第2話.何かが欠けている

「……」


 正体不明の白い粘体の敵から逃げる道の途中で見つけた小部屋に駆け込む……扉を閉め、担いでいた狩人の女を下ろして立たせから槍を構えて敵がなだれ込んで来るのではないかと、女から背を向けて警戒する。

 逃げている最中で敵を撒いた事も、おそらく追撃はないだろう事も分かってはいるが……俺自身が自分の事がよく分からなくなっている……不味い気がする。


「ね、ねぇ……クレル、よね​​──っ?!」


「……動くな」


 ​──なぜだ、なぜ敵であるはずの俺に槍を向けられただけで絶望したような表情をするんだ。

 俺は魔法使いで、お前は狩人……お互いに殺し合うしかない敵同士のはずだろう? 何故お前はそんなにも……敵に凶器を突き付けられた状態で構えもせず、混乱し、傷付いているんだ……お前はいったい何なんだ?


「く、クレル……?」


「……なぜ、俺の名前を知っている? お前は誰だ?」


「​──」


 ​──やめろ、なぜ涙を流すんだ。

 どうしてお前は俺に誰何されただけで泣くんだ……どうして俺はお前が泣くと胸が締め付けられるんだ……どうして、どうして今すぐお前を抱き締めたくなる?

 お前は今脅されているんだ……敵である魔法使いの俺に、喉元に凶器を突き付けられているんだぞ……俺は今脅しているんだ……敵である狩人の喉元に凶器を突き付けて……それなのになぜお前は何も言わずに泣き、俺はそれに苦しめられる? ……お前はいったい何なんだ?


「わ、私のこと……覚え、て……な、い?」


「……お、俺は……お前、なんて知らない…………はずだ」


 ​……そうだ、俺はお前の事なんて知らないんだ……だから奴が泣く理由も、それに俺が苦しめられる理由も無い……はずなんだ。

 なぜ初対面の……それも敵である狩人に当たり前の行動をとって泣かれ、動揺しなければならない? 俺は何か間違っているのか? ……分からない……何も分からない……この女の事が何も分からない。


「お前の綺麗なピンクオパールの髪も……涙を溜めて光を反射させる瑠璃色の瞳も……耳に心地好い声も……何も知らない……​」


 槍を持つ手が震えて切っ先がブレる……穂先が目の前の彼女の首の皮を薄く裂いてしまっただけで、胃の中の物をぶちまけてしまいたくなるくらいに気分が悪くなる。

 これはお前の攻撃か何かなんだろう? そうなんだろう? ……なのに……なのに……お前の攻撃でこんなにも弱っている獲物が目の前に居るのに……なぜ一歩も動かずに構える事すらしない? こんなにも心身の安定を欠いた魔法使い一人を狩ることくらい造作もない事だろう?

 それなのにどうして?! お前も俺も初対面の敵同士で!! 会った事もなくて!! どうしようもなく湧き上がる愛おしさなんか​──


「​──知らないはずだッ!!」


 泣きながら……幼子が自分の感情の正体すら分からなくて駄々をこねるように……自分の正体不明の不具合を、理由が付けられなくて嫌だと……そう吠えるように叫んで槍を勢いよく突き出す。……突き出してしまう。


「……ぅあ」


「……っ!」


 ……女は目を瞑っていた……敵である俺に攻撃されたのにも関わらず、防御も反撃すらせずに目を閉じていた……首の横を通過し、背後の壁に突き刺さる槍には女の血が着いている……浅いとはいえ痛くないはずがない。……なのになぜ泣くだけなんだ? 俺の方が……痛いよ。


「……でも」


「やめろ、喋るな」


「でもね、クレル​?」


 なぜ俺の名前を知っているのか知らんが、気安く俺の名前を呼ぶんじゃない……俺たちは敵同士だ……そうだろう? そのはずだろう?

 ……だから……お願いだからこれ以上その心地好い声を聞かせないでくれ​──


「​──貴方が無事で良かった」


 ​──槍を取り落とす。


「私……私ね? 貴方がもしも魔物になってたらどうしようって……いつも心配だったの……」


 ​……ほんの一歩だけ、女に近付く。


「初めての任務で魔物になった魔法使いを見て……もしも貴方がこうなってたらどうしよって……夢に見る度に泣いてたの……」


 ​……さらに二歩、美しい髪の女に近付く。


「『羊飼い』を殺せなんて勅令が下った時は心臓が張り裂けそうだった……人を魔物に変える組織に『羊飼い』が居るかもってなった時は信じられなくて吐きそうだった……」


 ​……小さな歩みの三歩目、瞼の下に綺麗な瑠璃色の瞳を持つ女に近付く。


「貴方の同胞をこの手で狩る度に、貴方を重ねて手首を切った……あの日の貴方のような年齢の子どもを助けられなかった度に、貴方を重ねて自分の首を絞めた……」


 ​……女の目の前に立ち、心地好い声を近くで聞く。


「でも、でも……」


 ​……まるで俺に殺される事を受け入れるかの様に肩を震わせ、瞳を閉じる愛おしい女を​​──




「無事だったぁ……!! 無事だったのぉ……!! な、七年間忘れた事なんてなかったあっ、貴方がっ! ぶ、無事でいたっのぉ……!」




 ​──泣きじゃくる愛おしい女を抱き締める……強く強く、折れるくらいに力強く抱き締める。


「ごめん、ごめんね……僕は分からないんだ……何も分からないんだ……」


 ごめんね、女の子を泣かせるなんて男の子として最低だよね……でも本当に何も分からないんだ……どうしても、どうしても思い出せない・・・・・・んだ! 君の髪も! 瞳も! 声も! 全てが愛おしく思えるのに! ……理由が分からないんだ……。


「貴方ぁがっ……! 無事っでぇ……! そ、それだけっで……良いのぉっ……!!」


「ごめんなさい……ごめんなさい……君が愛おしいのに分からない……君が愛おしい理由も僕には分からない……」


 僕の記憶には残ってないというのに、僕が無事だけで良かったと……そう、泣いてしゃくり上げながら必死になって伝える彼女を抱き締めながら僕も泣く……泣いてしまう。

 男の子なのに……簡単に泣いてはいけないのに涙は止まらず、初対面のはずの女の子を抱き締めて良いはずがないのに離れる事は出来なくて……彼女を抱き締めてる間だけは胸の苦しみが、胸を締め付けられる苦しみが…………大きくなっているはずなのに、心地好い。


「い、いいのぉ……わ、私っを……助けるっためにぃしてっくれた……事だからぁ……!」


「本当にごめんね……今までありがとう……辛かったよね……大変だったよね……」


「や、約束っ……だったからぁ……」


 僕だけが分からくて、知らなくて、忘れてて……でも彼女だけは分かってて、知ってて、覚えてて……今まで〝約束〟を果たすために全力で、〝忘却〟していた僕を探してくれていて……それなのに僕は彼女の事が今もまったく分からない……それが悔しい!


「あ、愛っして……る……っ!」


「​──」


 何も分からないまま応えるのは不誠実に思えて……嬉しかった筈なのに、そんな事を言い訳にして……泣きながら叫ぶ彼女の想いに何も言えない……言わないまま、ただキツく、強く……抱き締める。


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