第5話.羊飼い?
「クレル?!」
魔物の拳によって壁にめり込んだ彼の安否が分からない……砕けた壁から大量に噴き出す血がクレルのものなのか、この船のものなのか判別が付かない……ていうか、この魔物──速いッ!!
「『大地を踏み歩くは我らがそ──がぁっ?!」
『ダメだろう? ダメだろう?』
巨体のくせに目に追えないし、狭い通路内では逃げ場もない……ギリギリ猟犬で逸らす事が出来ても、掠っただけでとてつもない衝撃と共に、魔物の魔力が毒の様に全身を蝕む……これを正面からモロに喰らったクレルは大丈夫なのかが分からなくて……焦りが生まれる。
単調に同じ単語を繰り返す、壊れ掛けのラジオから発せられるような魔物の声が酷く不愉快で……いったい何に共感させようとしているのかも分からない。
『あ、あー、痛い? 痛いのか? 痛いのか?』
「ど、どうすれば……」
せっかくクレルと再会する事が出来たのに……彼とまた、また……話す事が出来たのに……なのに……ここでもう終わりだなんて、そんなの受け入れられない!
『ザザッ──ザッーザッ──いいい、いた、痛いのか? いたっ、痛いのか?』
──ゆっくりと魔物が振り返る。
身体中の震えを深呼吸をする事で抑える……時折周囲に炎を飛ばし、ジリジリと近付いて来る粘体に対する牽制とする。
『大丈夫だ俺を信じ、しん……信じろ──ザザッザッーザザッ──大丈夫だザザッ……俺を信じろ?』
──ノイズが走り、不快度が増す声を発する魔物を睨み付ける。
猟犬を握り締めるけれど、掠った左腕がダランとして持ち上がらない……チラリと横目で見てみればぐじゅぐじゅと音を立てながら煙を小さく上げている。……これをクレルは……あの子は……頭部に貰って……今も安否は不明で──
『ザザッザッ──多分大丈夫だろう多分大丈夫だろう』
──絶対に許さない!
『大丈夫だかザザッザッーザッ──らなァ!!』
「アンタなんか大っ嫌いよぉぉぉぉおお!!!!」
大粒の涙を流しながら猟犬を振るう──振り抜かれた奴の拳に触れた瞬間、同極の磁石の様に弾かれる。
上がらない左腕と、弾かれて猟犬を持ったまま間抜けな万歳をしている右腕……完全に無防備になった私目掛けて──クレルの腕が伸ばされる。
『ザザッ──痛てぇじゃねぇか』
「……」
私の顔の横から伸ばされたクレルの拳が魔物の腕ごとその巨体を吹き飛ばす……横目から見える彼の右腕は黒紅の葉脈が走り、絶えず脈打ちながら血を噴き出していて……大丈夫なのかと顔を上げてクレルの顔を覗き見るけれど──
「──クレル、じゃないよね?」
「……」
彼は、クレルは……感情が削ぎ落とされていて、恐ろしい程に無表情のまま黙って佇んでいて……多分だけど、
「……誰?」
「……」
黙ったままの彼はそのまま人差し指を立てて、私の唇の前へと持ってくる。
……何故かその時だけ、こちらを見る目が甘ったるく感じられて……背筋がゾクゾクとしてしまう。
「……Ⅴ号供物が一つ、Ⅳ号供物が一つ、Ⅲ号供物が三つ、Ⅱ号とⅠ号が……無し、か」
そのまま正体不明の彼はクレルの懐をまさぐり、供物を数えて取り出していく……一体何者なのか分からないけれど、味方と見ても良いの……よ、ね?
「『緋色』のお嬢さん、どうか黙って見ていて……それから終わったらこの子をよろしくね?」
「え、あっ……はい?」
そのまま彼は状況が追い付いていない私に頓着すること無く、『うーん、僕が倒すのはまずいか……』なんて独り言をクレルの声で呟きながら魔物へと歩み寄って行く……って、クレルの残り少ない供物を使うつもりなら倒してくれても良くない? あれ、ダメなの?
