花壇






「有沢、そっからなにが見えるんだよ」



 ある日、彼はそう言って彼に話しかけた。


 例によって窓の外を見ていた彼女ーー有沢は弾かれたようにこちらを振り返った。


 あの時の表情は忘れられない。


「……あなた、は……、翔平くん、だったかな」


 絞り出すような声が、耳を撫でた。


 こういうタイプは苦手だ。

 少々不快にならなくもない。


 しかし、話しかけたのは自分だ。

 ここで怒るのは間違っている。


「あ、あぁ、そうだが……」


 それに、なんだよ。

 中三の春になってまで名前の確認かよ。


 三年間も同じクラスなんだぞ、お前。


 そう言ってやりたい気持ちはあったが、そこは堪えた。


 蛇足かもしれないが、彼女はすこぶる頭が良かった。


 実際にどれほど賢いのかは知らないが、周りがそうやって騒いているのだからそうなのだろう。


 尤も、勉強を教えているところを見たことはない。


 教えてと乞う者がいないからだ。

 彼女は常に独りだった。


「私が、なにを見ているのか知りたいの? なにが見えると思う」


 因みに、こんな感じだったから、第一印象は最悪だった。


「知らねぇから聞いてんだろ」


 いや、むしろこうなったら別に聞きたくもない。


 席が後ろじゃなかったら絶対に話しかけていない。


 そんなことを思いつつ、翔平は背もたれに身体を大きく預けた。


「今日は雨が降っているね」

 ぽつりと呟く声が聞こえた。


 翔平は返さなかった。

 無言で次の言葉をまった。


「ーーはるながあめって、言うんだよ」


 そうか、と頭の隅で返事をした。

 口では何も言わなかった。


「はるながあめってね、春に降る長い雨のこと」


 そのままじゃねぇか。

 それがどうかしたのか。


「不思議だよね、清々しいはずの春の陽気を崩すの」


 外を見て、有沢は口を開いた。


「不思議だよね、誇らしいほどの桜を打つ。せっかく咲いた花びらを散らしちゃってさ」


「なにを……」

 底知れぬ畏怖を感じた。


 こいつ、なにを言ってやがる。


「なんでもない。つぼみが散ったらかわいそうだねって言うことだよ」


 違う。

 そんなんじゃない。


 こいつは。


「なに? まだ何かあるの」


「いや……お前、おかしいぞ」


 なにが、とはっきり言えない。


 ただ、警鐘を鳴らしているのだ。

 感じるのだ、ただならぬ恐怖。


「きれいでしょう」

 思いついたかのように、有沢は言葉をこぼした。


「ーーはるながあめ、きれいでしょう」


 ゆっくりと顔を巡らせる。


 いい加減にしろよ。

 そう、口走ってしまいそうになった時。


 有沢は人が変わったかのようにその目に微笑みを浮かべた。


「ほら、あれを見て」


「……あ? なんだよ」


 突き放すように応えた翔平など御構い無しに、有沢は外を指差す。


 特になにも変わっちゃいない。


「……なにを見れば良いんだよ」

 ぶっきらぼうにそう言ってやった。


 ああ、なんで話しかけたんだろ、俺。

 面倒くさい奴だな。


 そんなことを思った俺は、取り敢えず適当に話を合わせてやることにした。


「あそこに、花壇があるの見える?」


「花壇がどうかしたのか」


 なんだよ。

 此の期に及んで花壇かよ。


 ていうか、そんなものあったのか。

 気にも留めていなかった。


 やけに神妙な顔をした有沢はわずかに目を細める。


「あの花が枯れる前に、私はここから居なくなる」


「転校するのか?」


 思わず、そう口を開いていた。

 彼女の雰囲気が、そう聞かせたのだ。


 有沢は難しい顔をしていた。


 転校……、か。

 そう呟いた後に言った。


「そう、だね。そんな感じ」


 妙に歯切れが悪い。


 もしかして、いじめられてるのか。


 それならば。


 少しからかってやろうと思った翔平は、身を乗り出した。


「なんだよ、はっきり言えよ」


 そう言及したところでチャイムが鳴った。


 ああ、タイミングが悪い。

 翔平は心の中で呻いた。


 席につけよ、と先生が教室に入ってくる。


 有沢は静かに、机に座り直していた。








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