第2章『文明と戦争(WAR IN HUMAN CIVILIZATION)』著:アザー・ガット(中央公論新社)

①概要:


 本作は『進化論と戦争』である。クラウゼヴィッツが「戦争とは、他の手段を以てする政策の継続に他ならない」と述べたのに対して、本作の著者は、「戦争とは、生物学的進化の継続である」と主張する。


 著者は、クラウゼヴィッツ主義の戦争観とは相容れないが、一方で、ジョン・キーガンやMV・クレフェルトに代表される「戦闘とは文化の発露である」とする立場を取らない。


 何故、人間が戦争を行うのかと言えば、それは人間として、過酷な自然環境の生存競争に於ける、戦略の手段に過ぎないからだ。戦争の目的は、究極的には、人間という種の進化の過程そのものなのである。


 ここに、著者の独自性が発見できる。それまでの戦争観が、政治手段としての戦争、文化形式としての戦争を規定していたが、著者は、戦争は単なる政治手段ではないし、文化によって戦争が生まれる訳でもないと批判している。


 政治手段として戦争が利用される遥か以前から、戦争は発生していたし、文化として戦争が行われる以前からも、戦争は確かに存在していた。つまり、文字文明や歴史時代から遥か昔の原始時代まで遡ると、そこには夥しい戦争(集団間の暴力)が発見できる。


②通説に対する反論:


A:著者は、戦争行為と同族殺しは人間特有の現象でもない事を提示している。人間以外の動物、例えば、チンパンジーは『領土』を巡って、戦争を行うし、同族を殺すのは至って普通の現象である。


B:リベラリズムの歴史観から、ナショナリズムは近代の国家エリートによる産物であると見做されるが、ナショナリズムや自民族中心主義は、原始時代からごく一般的に見られるもので、多くの部族集団・地域集団が、自身の言語・慣習・風貌などを通じて、自己と他者、自身が属する共同体とそれ以外を区別し、自身の部族が最も優秀であると信じている。


C:技術革新は、大規模な国家でより促進されやすいという通説に対しても、帝国や領域国家よりも、都市国家同士が競争する時代や(イタリア半島の都市国家とイタリア式築城術の開発競争)、中国の戦国時代に於ける技術開発競争(例えば大砲などの火器)の事例を挙げて、反論している。帝国や領域国家では、その国家権力の強制と支配の為に、技術革新を促進するよりも、寧ろ、阻害し、規制してしまうのだ。


D:現代の戦争と軍事費の問題点として、高価な武器・装備品が度々取り上げられる。この極めて高額な武器の問題は、大国間の戦争、国家間の戦争、通常型の戦争が発生しづらい原因の一つとして指摘されているが(e.g. 『戦争の変遷』『戦争文化論』など)、筆者は、軍事費の内、武器・装備品が占める比率は、歴史を通じて、人件費・軍人(傭兵も含む)への俸給が最も高く、戦争減少の原因とまでは言えないと指摘している。


E:第二次世界大戦後、ヨーロッパの植民地は独立を果たした。しかし、一方でヨーロッパ列強、特にフランスなどは、植民地・海外領土を維持しようとして、熾烈な植民地戦争を戦ってきた。装備や軍事技術の面で圧倒的な優位にあったにも関わらず、何故、ヨーロッパ諸国は敗北したのか。


 これに関しては、既に優れた論考が多く発表されてきた。著者は、帝国を維持する要諦を虐殺に求めている。広大な領域と多民族を統治するのに必要なのは、恐怖であり、その為の手段は虐殺である。徹底的な虐殺によってのみ、帝国は維持できるのだ。


 この点で、著者は現代の民事作戦やいわゆるハーツ・アンド・マインド(※特殊部隊グリーンベレーに代表される人心掌握)の効果を疑問視している。帝国を維持するのは、飴でなく鞭なのだ。だから、被支配民族の首長を支配階級に組み込むとか、ソフト・パワーによって、文明に感化させるといった手段の効果にも懐疑的だ。


③戦争の動機とは何か:


 戦争の動機は、果たして、リアリスト(現実主義者)が言う様に、国際体制に於ける権力の追求なのだろうか。それとも、権力の追求以外にも、戦争の動機は見出せるだろうか。


 著者は、戦争の動機に、いくつかの要素を付け加えて、リアリズムの理論を修正している。いくつかの要素とは、富・性(子孫の拡大)・食糧・復讐(抑止)・遊びなどが考えられる。


 即ち、人間の際限なき欲望に他ならない。戦争の受益者であるエリートが、飽くなき富を追求する理由は、他者と比較した相対的な競争に晒されているからであり、己の権威を誇示する為でもある。富の追求は、絶対評価なのではなくて、相対評価によって引き起こされるのだ。


 エリートは、己の権力を拡大し、戦争によって得られた女を一般の兵士よりも多く獲得するが、それは、権力や権威が生殖や性行為の点で優位に立っている事を示している。進化の生存競争と繁殖に於いて、自身の種、つまり子孫を残そうとするのは、至極当然である。


