間、光が消えた。集中が途切とぎれたのだ。


 えさがもらえると思ったのにおあずけをくらい、心なしかスライムがしょげているように見える。


「才能はあるけど天才ってわけじゃなさそうね。自分の手から魔力が流れ出ていくのを強くイメージしなさい」


「イメージ……」


 集中するユウとそれを見守るセラ、その二人に少し離れた位置からかけられる声。


「おい、まだか」


「レイ君ちょっと黙っといてッ!」


 怒られたレイが肩をすくめて武具の手入れに戻る。魔法の才能が皆無かいむどころか使おうと思ったことすらないレイはまごうことなき門外漢もんがいかんであった。


 再びユウの右手に光が宿る。今度はそれをやすことなく、ゆっくりとスライムへと近づけていく。


 ぷるる――


 スライムが歓喜かんきするように小刻こきざみに震えた。光を宿やどしたユウの小さな手がゆっくりとその半透明はんとうめいの身体を撫でる。


「喜んでる……のかしらね……」


 表情どころか感情があるのかすら分からないので疑問形ぎもんけいではあったが、どことなく嬉しそうには見える。


てのひらから魔力を放出するのは魔法の基礎きそだから、その感覚かんかくはよく覚えておくといいわ。そのうちちゃんとした魔法も教えてあげる」


 ユウが勇者の力を持つことには否定的なセラだが、ある程度の戦闘技術を持つことは必要だと考えている。昨日の野盗しかり、この世界は危険に満ちている。降りかかる火の粉をはらえる程度の力があるにしたことはない。


 セラの言葉が聴こえているのかいないのか、ユウは一心不乱いっしんふらんにスライムを光る手で撫で回している。やっていることははたからみれば滑稽こっけいですらあるのだがその表情は真剣そのものだ。集中を切らさないように必死なのである。


 やがて魔力を放出することによる疲労ひろうが溜まってきたのか、ふっと息を吐いた途端とたんに光が消えた。同時に集中も途切とぎれ、糸が切れたようにユウは大の字に横たわった。


「にょあああ……これ……結構けっこう疲れんなぁ……」


 疲れてダルそうにしているユウとは対照的にその上にいるスライムは頻繁ひんぱんにぷるぷるとふるえて撫でられる前よりも元気そうである。魔力が生命力であるという説を信じるのならば、それを分け与えたのだから当然の結果か。


「お疲れ様。こんな馬鹿なことをよく真剣に、と言いたいところだけど、ユウが魔法を使う第一歩を踏み出せたのは大きな進展しんてんよ」


 さすがにもういいだろうとセラはスライムを脇にどけ、ユウの手を取って立たせてやる。地面に放り出されたスライムはどこか不満ふまんげだ。だが跳びかかって来る様子はない。


「ほら、もう満足でしょ。ユウにめんじて駆除はしないであげるからもうどっかいきなさい」


 セラがしっしっと手を払う動作をするか、当然スライムに通じるわけもなくその場でぷるぷると震えている。


「終わったなら行くか」


 様子を見ていたレイも腰を上げる。たかだかスライム一匹にずいぶんと長い時間道草みちくさを食ってしまった。


 ユウはまだ少しダルそうだが身体についた砂埃すなぼこりを払って始めて出会った異形いけいの存在に別れをげる。


「ほなな。あんま知らん人に体当たりしたらアカンで。元気でな!」


 ひらひらと手を振ってユウは先を歩き始めた二人の背中を追う。


 ぷるぷる――


 街道には一匹のスライムが残された。


 それからしばらく後。


「……ねぇ」


 たまねたようにセラが口を開いた。


「分かってる……」


 先頭を行くレイがあしを止めて振り返る。そこには苦笑いするユウの姿があった。


「ユウ……どうするんだ」


「いやぁははは……健気けなげなもんやなぁ……」


 そしてユウも振り返って先ほどからずっと聞こえてくる水音の元を確認した。


 ぴょん、ぴょん、ぷるぷる――


 ユウ達の後を青っぽい半透明の物体が必死で追いかけてきていた。通常、スライムはそこまで活発的かっぱつてきな魔物ではなく、飛び跳ねるのは人間が近くにいるときぐらい。人間に寄ってくる性質せいしつこそあれ離れていく人間を長時間追い回すような話はレイもセラも聞いたことがない。


 だというのに、あのスライムはあれからずっとユウ達の後をぴょんぴょんと跳ねて追いかけてきていた。ユウが立ち止まればその脚にぴとりとくっつき離れようとしない。


 信じがたいことに、魔物であるスライムが完全にユウになついていた。もちろん、ただえさをくれる存在と認識しているだけかもしれないが。


「どうすんのよ……ずっとついてくるわよ……」


 立ち止まったことでまたスライムがユウに追いつき、その脚に寄り添う。不思議なことに体当たりはしてこない。


 さすがにこんな状態の無害な魔物に魔法を撃ち込めるほどセラも無慈悲むじひではなかった。


「まぁ……別に害はないんやし、村につくまでは好きにさせたったら?」


 投げやりな言い方だったが、ユウは懐かれてまんざらでもなさそうである。


「やれやれ……魔物に懐かれる勇者とはな……まぁ、そのうちきて離れていくだろう」


 呆れた様子のレイだが、ひとまずこの場は特に何をするでもなく先を急ぐことにした。


 しかし、レイの想定とは裏腹うらはらに、その後スライムはユウ達の後を飽きることなくずっとついてきた。そして休憩きゅうけいの度にユウが餌付けをするのでますますユウに懐いていったのである。

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