第280話一条玲奈の日常その14
――ザァアアァァ
外から響いてくる土砂降りの雨音……何となく家に帰る気も、ゲームをする気にもなれず、廃ビルの鉄骨階段に片膝を立ててずっと座り込んでいます。
いつ倒壊するかもわからず、現に窓も割れ、朽ちては錆び、雨雲を通して曇り拡散された弱い陽光が中へと入り込む始末。
そんな頼りない建物の外に取り付けられた鉄骨階段も取ってつけた様な屋根にも所々穴が空き、そこから入り込んだ雨水が流れ落ちては制服のスカートを濡らしながら私が弄んだ小動物達の血を洗い流していく。
そうでなくとも少し風が吹けば雨粒は容易く進路を変え、私の頬を叩いては濡らしていきます。
「……」
立てた片膝を両手で支え、そこに横倒しにした顔を乗せる私の顔に、頬に……濡れた髪が張り付いて少し気持ちが悪い。
伸ばしたもう片方の足首をぐにぐに動かして遊んでみますが、ただ革靴が雨を弾き、靴下が雨水を吸収して重くなるだけです。
数十分もそうして過ごし、雨と風に晒されていたせいか身体は完全に冷えきり、吐く息も何となく白く見えてしまう。
……あれから、あの双子と唐突にゲーム内で邂逅し、変態紳士さんに諭されてからずっと見ない振りをして来ました。
いつもの様にゲーム内で己を発散し、遊びを楽しむ事で自分自身を支えて来ました。
もちろん友人達と遊び、ゲーム内で好き勝手の過ごす時間はとても楽しかったです……そこに嘘はありません。
……ですが、同時にずっと私の心の奥底で燻ってきたモノもあるのです。
私の大嫌いな大人によく似た弟と妹……彼ら彼女らと相容れる事は心情的に難しい。
ですが、ですがそれが……母の用意した私が普通に過ごす為の大事なものだとしたら。
母が最期に遺した母親らしい事で、私の為に頑張ってのモノかも知れなかったら。
現に、私は運が良かっただけで母の死後数年間……マトモに友人が出来た事はありません。
それを、危惧していたのでしょうか?
私があのゲームを見付けたのは完全な偶然で、そしてゲームをしなければハンネスさんやユウさん、マリアさん達にも出会う事はありませんでした。
つまり母の危惧は当たっていたという事です。
それを不意にしても良いものか、これからもずっと目を逸らして問題を先送りにし続けるのか……それが、私にとってどの様な結果を齎すのか。
……こんな答えの出ない事をつらつらと考えているのも、それもこれも全てあの男とあの女のせいです。
『……なんですか、それは』
『見て分からんか? 昔の写真だ』
『なぜ私の知らない母様の写真があるのですか?』
『お前の知らん写真など沢山ある』
『ですがそれには私が写っています……見知らぬ赤子も居ますが』
『覚えてないか? 小鞠と正義だ』
『……なぜ、あの二人が……』
『そ、そうよ! 玲奈ちゃんはね、小鞠達と会った事が――』
『貴女は口を開かないて下さい』
『……っ』
『答えて下さい。それは本物ですか?』
『お前がもっとも気味悪かった三歳の頃に撮った物だ。覚えていなくても仕方がないか』
『こっちを見て言って下さい。独り言ですか?』
『もう失せろ。玲子に強請られて撮った物だが、覚えていないくらいだ……必要ないだろう』
『……勝手に、決めないで下さい。母様の写真は全て私の物です』
『はっ! 嫌いな私達が写っていてもか?』
『……それでも、です』
『好きにするがいい。私と違って玲子との思い出が少ないお前の事だ……そういった物にしか縋る事が出来んだろう』
『……っ! ……帰ります』
『客が来る。暫くは本邸には顔を出すな』
『……言われなくとも』
……あの日以来、私は私が何を感じているのか……自分でもどうしたいのかがよく分かりません。
「……」
山本さんに処置をしてもらってそれっきりの右手を握ったり開いたりしてみても、ただ痛みを脳に伝えるだけでなんの意味もありません。
なぜ私がここまで心惑わされなくてはいけないのか……いえ、私の心をここまで惑わせるのは母が関わってるからです。
いつもの行動指針に母の存在が介入しているから、私は矛盾した指示にエラーを吐き出す機械の様に――
「――こんな所に居やがったのかよ、風邪引くぞ」
深みに嵌っていく思考を無理やり引きずり上げるかの様な、そのぶっきらぼうな声が頭の上から降ってくる。
「……正樹さん、ですか」
「……なんだ、その湿気た面は」
顔を上げ、背後の上段へと振り返ってみれば鼻白んだ様な、そんな顔をして私を見下ろす正樹さんの姿が視界に入ってきます。
ご丁寧に二本目の傘を持っているところを見るに、私を探していたのでしょうか?
