第281話須郷正樹の心根
――俺がアイツに、一条玲奈に出会ったのは中学の時だった。
小学校から上がりたてで、今よりもずっとクソガキだった俺は初めて目にした『自分とは違う綺麗な生き物』というものをアイツに見た。
そんなよく分からないけど目が離せない異質なモノに対して俺は苛立った。
自分の理解できないものが目の前に存在して、さらには自分の意識を勝手に向けさせられる……それが何でか知らないが、堪らなく不愉快だった。
『おい、お前なんでずっと一人で居るんだよ』
今よりもずっと堪え性が無かった俺はすぐさま行動に移した。
ずっと一人で真っ白なノートを見詰め続け、何を書くでもなくただじっとペンだけ持ったまま動かない奴が気味が悪くて仕方がなかった。
だから休み時間に隙を見付けては苛立ち紛れに話し掛けた。
『……』
帰って来たのは無言の視線……ただ、それだけだった。
中一の頃のアイツは今以上に人間味が無かったっていうか、今思えば大切な何かを失ったばっかりの様にも見えた。
中身が空っぽの人形がヒトのフリをして一日をやり過ごそうとしている……そんな薄気味悪さがあった。
『何とか言えよ』
『……、あっ……今日は良い天気、ですね?』
『はぁ?』
多分だが、俺みたいな粗野で生意気でガキっぽい奴は初めて会ったんだろう。
これは新しいパターンだ、どう対応すれば良いのか分からない……そんな副音声が聞こえてきそうなクソ対応だった。
とりあえず何かを言えっていう指示に従い、恐る恐るといった様子で発せられたのはまさかのテンプレ回答っていうな。
『お前さぁ、なんなん?』
『……私は一条玲奈です』
『いや、そうだけどよ……』
あー、今思い出してみても小っ恥ずかしい黒歴史みたいなファーストコンタクトだなぁ……何が聞きたいのか自分でも分からないままに質問する俺と、そんな質問に無機質に返答するアイツ。
本当にもう、俺は何がしたかったんだか……ただの迷惑な奴じゃねぇか。
『席に着け〜、授業を始めるぞ〜』
『っ! ……お前、覚とけよ』
『……』
ホント、何がしたいのか分からないのにクソみてぇな捨て台詞を吐きやがって……三年間一緒にだったのに覚えられてなかった訳だわ。
それから結局なにも進展のないまま、ただアイツにだる絡みしては困らせてただけだった。
……そんな、よく分からない自分のもどかしい感情が明確に変化したのは一学期も終わる頃だった。
『――そうやって馬鹿にしてるんでしょ!』
大声で言い争う声に誘われて、夏休みも近いってんで授業で使われなくなったプール裏の草むらでアイツが複数の女子に囲まれていたのを発見した。
クソガキだった俺は最初の方は囲んでいた側の女子達の意見に共感を覚えていた。
そうだよな、ソイツの態度って生意気だよな、何を考えてるか分からねぇよな、もっと愛想を良くした方が良いよな、ってな。
『……』
でも段々と真逆の意見が心の奥底から湧いて出るんだ。
なんでお前達がそれを断罪してんだ、別に何考えてんのか分からなくて良いだろ、俺はお前らが考えてる事も分からん……とかな。
しかもアイツ自身にもなんで言って返さねぇんだって怒ってたんだから、馬鹿馬鹿しいにも程があるだろ?
