第307話一条玲奈の心根
「……情けない結果に終わりましたね」
私へと攻撃を叩き込む直前……正樹さんはスキルの効果を打ち消し、ただ軽く私を戦斧で叩くに留めました。
正樹さんと違って貧弱な耐久に、私と違って高い火力を持った彼のその軽い一撃はそれだけで私の残り少なかったHPを敗北ラインまで削り切ったのです。
その結果として、頭に斧を乗せられたまま俯く私とそれを見下ろす彼という構図が出来上がりました。
「あれはお前のスキルを打ち消せりゃあそれで良かったからな……そのままぶち当ててたらそのまま死に戻ってたぞ」
「あれだけ言いづらそうにしていて、自分を打ち負かしたらなんて条件まで付けていたのに……直前になって油断を誘う為に告白するなんてズルいお人ですね」
「あー……それは、だな……」
ゆっくりと戦斧を下ろし、身動ぎをする彼の……見上げないと分からないその表情が、今どんな感情を映しているのか。
「言うなら今しかないと思ったら……その、思わず口に出てた」
「……そうですか」
思わず口に出る感情、という物もあるのですか……いえ、あるかも知れませんね。
私もよく深く考えずに母に好意を伝えていた様に思えます。
「お前さ、ここ最近……あんま楽しくなかっただろ?」
「えぇ、とても……」
示し合わせた訳でもなく、何ともなしに二人で壁際へと歩いていく。
余力を残していたらしい山田さん達が魔術で周囲を暖め、僅かながら回復してくれるのを横目にそのまま寄り掛かる様にズルズルと氷の壁を背に座り込む。
立てた左膝に腕を乗せ、それを枕に顔を埋めて身体を丸めてしまう。
「……何があったか、聞かせてはくれねぇか?」
「……」
「最後はこんな感じになっちまったけどよ、今回は本当に告白をしようとか、デートのつもりで誘ったんじゃねぇんだ」
素直に隣に座れば良いですのに、変に遠慮したらしい正樹さんが少しばかり距離を空けて私の右隣へと腰を据えるのを眺める。
「ここでなら、ゲームの中でなら俺は……なんの柵もなく誰かを救える様な気がして……思い上がりも良いところだな」
私に手を伸ばそうとして引っ込めて、私の方へ視線を向けようとして逸らして……ゆっくりと吐き出される言葉からも何か迷いある様にも感じられます。
「だけど、お前の事が知りたくて……」
さて、私の事が知りたいとは言われましても何処から話せば良いのやら。
正樹さんと同じく吐き出す言葉に悩んでいると、何か申し訳ない様な情けない様な、諦めた様な表情をした彼が口を開く。
「悪い、流石に踏み込み過ぎ――」
「私が最初に何かを壊したのは三歳の時でした」
「……」
正樹さんが諦めの言葉を言い終わるよりも前に口を開き、言葉を紡ぐ。
この際です、彼も私の事をもっと知りたいと言っていたのですから最初から全て話してしまいましょう。
もう深夜遅いだとか、長話になるだとかの苦情は受け付けません。
「家の裏庭に雀が落ちていたんです」
「カラスや猫に襲われたのか、怪我をしている様でした」
「とても可愛かったのを覚えています」
「何となく、私はその場でその子をそっと絞め殺しました」
「その瞬間に私は自分がどんな事が好きなのかを自覚しました」
「それまでも割れたガラスの破片をじっと眺めたり、道端に放置された猫の死骸に駆け寄るといった事はありました」
「けれどもやはり、自分が何に興味を持つのかを自覚する事は劇的な変化を齎すのでしょう」
「私は祖父母が飼っていた珍しい鳥で遊んでしまいました」
「元々立場が弱く、祖父母からも嫌われていたらしい母共々別邸へと移されました」
「母は好きな人と結婚が出来なくなったと泣いていましたが、それでも私を責める事はせずに抱き締めてくれました」
「血縁上の父は度々別邸を訪れましたが私の事は嫌いであった様で、話し掛けてみても沈黙しか返っては来ませんでした」
「同じ時期に周囲から突き上げられたらしいその男は幼馴染の別の女性と結婚した様でした」
「その時は既にその女性との間に双子が産まれていたらしいです」
「母は悲しそうな、仕方がなさそうな……今思えば複雑な顔をしていたと思いますが当時の私は『お母さんが悲しそうだ』という事しか読み取れませんでした」
「母にそんな顔をさせた男は当主襲名や政界進出の忙しさで顔を出さなくなりました」
「母にさらに寂しそうな顔をさせた事で男を嫌いになりました」
「憎悪と言っても良いです」
「複雑な事情を理解し切れなかった私は男の結婚相手とその子ども達も恨みました」
「母から好きな人を、居場所を、幸せを奪ったと考えたのです」
「自分の遊びが原因の一つだとは終ぞ気付かずに、公園などで小動物や同年代の子を傷付けていました」
「その度に母が慌てていたの見て、私は『お母さんも一緒に遊んでいくれている』としか思いませんでした」
「そんな私にいつも『普通』というものを教え愉してくれる母が好きでした」
「私がやりすぎる前に止めてくれて、『正しい行い』というのを丁寧に優しく教えてくれていましたし、何かあったらまず自分に相談するように言ってくれました」
