慟哭






 その後、何度か有沢の部屋に足を運んだ。


 その何度目かに尋ねた時、いつもは静かな彼女の部屋が、やたらと煩かった。


「なんで、なんで……っ!」

「有沢さん、大丈夫だから」


「大丈夫って何!?」

「有沢さん……」

「いやだ……、はなして……!」


 ガシャンとなにかが倒れる音がした。

 ほぼ同時にナースコールが流れた。


「有沢さん、落ち着いて……!」

「なんで……、なんで……」


 その時の有沢の言葉を覚えている。


 あんなに声を荒げた有沢は初めてだったから、誰か違う人が入ったのかと思った。


 それでネームプレートを見てみたが、有沢の名前は変わっていなかった。


 看護師さんが何人か走ってきた。

 騒ぎを聞きつけたのだろう。


「なんで、私が……っ、私だけが……ーー!」


 その日は帰った。

 有沢の声だけを聞いて、帰った。





 次に行ったのは二週間後くらいだったと思う。


 担任に、有沢の所に行ってあげてくれと言われたから行った。


 あんまり行きたくはなかったが、仕方なく行った。


 また、有沢が叫んでいたらどうしよう。

 俺が怒鳴られはしないだろうか。


 なぜ、担任は俺に行けと行ったのだろう。


 そんなことを考えながらだったから、いつもより遅い時間に着いた。


 今日の有沢の部屋は静かだった。

 普段より、静かに感じたくらいだ。


「…………、……」


 そぅっと、ドアを開けてみた。


「有沢……?」


「………………」

 返事はなかった。


 代わりに、空気の抜けるような規則正しい音が部屋に響いていた。


 もう少し、部屋に入ってみた。


 彼女は、ベッドの上にいた。

 ひとりで窓の外を眺めていた。


 ただ、いつもとは違った。


 彼女が座っていたのではなく、ベッドが起き上がっていた。


 病院にはこんなベッドがあるのか。

 そんなことを頭の片隅で思ったりした。


「やぁ、久しぶりだね」


 この声に張りはなかったが、思ったよりも元気そうだった。


「有沢、そのマスク……」

「もう、あなたは来ないのかと思ってた」


 静かに、彼女は俺の言葉を遮った。


 緩慢そうに、首を巡らせる。


 なんだか、前より小さくなったような気がする。


 ただの気のせいか。


 いや、それにしては……。


 有沢は、口と鼻を覆うような緑のマスクをしていた。


 規則的に空気が送られる仕組みらしい。

 これが酸素マスクというものかと思った。


 意外に煩いな、この音。

 いや、喋る有沢の声が小さいのか。


 それと、点滴の数が増えていた。


 ますます、病人らしくなったな。

 そんな言葉を喉の奥に押しやった。


「ねぇ、本当は来たくなかったんでしょう」


 ゆるく、まばたきをする。


「そんなこと……」

 ない、とは言い切れなかった。


 今日も担任に行けと言われなければ行かなかったのだ。


「ははっ、そう言うことだろうと思ったよ。まったく、きみらしいなぁ」


 ベッドの上に座らされている有沢は静かだった。


 やっぱり、あの日叫んでいたのは別の人だったのかと思った。


「もう、花は咲いたかな」

「花?」


 唐突にそんなことを言うものだから、咄嗟に反応できない。


 ああ、花壇の。としばらくしてから納得した翔平はどうだろうなと答えた。


「わかった、気にも留めていなかったんでしょう」


 図星だ。


 たまに、有沢と同じように教室から外を眺めたりもしたが、特に楽しいとは思わなかった。


 花を注視したりもしていない。


「いや、そんなことは……」

 ……ない、とは言い切れなかった。


 見透かされていたのだろう、きっと。

 彼女の頭脳は明晰だ。


 その日もしばらくしてから帰った。


「もう遅いから、帰りなよ」

 その日も、有沢にそう言われて帰った。


 ただ、少し違ったのは。


「ねぇ、翔平くん」

 名前を呼ばれたのだ。


「今日はありがとう」


 帰り際にそう言われたものだから驚いた。


「ああ、またな」


 そう言って別れた。













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る