第308話須郷正樹の返答
「普通の人である正樹さんになら分かりますか?」
背中を丸めて腕に顔を埋める一条の、下から見上げる様に俺を見詰める彼女の……その、前髪から覗く目が潤んでいる様に見える。
コイツの今まで誰にも言えなかったであろう心の底を聞いて、俺は思わずその細い手を取っていた。
彼女の右手を、慣れない手つきで優しく包み込みながら身体ごと向き合って真剣に紅い瞳の奥に居る一条玲奈という、一人の女性をただ見詰める。
俺を信頼してその心根を語ってくれた彼女へと、俺も真剣に応えなければならない。
「……間違ってても、お前にとって不愉快であろうとも聞くか?」
「……えぇ」
「……そう、か……そうだな……お前と違って何不自由なく、十六年という薄っぺらい人生を過ごして来た俺の言葉を聞いてくれ」
惚れた女の手の甲を親指で擦り上げながら、深く冷たく乾燥した空気を吸い込んで……そして吐く。
彼女がそうしてくれた様に、俺も自分の心の底をさらけ出そう。
間違った事を言ってしまうかも知れないとか、話の纏まりが無いだとか……そんな事は二の次でただ思った事を、伝えたい事を言葉として紡いでいく。
「お前は自分が思っている以上に普通の人間なんじゃないか、と俺は思った」
「亡くなった親を想い、家族との関係で悩んで、社会での自分の立ち位置で迷う」
「その内容は重く、他と違って珍しいかも知れないが人としては普通の事だと」
「同時にお前はもっと親に反抗するべきだとも思う」
「母親の言葉に囚われ過ぎない方が良いと」
「親だって間違えるんだ、って言うと在り来りだけどな」
「でもお前の母ちゃんってあれだろ、お前によく分からない寒いギャグを仕込むくらいお茶目なんだろ?」
「お待たせ、待った? とか、日本の首都は東京とか……良い人ではあるんだろうが、変わった感性をしていると思う」
「そしておそらく自覚が無かったんだと思う」
「この時点でお前の母ちゃんも完璧超人ではない普通の人だって事がよく分かる」
「お前の母ちゃんも死期が近付く中で必死だったんだろう」
「でもよ、自分の影響で娘が弱ってるのを良しとするほど歪んだ感性はしてねぇとも思う」
「母が用意した? だからなんだ」
「余計なお世話だって突っ返せ」
「お母さん、私はそれをしたくないって」
「確かに家族は仲良くが理想だけどな、必ずしもそれが出来る訳でもねぇ」
「俺だって兄弟と殴り合いの喧嘩ぐらい当たり前だし、親とも意見を違えるのも普通だ」
「そりゃあ、ずっとギスギスするのも悪いけどよ、お前のペースで、お前の心の整理が付いてから歩み寄れば良いと思う」
「俺はお前に救われて欲しい」
「それはお前の母ちゃんも一緒だと思う」
「母親に、父親に、弟妹に……囚われないで欲しい」
「たかが十六年の薄っぺらい人生で語れる事は少ないし、的外れかも知れねぇ」
「けれど母が言ったから、そればかり唱えるのは健全じゃねぇって事は分かる」
「面と向かって言われた訳じゃねぇんだろ?」
「なら余計に勝手な事すんなって突っぱねろ」
「そんでよ、一発くらい親父をぶん殴ってやれよ」
「『うるせぇクソジジイ! 私に指図すんじゃねぇ!』」
「……みたいな感じでよ」
「俺か? 俺はなぁ……いつもどんな感じで親子喧嘩してたっけか?」
「……あぁ、そうだ、親子喧嘩だ」
「自分の意見を親に主張するってのはやっぱり大事だと思うぜ」
「上から抑えつけられんのって嫌じゃねぇか」
「もう子どもじゃねえんだって思うじゃねぇか」
「お前らだって矛盾した事を言ってんだろってイラつくじゃねぇか」
「多分だけど、お前って反抗期が来た事ねぇだろ?」
「母に対する物は全て受け入れて、父へのそれは反抗というより消極的な敵対」
「それじゃあ息苦しいと思うぜ? 本当に潰れちまうよ」
「だからよ、やっぱり普通の女の子であるお前にまず必要なのは自立心だと思うんだよ」
「いや、分かってる。華族であるお前には色んな柵があるんだろうって事は想像できる」
「でもさ、やっぱり一発ぐらい殴っても誰も文句は言わねぇと思うんだよな」
「母親を失ったばかりの自分の娘に恨み言を吐くとか父親失格じゃねぇか」