そんで、女子の一人がとうとうアイツに手を出したのを見て無意識の内に足と口が出ていた。
『おい、先生にチクんぞ』
『げっ! 須郷!』
『行こ!』
これでも腕っ節は強かったし、自分で言うのも何だがスポーツも勉強も出来たからクラスカーストは高かった。
だからそんな俺が敵に回ったとあったら旗色が悪いとみたんだろう……女子達は直ぐにその場から去っていった。
『……なんで、やり返さねぇんだよ』
『助けてくれてありがとうございます?』
『なんで質問に答えなくてお礼も疑問形なんだよ』
何故だか分からないが、本当に……その時は本当にイライラしていた。
まるで奴が何かに縛られて身動きできなくて、それで何か言われた通りに、学習した通りに事を済まそうとしている様に見えて気に入らなかった。
なんでお前はそんなに不自由なんだって、凄く腹立たしかった。
『なんでお前はそんなに不自由なんだよ』
気が付けば声にも出して直接聞いていた。
なんでお前みたいな、何もせずにそこに立っているだけで俺が意識させられるお前がそんなに不自由なんだ。
俺の心の自由を奪うお前が不自由なのが気に入らないってな。
……でも、そんな場違いな感情も次の瞬間には霧散する。
『――お母さん、もう居ないんです』
『――』
そう言ってボロボロと泣き出すアイツ。
初めてアイツの人としての顔が見えた。
初めてアイツの生の感情が表に出た。
初めて俺は自分が何故アイツをここまで意識していたのかを知った。
今のアイツからじゃ想像できないが、この時は今以上に不安定で……本人の言動から察するに大好きだった母親が亡くなったんだろう。
そこまで仲良くなくても身内の不幸っていうのは結構堪えるもんだ。
……それを俺は、知らず知らずの内に無遠慮に触れてしまったんだ。
『わ、るい……』
そんで馬鹿だからよ、その時になって初めて自分がコイツの事を好きなんだっていうのを自覚するっていうな。
馬鹿だからよ、アイツの泣き顔を見て初めて理解するっていう、ちょっとどうかと思う自覚の仕方だった。
後にも先にもコイツが感情を表に出して取り乱したのなんてこの時だけで、それっきりアイツはいつもの通りに澄ました顔に戻りやがった。
『……』
でも俺の受け取り方っいうか、アイツの見方は大分変わった。
それまで何を考えてるのか分からない人形みたいな奴から、何かに縛られて自分の思い通りに振る舞えない幼い子どもに思えてならない。
……なんていうか、ほっとけなくて……アイツの力に、支えに成りたかった。
好きな女の特別に成りたいとか、そういう気持ちもあったのは確かだが……それよりも傷付いた子どもを助けたいと思った。
けどよ、さっきから言ってるけど俺は勉強が出来るだけの馬鹿なクソガキだったから空回りしかして来なかった。
だからだろうな……中学を卒業するまでの三年間で、三年間という時間がありながらアイツの記憶にすら残ってなかったのは。
その事に悶々としつつも、高校に入学する頃にはアイツもそこそこ折り合いを付け始めてたっていうか、擬態が上手くなったっていうか……俺たち一般人の行動サンプルとでも言うのか、そういうのが集まってそこそこ表面上は問題が無くなった。
……でも廊下をすれ違ったり、教室の外から覗くアイツの顔に、ふとした拍子にあの時の泣き顔が見える気がするんだよ。
アイツに心の底から笑って欲しくて、でも俺にはそんな力もなければ方法も思い浮かばなくて……そもそも一条玲奈という人物の事すらよく知らない。
そんな八方塞がりでどうしようもない感情をゲームにぶつけた。
特に高校一年の二学期の後半辺りに正式にサービスが開始される予定のゲームにはカルマ値なんていう、目に見える指標があったのも良かった。
……そこで俺は、アイツにしてやれなかった分の人助けを頑張った。
そこでプレイヤーやNPCを問わず、人を助ければ助けるだけ上昇していくカルマ値という数字を眺めては『あぁ、俺はちゃんと救えてるんだな』っていう偽りの安堵で己を慰めた。
もちろん純粋にゲームが好きだったのもあるが、現実の人間と全く見分けが付かない様なリアルな挙動をするNPC達も相まって、俺はさらにゲームにのめり込んだ
そんで、正式にサービスが開始されて三日目だよ……事件が起きたのは。
そうだよ、アイツだよ。
今ではジェノサイダーとか言われてるアイツのデビュー戦だよ。
俺たちがボッコボコに殺られたあれだよ、あれ。
最初は本当に気付かなかった。
初恋の癖に気付かなかったのか? とか聞かれるかも知れねぇが……俺は、不自由なアイツしか知らなかったから。
顔が似てるとも思ったが、どうにも俺の中で一条玲奈という人物と、レーナというプレイヤーが結び付かなかった。
だから最初の頃は俺の人助けを邪魔し、NPCだろうがプレイヤーだろうが簡単に害してみせるアイツに憤慨もした。
そして後にレーナの正体がアイツだって分かって少しショックも受けた。
どうすりゃ良いんだ……俺はアイツを助けられなくて、その代わりとしてこのゲームで正義マンとして活動してるのに、それを当のアイツに……でも、アイツがそれで救われるなら?
