第320話北部同盟


「――どうでしたかな?」


 数本の蝋燭のみで照らされる薄暗い室内に嗄れた男性の声が響く。

 何かを問うようなその言葉は、たった今しがた部屋に入って来た男性――ダウワンへと向けられていた。

 部屋の中に集まっている人物達の中では一番歳若いダウワンではあるが、特に慌てた様子もなく肩を竦めてみせる。


「全滅ですよ、全滅……あれは本物ですね」


 ギアナ盆地国でも指折りの精鋭達ではあったが、やはり混沌神の厚い加護を受けた使徒が相手では力量を測る事すら出来なかった。

 ただその力の差から魔女本人であるという確認が取れたのみで、その事に対してダウワンは非常に苛立たしげにしながら言葉を吐く。


「で、あるか」


「よもや魔女本人が乗り込んで来るとは」


「商国が滅んだ時点で我らも狙われるのは分かっておったろう」


 今ここに集っているのは大陸北部地域に存在する国の指導者達である。

 それ故に全員が混沌の使徒――中央神殿から魔女と認定されたレーナという少女を警戒し、危機感を共有していた。

 魔女が新たなに建国したという連合王国と国境を接していた商国が、自分達の知らぬ間に唐突に併合された時の衝撃は忘れられるものではない。

 経済力に反して軍事力のない商国に圧力を掛け、建国したばかりの新興国を呑み込む為の調査を依頼していた筈だった。

 それが何をどうしたのか、間諜を送ったと外交ルートを通じて知らされてから1ヶ月も経たずに今度は連合王国の使者が『新しく隣人になるからよろしく』と挨拶をして来たのだから意味が分からない。


「中央神殿からの依頼はどうする? 魔女本人まで居るのに、大地の聖騎士の暗殺など到底できる事ではないぞ」


「そもそも中央神殿は本気で聖騎士を殺すつもりなのか?」


「その話は以前にもしたでしょう? ハンネス殿は秩序陣営に於いて重要な駒ではありますが――自由に人を救い過ぎると」


 そう言ってダウワンは中央神殿からの外交文書――いや、命令書を中央のテーブルへと無造作に投げる。

 そこには殺すべき対象が優先度順に羅列されていた。


「自由に人を救い過ぎるハンネス殿、中央神殿も無視できない程に個人への信仰を集めるマリア殿、圧倒的な秩序神の加護を受けながら外聞が悪すぎる変態紳士殿……この内の二人が我が領内に居るのですから、ここで見逃しては我々の首が飛びますよ」


「しかし、うーむ……国がどうにか出来るのか?」


 確かに国家規模で戦いを挑めばいずれは討ち取れるかも知れないが、しかしそれは相手が律儀に勝負を受けてくれたらの話である。

 敵は個人であり、いくらでも身一つで何処にでも逃げられる上に潜伏されてしまえば見付ける事も困難と来た。

 圧倒的な武力を持つ個に軍をぶつけて国力をすり減らすのも躊躇する。


「シバ将軍」


「……なんだ」


「中央神殿は奴をぶつけろと、追加の指令を送って来ました」


「……正気か?」


 シバ将国を治める将軍は、ダウワンから聞かされた言葉に眉を不快げに歪める。

 話を聞いていた他の指導者達も驚きを隠せないとばかりにざわめき出す。


「えぇ、中央神殿は大陸北限の地に収監されている世界最悪の犯罪者――“覚者”を解放せよと」


「……圧倒的な個人には、それを上回る個人をぶつけるという事か」


「そうです。そして魔女と聖騎士が覚者の相手をしている内に我々北部同盟が王国、連合王国、帝国、公国という西部の主要国家に攻め入れば任務は完了で良いと」


 何かを堪えるように、シバ将軍は長く重い溜め息を吐く……そうやって気持ちを整理したのかダウワンへと質問を投げ掛ける。


「変態紳士とやらはどうする? あれも要害だぞ?」


「彼は明確に秩序神の代行者へと選ばれてしまいました……ロン老師のように自らの民族を指導する立場という訳でもありませんし、王国に攻め入らせて間接的に統治という訳にもいきません」


「だからどうすると聞いている」


「ですので放置で良いそうです」


「は?」


「さすがに代行者を直接狙うのは神罰が怖いのでしょうね……一応ロン老師には中央神殿から援軍として聖騎士隊を送ったそうですが、あまり役には立たなかったそうで」


 神の代行者と言えども自らの民族を支配下に置かれてしまえばおいそれと逆らえない……だからこそまかり間違って老師が死に、後継者も不明なまま新しい代行者が誕生する事を恐れた中央神殿は援軍を寄越した。

 だかその聖騎士隊も魔女の前では何の役にも立たず、多少の足止めが精一杯だったという話だ。


「変態紳士殿に道を阻まれても交戦は避けて下さいね、それよりも大地の聖騎士と聖母が新たな代行者にならないかどうかだけが中央神殿は不安な様です」


「その癖自分達では手は下さずに、我々下請けに任せると」


「どうやら大陸南西部で渡り人達が禁忌に手を出そうとしている様で、その対応に追われている様です」


「禁忌?」


「さて、詳しくは分かりませんが……ゴムで交通革命がどうのとか、聞き取りを行った渡り人は言ってましたね」


「ゴム? ……南西部に大量に生えてるあの木か? それと交通がどう関係してくる?」


「知りませんよ、中央神殿に聞いても答えてくれませんし」


 禁忌と呼ぶ程なのだから、それはそうだろうと室内に諦めの空気が蔓延していく。

 触らぬ神に祟りなし、誰も余計な事を知って消されたくはないのだ。


「とりあえず上からの指示は以上です――……我が国が滅ぶ前に彼を寄越して下さいね」


「あぁ、分かった」


「それでは今回は解散で」


 その一言によって部屋の中に居た人物達が一斉になんの特徴もない、等身大の人形へと変わり果てる――いや、最初からダウワン以外は人形しかこの場には居なかった。

 人形使いであるダウワンの力によって、一時的に遠方から特定の人間の意識を憑依させていたに過ぎない。

 そんな特殊技能を使っていた本人は、自らの能力を解くと同時に震える声で背後へと声を投げ掛ける。


「……いつからそこに?」


 そう言って両手を上げるダウワンのすぐ背後に音もなく忍び寄った少女は、そっと彼の耳元で囁く――


「――そんなのどうでも良くないですか?」

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