「そんな奴をぶん殴って何が悪い?」
「一条の父親ってあれだろ? 今の財務大臣だろ?」
「だったらよ、娘から殴られたので報復しました〜、とかもしも報道されたら醜聞じゃねぇか」
「だからどうせ何も出来やしねぇって」
「殴れ殴れ」
「殴ってこう言ってやれ」
「『やり返せるもんならやり返してみろ』ってよ」
「え? 今とても悪い顔してるって?」
「……かも知れねぇなぁ、ぶっちゃけちっせぇ頃はこういう悪戯が好きだったんだよ」
「そんでよ、俺もそのせいで叱られて半べそかきながら謝ったんだ」
「……もしかしたらよ、悪戯をしまくればその親父も叱ってくれるかもしれねぇぞ」
「……あ、それは気持ち悪い?」
「まぁ、そうか……そうだな」
「やっぱり殴るだけにしとくか? ……いや、何なら蹴りも入れとくか」
「そうだな、そんでさらにこう言ってやるんだ」
「『お母さんを泣かせた罰です!』……とかよ」
「多分さ、お前の母ちゃん出されたらソイツめっちゃビックリするんじゃねぇかな」
「愛していたのは事実だろうし、自分のせいで最期泣いてたとか言われたら面白い顔が拝めるかも知れねぇぞ」
「ついでにその面の写真でも撮っとけ」
「『今度なにか私を不快にさせたらばら撒きます』とか脅してみな」
「そんな事をしても良いのかって? ……良いんだよ、俺だって親父の秘密コレクションの隠し場所をお袋に黙る代わりに色々融通を利かせて貰ったりするし」
「弱みの一つでも握っとくとな、むしろ親子の関係が縮まったりするぜ?」
「……あ、それは気持ち悪いんだったな」
「ま、基本的に抗い難い親に対する手札が一枚増えると思えば納得するだろ?」
「とりあえずよ、一度は親離れをした方が良いと思うぜ」
「何時までも頼ってたらよ、母ちゃんも安心できねぇよ」
「弟妹に関してもそうだよ」
「現実で手を出すと色々問題があるし、母ちゃんも心配しちまうと思う」
「けどアイツらの方からゲームを始めて、お前の方に歩み寄って来てるんだろ?」
「だったらもう遠慮なく『私はこういう人間です』って言えば良いんだよ」
「どうせ俺に対してもお前は容赦なく殺しに来るんだ」
「それと何も変わりはしねぇよ」
「家族だって主張するならこれくらい受け入れてみろってな」
「その上でまだお前の事を姉と呼ぶなら本物だよ」
「アイツらは本気でお前と関係修復がしたいと思ってるんだ」
「そうなったら一条、お前もきちんと対応を考えないといけないと思う」
「受け入れるにしろ拒絶するにしろ、もう以前と同じ様な逃げるだけの対応はダメだ」
「どうせゲーム内なら親の干渉はねぇんだ」
「その時は一度ハッキリと決着をつけてみようぜ?」
「……俺も、お前の味方をするからよ」
「俺っ、俺はな……いちじょっ……」
「こんな、情けっ、なくて……まだケツの青いガキ、で……よ」
「人生経験も浅くて、お前っ、を……そこから助けだ、す……術すら知らねぇ無知、でよ……」
「けど、よ……それでも俺一人くらいは……お前の味方で居させてくれ」
「お前が望むなら幾らでも叱ってやるし、ダメな物はダメだって分かる範囲で教えてやれる」
「けど、けどよ……!」
「お前の母ちゃんみたいな、完璧な理解者や味方には成れねぇかも知れねぇけどよ……」
「お前が一人で頑張って、泣きそうな時くらいは黙って傍に居てやれる」
「お前が嫌な相手と対峙してる時、後ろでふんぞり返ってお前の敵を威嚇するくらいは出来る」
「寄りかかるには少し頼りねぇ木偶の坊だけどよ」
「お前が自由に、活き活きと……また綺麗な笑顔を見せてくれるなら幾らでも支えられる」
「だから、さ……一緒に試行錯誤してみないか?」
「お前がお前のままに、楽しく人生を過ごせる様な方法をさ」
「全て思い通りになる都合のいい方法はねぇけど、折り合いを付ける事は出来ると思うんだ」
「だからさ、一条」
「とりあえずは」
「お前の親父をぶん殴りに行かねぇか?」
「俺は――お前が自分一人で作った友人だろ?」
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