 エリートは、この繁殖と性行為に於いて、己の権力や権威を利用する事によって、非エリートよりも、子孫を残す上で遥かに優位に立っているのだ。エリートにとって、権力を維持拡大し、戦争によって、他の共同体から女を調達する事は、生存競争に於いて生き残る上で必要な、戦略上の手段でもある。


 勿論、繁殖という目的の範囲を越えて、性的快楽そのものが目的となって、寧ろ、権力の維持に支障を来たす事例も歴史に枚挙がない(例えば、後宮制度があったオスマン帝国の皇帝と宰相・官僚との関係)。権力によって得られる性的な恩恵は、権力自身を腐らせて、次の権力者へと移り渡る原因でもある。


 しかし、エリートの一族が拡大し、社会を支配するシステム・装置としても機能する。これらの動機は、全て人間の欲望でもある。権力の追求に留まらず、富と性などに対する欲求も、戦争へと駆り立てる重要な要素なのだ。


④何故、現代の自由民主主義国家は、戦争を忌避する様になったのか:


 リベラリズムの立場から、民主平和論が提出されて、多くの論争を呼んだ事は、国際政治学を学んだ者ならば、知っているだろう。民主平和論に対するリアリスト学者からの反論や、リベラリスト学者からの再反論については、今更、指摘するまでもない。


 しかし、一つ確かな事があるとすれば、民主政国家同士の戦争は、古代ギリシアから既にあるし、都市国家の市民兵は、歴史上、全体主義国家に劣らず、極めて好戦的ですらあった。


 その一方で、現代の自由民主主義国家同士の戦争、即ち国家間戦争が減少している事も事実である。


 人々は、二つの世界大戦や、様々な世界各地の紛争によって、近現代が戦争の世紀であると認識しがちであるが、戦争や紛争に於ける死傷率は、原始時代と比較しても、それ程変わらないか、あるいは著しく減少している傾向さえあるという事だ。


 これは、一体、何を意味するのだろうか。これは、核兵器の登場によるものなのだろうか。相互確証破壊(MAD)がもたらした平和なのだろうか。


 先程指摘した通り、「核兵器による平和」が実現する以前から、世界大戦が発生した時代から既に死傷率は原始時代の戦争と変わらず、それ以前の近代に於ける戦争では、もっと死傷率が低下しているのだ。


 勿論、二つの世界大戦や近現代の戦争・紛争では、夥しい数の人間が殺されてきたし、戦死だけでなく、コラテラルダメージや疾病を含めれば、もっと多いだろう。しかし、やはり統計上の死傷率は低下している。


 それも、例え数百万人、数千万人が戦死ないし負傷しようとも、人類の歴史、文明全体の死傷率の推移を計ると、実はそれ程、死んでいる訳ではないのである。


 それでは、その戦争の現象と死傷率が低下した原因は、何であるのか。それは、先述した戦争の目的と動機(原因)を踏まえれば、理解する事ができる。


 即ち、人間が、戦争を通して獲得してきた、権力、富、性が、戦争以外の手段によって、容易に獲得し易くなったからに他ならない。戦争によって得られる果実よりも、経済活動や生産活動によって得られる果実の方が、遥かに上回っているという事実である。


 概要で述べた通り、「戦争とは、生物学的進化に於ける、戦略上の手段である」から、戦争以外の手段で目的(過酷な生存競争で生き残る事と子孫の拡大・繁栄)を為し得るのならば、わざわざ戦争という手段に訴える必要性は低くなるからだ。


 自由民主主義国家に住む現代の我々は、封建制国家の貴族よりも、貴族らしい快適な生活を享受しているし、それを捨ててまで、戦争を選択するかどうかの戦略的な判断に於いて、反対動機が高まったのだ。


 だからこそ、自由民主主義国家同士での戦争が減少し、死傷率が低下した。


⑤総括:


 概要でも述べた様に、本作は生物学的進化論(※注意すべきは、著者は社会進化論の考え方を援用している訳ではないという点である)の考え方を基礎にして、戦争学という学際領域を、一振りの剣で貫いている。


 本作が扱う学問領域は実に多彩で、軍事学のみならず、生物学・考古学・人類学・心理学・経済学などと幅広い。


 何よりも、一般に社会科学に偏重しがちな戦争学の研究が、生物学という自然科学の理論によって整理され、あるいは粉砕されていく様が興味深い。その意味では、本作は、文系よりも、理系の方がより理解できるのかもしれない。


 総評すると、本作は、生物学的進化論に立脚した、新機軸の戦争学であり、類書がほぼない(※筆者は、『ダーヴィンと国際関係論―戦争と民族紛争の進化論的起源』著:ブラッドリー・セイヤーを挙げている)上に、戦争とは何かについて、非常に丁寧に研究した優れた傑作である。本当に「素晴らしい」の一言に尽きる。


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