「今にして思えば母は一人娘である私の将来が心配だったのだろうなと自分の事ながらに思います」
「小学校に上がったくらいの頃でしょうか……ようやく自分が周囲とは少し違う事に気付きました」
「子どもというのは残酷な物で『異物』に敏感です」
「自分で言うのもアレですが、客観的に見て母譲りの整った容姿に綺麗な黒髪」
「みんなと違ってちゃんと一から仕立てられた一目で高いと分かる洋服」
「この程度ならまだ『すごいね』『可愛いね』で済んだかも知れません」
「ですが私はそこで終わるほど『普通』ではありませんでした」
「子供ながらに……いえ、子供だからでしょう、敏感にそこに気付いていたのか入学からそう時を置かずして私という『異物』を排除するためのイジメが始まりました」
「ですがこの時私はこれをイジメと認識せず、自分がしてる『いつもの遊び』だと思ってしまったのです」
「物を隠されれば隠した本人の物を目の前で燃やし」
「押し倒されたら前歯が折れるまで押した相手を殴り続け」
「悪口を言われたのなら相手の口に虫を入れ顎を叩き上げ咀嚼させる」
「遊びの種類を数え上げればキリがありませんでした」
「そんな事が続き、誰も私に近づかなくなった頃」
「たまたま職員室前を通りがかった時です――母の謝罪する声が聞こえたのは」
「なぜ母か謝罪しているのかその時はわかりませんでしたが、なんとなく『自分が悪いのだろうな』と感じたものです」
「大好きな母が理由はわからないけれど自分のせいで嫌な思いをしている……それだけで悔しくなり立ち尽くしていました」
「職員室から出てきた母は目の前のそんな私にびっくりしたような表情して、それから微笑んで……『帰ろっか?』と言ってくれたのです」
「それから私は『遊び』をしなくなりました」
「何かあっても淑女らしく微笑み受け流して、決して自分を出さない」
「出来ているかどうかは別として、年齢を重ねる程にその傾向は強まりました」
「父はますます私を無機質な目で見てくるようになり母にも辛く当たっていたようですが、当の母が暖かい目で私に微笑んでくれていたのでまだ我慢は出来ました」
「ですが母が癌……の様な物に罹ってからは別です」
「母は人間ではありませんでした」
「非常に高度な人工知能を備え、生殖機能さえも再現した数少ない
「本来であるならば感情を再現して見せるだけのそれが、本物の愛情という物に目覚めてしまったが為に深刻な容量不足を起こしたらしいのです」
「二つの愛情を保持する為に他の記憶領域を侵食し、生存の為に必要なプログラムさえ削除してしまう様は癌の様だとも認知症の様だとも言われた事を覚えています」
「程なくして母は亡くなりました……私と男への愛情を優先した末の自害の様なものです」
「どちらか片方への感情を諦めて消去すればもう少し長く生きられたらしいです」
「中学生に上がったばかりの私は母が亡くなった事を上手く理解し切れず居ました」
「『ねぇねぇ、どうしたの?』……そんな事を言いながら私は母の遺体を擽りました」
「母がそうしてくれた様に、私もまた母に笑って欲しかったのです」
「いくら揺すっても起きない、いくら擽っても笑ってくれない」
「そんな母に困っていると、ふと……あの男と目が合ったのです」
「まるで化け物を見るかの様な視線を寄越す、数年ぶりに顔を合わせた男はこう言ったのです」
「『お前さえ居なければ、お前が玲子を奪った』」
「『最後までアイツはお前の記憶を譲らなかった』」
「『お前さえ消えればアイツはまだ生き永らえた』」
「『あともう少し生きてくれれば老害共を消せた』」
「『また一緒に暮らせたはずなのに』」
「そんな恨み言を泣きながら、憤怒の表情で呪詛の様に吐く男に私はこう言いました」
「『お前が消えれば私はもっと母と過ごせた』と」
「その時はまだ母の死の真相は知りませんでしたが、直感的に……そう、何となく『母がコイツを手放せばもっと長く一緒に居られた』と思ったのです」
「私と男が決定的に決別した瞬間でした」
「男は当てつけの様に、これみよがしに幼馴染の女とのお披露目を『再婚』と称して行い、目の前で露骨に双子を可愛がりました」
「その頃に母が亡くなった事をやっと認識し、遺書を読み終えた私は自分がこの世界から逃げられない事を悟りました」
「母の遺書には沢山の私への愛情と、心配事が書かれ……『おばあちゃんになっても墓参りしてくれると嬉しい』という一文まで書かれていたからです」
「これでは母を追い掛ける事は出来ません」
「遊ぶ事も出来ず、母も居ない……自分以外の誰も理解できなければ、自分を理解してくれる人も居ない」
「ただ母の教えや言い付け、遺言を胸に無気力に生きていました」
「ですが私の視界の端でチラつく双子の影や、母から最愛の人を奪った女から掛けられる言葉に私の中の衝動は我慢の限界を迎えました」
