第279話一条玲奈の日常その13


「……っ」


 珍しく本邸の廊下を歩く私を見てはすれ違う使用人は一様に慌てた様に壁を背に控え、頭を下げていく。

 私からは見えないその顔にどんな表情を張り付けているのか、その表情はどんな意味があるのか……未だに理解できない私と同じ様に、彼ら彼女らも私が理解できないでいる。

 誰も彼もが私が一瞥をくれるだけで面白い様に肩を震わせて硬直してしていく様はまるで何かに怯えているかの様で……事実として彼ら彼女らは私に怯えているのでしょう。


 ……そして、そんな私を恐れずに話し掛けてくる者もまた決まって同じ人物でした。


「お、おおね、お義姉様!」


「……」


 私の目の前に堂々と立ちながらも、何処か煮え切らない……モジモジといった表現が似合う態度を取る歳下の少女と、そんな彼女の一歩後ろで強ばった顔を隠さない少女と同い歳の少年。

 あれだけ、あんなにも……彼ら彼女らを拒絶したというのに諦めずに私と関わろうとする様は筆舌に尽くし難い。


「え、えっと……その! 並み居るゾンビを打ち倒すゲームを見付けたんですが一緒にやりませんか!」


「こ、小鞠? 多分グロければ良いってものじゃないと思うよ?」


「じゃあ正義は何が良いって言うのよ!」


 正直なところ、目の前で小声で相談を始めたこの二人の事を私はどうするべきか決められないでいます。

 どうすればいいのでしょうか……彼ら彼女らを拒絶したい気持ちと、彼ら彼女らを受け入れるのが母の望みではないのかという思い。

 あの男とあの女によく似た二人の顔が、私は酷く気に入らないというのに。


「……」


 そうやって、いつもと同じ様に悩んだ結果として私が選択した行動もまたいつもと同じものでした。

 彼ら彼女らを努めて無視し、そのまま横を通り過ぎるという酷く消極的なその対応……とても、息苦しい。


「あ、あの! また一緒にゲームしますから!」


「仲良くしたいのは本当なんです! だから――」


 だからなんだと言うのか……私自身でさえ何がなんだか分からず、持て余しているこの感情と衝動をどうにか出来るとでも言うつもりでしょうか。

 だったらアナタ達に縋っても良いです……できるのなら、ですが。


 分からない……私はずっと分からないでいます……私が彼ら彼女らに対して感じている感情の正体も、私がここまで拒絶しているのに諦めない彼ら彼女らの理由も。

 それに思い至り、悩む度に私は自身が理解できないモノに対する……解の得られない現状に対する苛立ちを覚えるのです。


 私はいつも、そうです……他人を慮る事が、出来ない……母の真似すら出来ない、したくない。


 母に言われた通りに、私が現代社会で生きていける様に擬態して、母が望んだ通りに『普通』を目指してみても一向に届きはしません。

 それどころか私は、私は……自分を偽りたくはないのです。

 自分を押し殺してやりたい事を我慢する……その事のなんと息苦しく、腹立たしい事でしょうか。


 ……でも、それでも私は母が大好きなのです。


 母の様に成りたいですし、母が自慢できる様な娘に成りたいのです。

 母を困らせず、私の代わりに知らない大人に頭を下げさせない様な……母と笑顔で語り合う様な人間に成りたいのです。

 ただ自然体であるだけで息苦しさも何も感じない、そんな人間に。


「……あぁ、煩い」


 最近ずっとこんな事ばかり考えてしまいます。

 それもこれも全てあの男とあの女が悪いのです……私の前で母の昔話をするから!


「……っ」


 唐突に廊下の鏡を殴り割った私に、見覚えのない若い使用人が怯える……その表情すらも煩わしい。


「ここは私に任せてお行きなさい」


「は、はい!」


 若い使用人を遠ざけ、母が生きていた頃からこの家に仕える山本さんが私に歩み寄り、鏡を殴り割った手を両手で包み込んで来ます。


「……お嬢様、何かを傷付けても自分自身を傷付けてはなりません。玲子様が悲しんでしまいます」


「……」


 ポタポタと血を滴らせる私の手をハンカチでそっと抑え、たまたま通り掛かっただけだというのにいつの間にか用意した救急セットを開く。

 そんな山本さんの言葉と、自身の手の痛みに少しだけ冷静さを取り戻す。


 ……ほんの、少しだけ。


「お嬢様が誰かを傷付けた時よりも、お嬢様が傷付いた時の方が玲子様は酷く悲しみ、落ち込んでしまわれます」


 手の傷を手当てしながら「よく知っているでしょう?」と、山本さんは静かに私へと語り掛けてくる。


 ……えぇ、そうです。母は私が小さい頃に自分よりも体格の良い高校生と喧嘩して怪我した時は酷く落ち込んでいました。

 その事を思い出し、今の状況を照らし合わせてみれば……今この場に母が居合わせれば私の手を傷を前に涙目になりながら慌てふためくのが容易に想像できます。


「何に憤っているのかは存じ上げませんが、それは誰かに相談できない事でしょうか?」


「……」


「……私を含め、お嬢様を心配している者達は大勢居るという事だけでも知っておいて下さい」


 その言葉と一緒に治療が終わり、同時に何も答えずにその場を去る。


 ……誰か助けて貰えるなら、そんな事が出来るのなら助けて貰いたいものですね。


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