「何があったかは知らねぇけどよ、あの二人が心配して連絡寄越して来たぞ」
「……そうですか」
「山本? だっけか? なんか執事っぽい人も探してたぞ……いつもの時間に帰って来ねぇってよ」
「執事っぽい、ではなくて執事そのものですよ」
「……マジか、さすが華族」
深くは聞かず、他の人が心配していたと言いながらも私の隣にズボンが濡れる事も気にせず座り込むのはなんなのでしょうか。
私を帰らせる為にこうして探しに来たのではなかったのでしょうか。
「厳密には家令といって、執事や従者を束ねて家の細かい事の一切を取り仕切る当主の側近筆頭ですよ」
「あの爺さんそんなにすげぇ立場の人だったのかよ、変な口調じゃなかったかな……」
「今さら心配しても遅いですよ」
「……そりゃ、そうだがよ」
それっきり会話のネタが尽きたのか、口をへの字にしたまま押し黙る正樹さんの横顔をじっと見詰めてみます。
この程度しか引き出しがないのに、チャレンジしてみようとするのは彼らしいと言えば彼らしいですか。
「……ゲームでよ、新しいダンジョンが見付かったんだよ」
「……へぇ」
唐突に切り替わる話を聞きながら、頬に張り付いて気持ち悪い髪を指で掬って耳に掛ける。
「どっちが最初に攻略するか、勝負といかねぇか? もちろんサシでよ」
「良いんですか? 仲間のサポートが無くて」
「はっ! お前なんか俺一人で十分に決まってんだろ!」
いえ、私は従魔達が居るので厳密にはフルパーティーで戦っている様なものなので言ったのですが……今の正樹さんの様子だと、それを言っても今さら引き下がらないでしょうね。
「……そうですか、では競走といきましょうか」
今はただ、何か気を紛らわす事がしたいですからね。
「…………良いか? 本気で来いよ?」
「? そうですね、やるからには本気ですよ?」
「ふん、どうだか」
何か、気に入らない回答でもしてしまったのでしょうか?
……いけませんね、こういう時に原因について察せれないのは。
「……そろそろ暗くなるし、予報ではさらに酷くなるってよ」
「そうですか」
「そうですか、じゃねぇ! 風邪引いたらゲーム出来ねぇだろうが!」
「そういう事ですか」
「そういう事だよ!」
なるほど、では今日はもう帰りましょうか。
「ん!」
「……私の為に買ってくれたんですか?」
「コンビニで買えるビニール傘くらいで大袈裟なんだよ……ほら、途中まで送ってくから帰んぞ」
正樹さんからビニール傘を受け取り、十数分前とは違って簡単に上がった重い腰……そのまま傘を開いて正樹さんの先導に従って階段を降りて行きます。
「……別に無理に言わなくても良いけどよ、他人に頼れなくても自分だけは大事にしろよ」
『玲奈? 何があったのか無理には聞かない……けどね? 誰かに助けを求められなくても、自分自身だけは大事にしてあげて?』
「……はい」
何処かで聞いた様な言葉に静かに返事をする。
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