第3話.彼女に惹かれる

「「……」」


 なんとなく気まずくて、お互いにそっぽを向いたまま先を進んで行く……どの道あの小部屋に滞在していても一時は良いかも知れないが、ジリ貧にしかならないという結論を出した。

 とにかく先に進み、この魔境を探索して管理人を探し出す事をアリシアと名乗る女と話し合って決めた。

 ……敵同士であっても今回ばかりは脱出するまで協力関係を結ぶ事も。


「あ、あの……クレル?」


「な、なん……なんだ?」


 いかんな……この女と一緒に居ると調子が狂う……今だって話しかけられただけなのに声が上擦ってしまった……リーシャじゃあるまいし、こんな事は初めてだ。

 記憶にも全く無いし、会った事もないはずなのだが……どうやら彼女と俺は知り合いらしい。

 彼女を見ると胸が締め付けられるのもそれが原因なのだろうか? 彼女曰く『多分だけど、私を助ける為にしてくれた事』らしいが……彼女自身もはっきりと教えてくれない為によく分からない。

 ……だが、落ち着いて見れば彼女の左腕や胸の辺りから俺の魔力が感じられる事も確かだ……理由は本当に分からないが。


「そ、その……手を繋いだままだと……き、危険じゃないかしら?」


「​──」


 ……アリシアに言われて油を差し忘れた機械のようにぎこちなく自分の左手を見下ろせば​──ガッチリと彼女の右手を握り締めて離さない自分の手がある……むしろ力強く握り過ぎて彼女の手が痛そうですらある。

 完全に無意識の内の行動であり、アリシアに指摘されてやっと気付いたくらいで自分自身が驚いている……俺は本当にどうしてしまったんだ。


「あっ! も、もちろん私は嬉しいんだけどね? で、でもほら! もしもの時に対応が遅れたら危険だし、ね……?」


「……………………すまない」


 黙ったまま握った手を見詰める俺に何を思ったのか、顔を真っ赤にさせながらワタワタと言い訳の様なものを捲し立てるアリシアに、自分も顔が赤くなっているのを自覚しつつ、謝罪をしながらそっと手を離す……途端に自身を襲う強烈な喪失感と、アリシアの「あっ……」という寂しげな声に自然と手が戻りかけるが理性でそれを抑える。

 アリシアに対して『そんなに寂しげな声を出すなら別に良いだろうに……』等と少し苛立ちにも似た八つ当たりの感情を抱き、それに気付いて唖然とする……馬鹿な、これでは俺がアリシアから離れ難いみたいではないか……しかも拗ねた子どもの様な感情を……そんな……馬鹿な。


「か、勘違いをするんじゃない! け、怪我を……そう! 酷い怪我をしているようだったからな!」


「あっ! そ、そうなのね! 私ったら変な勘違いを……ご、ごめっ……そうよね、クレルは記憶がっな、ないから……」


「ち、違う! 違うんだ! あぁいや、違わないが……そうじゃなくて! 確かに怪我は心配だが……と、とにかく泣かないでくれ!」


 苦し紛れの拙い言い訳を咄嗟に放った俺に対して納得した様に見せかけつつも、堪えきれずに涙を流し始めてしまうアリシアの姿に心臓を掴まれたような感覚に陥り、慌ててしまう……でも嘘じゃない! 怪我を心配しているのは嘘じゃないんだ!

 ……いや、そういう問題ではないのは分かってはいるが……クソっ! 本当に彼女と居ると調子が狂う! ……いきなり涙を流すところを見るに、彼女の方も狂ってそうではあるが。


「正直に言うと、完全に無意識だった……許可もなくすまない……」


「あ、いや……私の方こそ一々泣いちゃってごめんね? ……なんだか感情の処理が追い付かなくて……」


 やはりそうか……俺と同じで彼女自身も自分の思考と感情、そして身体の動きがちぐはぐになって戸惑っているようだ。

 本当にあるかどうかは分からないが、俺との記憶が残っている彼女の方は幾分か理性が効いているようだが……それでもちょっとした事で感情がオーバーフローを起こし、泣いてしまうくらいには情緒不安定になっているらしいな。


「……それよりも気になっていたんだが、その怪我はどうした? この魔境には狩人であるお前を追い詰める強敵が居るのか?」


「え? ……あぁこれは……その……」


 ギュッとボロボロの軍服の胸元を握り締めて怪我を隠す彼女の行動に眉を顰める……なぜ隠す? 俺には見せられないとでも言うのか? あれだけ思わせぶりな態度を取っておいて、俺の心を掻き乱しておいて、なぜ隠す? 俺には見せられないとでも言うのか?