いや、でもこのゲームをする内に俺だってNPC達に愛着が湧いてるし、もはや他人とも思えねぇ……本当にどうしたら良いんだ。
……みたいな感じでグルグルと、慣れない悩みをして出した結論が――アイツと正面からぶつかってみる事だった。
最初の、第一回公式イベントの時はめっちゃドキドキしながら宣戦布告したんだぜ?
それでもよ、改めて考えてみれば『俺、アイツの事を全然知らないじゃねぇか』っていう、基本的な部分に立ち戻ってよ。
だから今回は、三年前と違って今回は……逃げずに怯えずに、少し突いただけで壊れそうなアイツに触れてみようと思った。
……壊れそうとか言っときながら実際にボコされてるのは俺の方なんだけどな。
でも段々と『あぁ、コイツはゲームを楽しんでんだな』って思う様になった。
俺は不自由なアイツしか知らなかった……自由に振る舞うアイツとは違った。
アイツの事を可哀想じゃなくて、カッコイイと思えたんだ。
だから殊更ゲームとは違う、現実のアイツとの対比がよく目立つ。
「……なぁ、一条」
「なんですか?」
今だってそうだ……俺の呼び掛けに、俺が渡したビニール傘を持ったまま振り返るコイツが……雨に濡れたままのコイツが酷く不自由で息苦しそうな子どもにしか見えない。
俺が思わず正面切って語調を荒らげてしまう様な、どうしようもない腹立たしさを感じさせる様なカッコイイ自由な振る舞いが無い。
けどよ、レベルもステータスも、何も持ってない現実の俺じゃ誰かを救うなんて事は出来ねぇ。
「絶対に、来いよ……」
「……」
「俺はまだお前に吠え面をかかせてねぇんだからな」
だから、だからこそ俺に出来る事は――お前を楽しい遊び場へと誘う事だけだ。
「……そうですね、正樹さんとの遊びで手を抜く事はありませんよ」
「ふんっ! どうだかな!」
そこでなら、ゲームの世界でなら俺はお前と真正面からぶつかり合う事ができる。
お前も一時だけでも自由になれる……そんな場所で今度こそ俺はお前に勝ってみせる。
……ゲーマーなのには変わりはねぇからよ、負けや引き分けばっかりで勝ち星をまだ取れてねぇってのは単純に気に入らねぇんだ。
「私を見て、正面からぶつかって来るのなんて貴方くらいですよ」
「……そうかよ」
思わず口をへの字に曲げながら押し黙る。
いつもこうだ、気恥ずかしかったり、どうして良いのか分からないと俺はいつもこんな態度を取ってしまう。
「約束、だかんな……」
「……そうですか、それはますます履行しなければなりませんね」
「ふんっ!」
まぁ、あれだ……お前がそれで良いなら別に構いやしねぇんだよ。俺はな。
「じゃあな、風邪引かねぇ様に身体ちゃんと暖っめろよ」
「えぇ、そちらこそお気を付けて」
そのまま一度もコチラを振り返らずにデケェ屋敷の中に入っていく一条の背中を見続ける。
「……失敗、したかな」
その濡れた小さな背中を見て、タオルも用意しとけば良かったと今さらながらに後悔する。
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