「『──確かな理性を以て大地に希う 僕は羊飼い 君の代行者である』」
「っ!」
ハッとして顔を上げる。……呑気に混乱している場合じゃないわね……彼は黙って見ていて、それからこの後よろしくって言っていたはず……なら何かが確実に起こるかも知れないんだから、注意して見ていないと。
『ザザッ──おま、おまっ……お前なァザザッザッーザザッ──ダメダロォ? 人を殴っ……ちゃあよぉザザッ』
「『──どうかこの願いを承認して欲しい 君と歩む者の果てなき底を 君が認めなくてどうすると云うのだろう』」
……怖い。ここまで濃密な魔力と大地の気配を感じ取る事なんて……それこそ師匠と一緒に旅をしていた時の、ほんの数回くらいしかない。
……クレルからこれが発せられていると思うと、なんだかとても複雑な想いを抱く。
『ザザッザッーザザーザッ──お説教だ、反省しろ』
「『──
彼と魔物の拳が交差し、激しい衝撃音が鳴り響いた──と思ったら両者の右腕がお互いに消失していて……何が起きたのかさっぱり分からない。
「……ん? あぁ君は〝連結した卵〟か、厄介だね」
『ザザッ……ザッーザザッザザッザッー……』
いつ間に殴ったのか、腹のド真ん中と顔の半分までまがが消失している魔物を見ながらそんな事を呟く彼……悠長に喋っている横で消失したはずのクレルの右腕は植物の成長を早送りしているかの様に修復していく。
「君みたいな〝堕落した者たち〟が一番面倒臭いんだよね……手っ取り早く魔人になってくれれば普通に倒せるんだけど、自我もない状態だと所縁のある者の魔力がないと核に届かないし……卵になってるから自我が無い状態では一番強いし、嫌になる」
『ザザッ──お前さ、ダメダロォ?』
「無理やり殺害する事も可能だけど……供物も、この身体の位階も足りないから今は無理だね。……いやぁ困った困った」
彼の言う通り厄介なのでしょう……私たちを襲って来ていた白い粘体たちを取り込んでいっては自身の身体を修復していく魔物の姿が見える。
『お前さ、ダメダロォ? お前ザザッザッーザザッ──ダメダロォ?』
「じゃあ暫くご退場を願おうか──『
『──ッ!!』
彼が魔法を行使すれば、唐突に現れた鎖に絡め取られた魔物がそのまま消えて行く……恐らく何処かに
「さて、と……じゃあ『緋色』のお嬢さん? この後頼めるかな?」
「え? あの、貴方は……?」
彼に話し掛けられて我に帰る……そうよ、このクレルの身体を乗っ取っている正体不明の相手が誰なのか、さっぱり分からないじゃない……警戒しつつ誰何をするけれど、まともに答えてくれるのかどうか……微妙ね。
「ごめんね、そんな暇は無いんだ……あっ、もう無理……」
「えぇ?!」
そのまま倒れ込むクレルの身体を慌てて抱き留める……先ほどまで警戒していたのが馬鹿らしくなるくらいに自然と動いてしまったのにも気付かず、急いで何処にも異常が無いかどうか探る。
「クレル! クレル! ……どうしよう、とりあえず移動しなきゃ……」
顔を覗き込んでも、揺さぶってみても何の反応も示さないクレルに不安になる気持ちを抑えながら、彼を支えながら立ち上がる……先ほどのクレルの身体を使っていた人物の正体も、突然に現れた魔物についても……気になる事は沢山ある。けれど──
「──絶対に死なせないんだから」
クレルの左腕を自分の首にかけて、まだ動く右腕で彼の身体を支えながら移動する。……痛み止めや増血剤はまだあったはず……自分の分を使ってでも絶対に彼を救けて、一緒にここから出るんだから!
「あっち行って! 来ないで!」
……だから、邪魔をしないでよ。
「道を……道を開けてよ……!!」
クレルを支え、涙で滲んで霞む視界いっぱいに広がる無数の白い粘体たち……奴らを精一杯に睨み付けながら炎を纏っていく。
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