 正体不明な苛立ちに気付かないまま、目の前のアリシアの手首を掴み上げる。


「見せろ」


「……えっ」


 ……なぜ驚くんだ、当たり前だろう? 愛おしい女が酷い怪我をしているんだ、気になって心配するのは当然の事だ。……むしろなぜアリシアは俺から隠す? 俺はそんなに頼りないか? あれだけ俺に気がある素振りを見せておいてそれはないだろう。


「く、クレル……?」


「怪我をしているのだろう? 治すから見せろ」


「で、でも……」


 なぜ渋る……顔を真っ赤にしながら目を逸らすアリシアに対して身勝手な憤りを感じて​──自分の頭を殴り付ける。


「クレル?!」


「……すまない、正気を失っていたようだ」


 不味い、不味い不味い不味い! これは不味い! アリシアと居ると原因不明の感情に振り回されてしまう! ……まるで自己を見失ってしまうかの様に制御出来ない……これは恐ろしい。

 先ほど出会ったばかりの初対面の女に対して動揺し過ぎではないか? 心を揺さぶられ過ぎではないのか? ……自分がよく分からなくなる。


「……まぁ、あれだ……その……怪我を治すから、見せてくれ」


「あっ……う、うん……」


 そう、これは生存戦略だ……いくら敵同士と言っても今は協力関係なのだから、この魔境という不確定要素の多い危険な場所で生き残るには、狩人である彼女の力も必要不可欠……だからその怪我を治す事も間違いじゃない。むしろ正しい行動なのだ。

 だから赤面して下を俯きながら軍服をゆっくりと脱いでいくアリシアに変な感情なんて湧いてこないし、目を逸らしてしまうのも今度こそ理性が死んで自己を見失ってしまいそうだからなんて事は断じてない! …………はずだ!


「……酷いな」


 全身に熱した鉄の鎖を巻き付けて縛り上げたかの様な裂傷と重度の火傷に全身打撲……肋骨に罅まで入っているし、背中に至っては無理やり炎で炙ったナイフで無理やり生皮を剥ぎ取られたかの様な重傷ではないか……細かいところに癒え切っていない古傷等もある。

 ……このまま放置していれば、あと一時間もすれば高熱で倒れるだろう。

 この『哀哭の船』に喰われる際に海水なんかも浴びただろうし、むしろなぜ今平気で居られるのかが分からない……アリシアは何者だ?


「……『我が願いの対価は愛情のアイビー 望むは他者を癒す力 僕の心を乱す君 覚えのない鼓動 乖離する心身 混乱するのに いじわるな君は視界から外れてくれなくて けれど それでも 僕は君を素直な気持ちのまま包みたいと思う』」


 …………何をしているんだろうな……供物の数も残り少ないというのに、わざわざ最後のIV号供物を使ってまで初対面の狩人を癒すなんて……師匠クソジジイが聞いたら殺されそうだ。

 せめて、そうせめて供物を無駄にしないように詠唱だけはきちんとしないとな……これは供物を無駄にしない為に魔法の効力を最大限まで高める為であって、別に彼女の身体に俺以外が付けた傷があるのが許せない訳じゃない。


「……凄い……ほぼ完治してるし、なんだか気分も良くなった気がするわ……」


「……それは良かった」


 ……背中だけが治らないのが気に入らない……他はほぼ完治したのに……今の俺の全力で癒したはずなのに……なぜ癒えない? ……いや、これは大地に捧げた結果か……なら治るも何もないな。

 でも気に入らない……彼女の身体に知らない傷がある事に激しい憤りを覚える。


「……『我が願いの対価は執着のアネモネ 望むは外界閉ざす幕 むき出しの君の疵を見て 僕は涙を流す どうして彼女が どうしてこんな疵が 何も出来なかった無力な僕は 憤るままに気を抱き締める』」


 大地に捧げてしまったのなら、もはや彼女の背中に皮膚は戻らない……ならばせめて、そのむき出しの傷が悪化しないように、穢れや汚れに侵され壊死してしまわないように……そっと魔法で創り出した薄い膜を張る。

 紙を蝋燭にかざして燃え広がった時の様な歪な形に、白みがかった桃色の肌が現れる……レナリア人という事を差し置いても綺麗な白い肌を持った彼女なのに……こんな汚い傷跡が残るなど。


「クレル? 終わった​?」


「……あぁ、終わったよ」


 よく分からない落ち込んだ気持ちを持て余していたが……なんでもない風を装いながらも耳の赤みを隠し切れていないアリシアを見て苦笑してしまう。

 本人が大丈夫そうなら、俺がどうこう言う筋合いは無いじゃないか……それも一時的な協力関係なだけの敵同士でしかないのに……でもなんだろな……未だに頭では彼女事は信用できないし、敵だと認識しているのに……身体が、心が……彼女を受け入れてしまっている。……いや、受け入れるどころの話じゃないな。


「……戦えそうか?」


「えぇ、クレルのお陰でガンガンいけるわよ!」


「そうか……」


 嬉しそうに笑う彼女の笑顔が眩しくて目を細めてしまう……あぁ、なんだろうな……なんとなくだけど、僕はこの子の笑顔が好きだと思う……しばらく・・・・見れてな・・・・かったから・・・・・、尚さら彼女の笑顔が見れて胸が暖かくなる。

 ……不思議だなぁ……不思議だけれど、うん……この感覚はとても心地好い気がする。


「待ってよアリシア、先に行かないで」


「え? ……あ、ごめん」


「仕方ないなぁ」


「あっ」


 今度は無意識じゃなくて、意図的に……彼女の手を握り締める。


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