「私への興味も最早ないだろうと、それどころか私の様な異常者を身内以外に見られるのは恥だろうと私は別邸からさらに離れへと移り住みました」
「母の趣味部屋だったらしく、遺品の多く眠るそこに私が移り住むのを妨害されるかもと思いましたが以外にも男はそれを許可しました」
「おそらくですが、我慢できなくなった私の暴力が双子に向く事を恐れたのだろうと思います」
「それで直近の問題が解決したからもう大丈夫かというとそんな事はなく」
「今までの心の支えであった母が亡くなり、自分の中の『異常』と折り合いをつけるのが難しくなるのは死活問題で、こればかりはどうしようもありません」
「そんな時にこのゲームと出会いました」
「ここでなら遊べるのでないか? ここでなら自由に生きられるのでないか? ……そう考えました」
「楽しかった」
「現実では一切出来なかった人殺しをまず最初にやってみました」
「心臓がドキドキしました」
「ここまで高揚したのは三歳の時以来です」
「誰かれ憚る事もなく、ただ自分の思うがままに自由に振る舞う」
「それがこんなにも開放感と快楽を与えてくれるとは思いませんでした」
「現実では相変わらず窮屈でしたが、それでもあの男に煽り返せるくらいには元気になったと思います」
「……ですが、そうですね」
「ここは現実と変わらない、生身の人間の様な……母と同じ人工知能が使われた世界です」
「そのせいか、何度も……母の面影を見ました」
「王女に無償の愛と忠誠を捧げるメイドを嬲り殺しました」
「父親の癖に母の様な顔する王を娘の前で殺してやりました」
「自分がもう欲しくても得られない物を他者が享受しているのを見ると無性にめちゃくちゃにしてやりたくなりました」
「……壊しても虚しいだけでした」
「その時だけは珍しく楽しめなかったのです」
「何だか妙にイライラしていたのを覚えています」
「そんな自身の不調を誤魔化す様に、私は一層遊びに夢中になりました」
「帝都で三人で遊んだ時は最高に楽しかったです」
「イライラを一時的に忘れる事が出来ました」
「終わってしまった時は少しばかり寂しかったと思います」
「そんな時に正樹さんさんから『叱ってやる』と言われた時は大変驚きました」
「母以外からされた事がないからです」
「母はいつも言っていました――『玲奈の事が好きだから、心配しているから叱るのよ』と」
「こんな私を母の様に心配してくれる人が居るのかと、動揺もしていたと思います」
「その後すぐです……双子もこのゲームを始めました」
「彼ら彼女らは私と仲良くしたかったらしいのです」
「私は仲良くしたくありません」
「蛇蝎の如く嫌っている相手が私の遊び場に現れる……まるで自分の部屋に土足で上がり込まれたかの様に錯覚しました」
「私は全力で拒絶し、痛め付けました」
「もう二度と、現実でも関わって来ない様にするつもりでした」
「しかし、しかしです……彼女はこう言ったのです」
「『玲子さんから私と友達になってあげてと言われたから』と、そう言ったのです」
「私は激しく動揺しました」
「吐きそうでした」
「私はアイツらが嫌いで嫌いで仕方がないのに、母は私達が仲良くなる事を望んでいたのです」
「それからはもう、何をするにもその事が頭にチラついて楽しめませんでした」
「母が私に教えて来た事で間違った物はなく、母が私に与えて来た物で嫌な物はありませんでした」
「矛盾です」
「あれから、あの双子と唐突にゲーム内で邂逅し、変態紳士さんに諭されてからずっと見ない振りをして来ました」
「いつもの様にゲーム内で己を発散し、遊びを楽しむ事で自分自身を支えて来ました」
「もちろん友人達と遊び、ゲーム内で好き勝手の過ごす時間はとても楽しかったです」
「そこに嘘はありません」
「ですが同時に……ずっと私の心の奥底で燻ってきたモノもあるのです」
「私の大嫌いな大人によく似た弟と妹……彼ら彼女らと相容れる事は心情的に難しい」
「ですが、ですがそれが……母の用意した私が普通に過ごす為の大事なものだとしたら」
「母が最期に遺した母親らしい事で、私の為に頑張ってのモノかも知れなかったら」
「現に、私は運が良かっただけで母の死後数年間……マトモに友人が出来た事はありません」
「それを、危惧していたのでしょうか?」
「私がこのゲームを見付けたのは完全な偶然で、そしてゲームをしなければ正樹さんや結城さん、舞さん達にも出会う事はありませんでした」
「つまり母の危惧は当たっていたという事です」
「それを不意にしても良いものか、これからもずっと目を逸らして問題を先送りにし続けるのか……それが、私にとってどの様な結果を齎すのか」
「こんな答えの出ない事をつらつらと考えていました」
「以上になります」
「これで満足できたでしょうか?」
「私はどうすれば良いと思いますか?」
「普通の人である正樹さんになら分かりますか?」
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