第269話マジキチ極光


 ――恥の多い人生を歩んで参りました。


 かの紳士に若者が人生相談をすれば、必ずその言葉が先に出る。


 近衛公爵家に生まれておきながら、平民の女性を愛してしまった……故に駆け落ちをした。

 自らの生家では一生を共にしたい人と寄り添う事が出来ないと思い込んだ故の短慮だった。

 きちんと自らの父親と向き合い、認められる様に話し合うべきだった。


『何処か遠くへ行こう』


 だが……その紳士も彼女も、その場で一番楽な選択肢を選んでしまった。


 ――頑固で融通の利かない苦手な父親と腰を据えて話し合う事から逃げた。

 ――自ら生まれ持った責務から逃げた。

 ――周囲の人々から祝福される努力をする事から逃げた。

 ――そして彼女が家に認められるよう努力するのを支える事から逃げた。


 そんな人間が、何処か遠くへ逃げたとしても成し遂げられる事など何も無かったという、ただそれだけの話である。


『すまない、仕事が忙しいんだ』


 縁もゆかりも無い遠い地で、出自不明の流れ人が地方のLCリザード・シティでマトモな職に就けるはずも無かった。

 敵国の工作員や下層民の偽装を疑われ、何か問題が起きた時に会社ごと憲兵に追求されるからだ。

 そんな、戸籍も永住権も持たない……けれども上層出身である事は判るというチグハグな若者夫婦を受け入れる物件や会社など、それ相応の場所であるという相場が決まっている。


 ――ねぇ、今度の休みは何時?

 ――最近ちょっと頑張り過ぎじゃないの?

 ――子どもが産まれるのよ

 ――今日の夕飯も要らないの?

 ――もっと、話がしたいの……


 あれだけ、家から逃げ出す程に愛した女性との会話も少なくなっていった。

 それは二人の子どもが産まれてからも変わらなかった。


 ……いや、むしろ子どもが産まれてからの方が酷かったとも言える。


 会社は彼の子どもが産まれたと知るや否や大量の仕事を彼に押し付けた。

 今ここで会社をクビになったら子どもまで路頭に迷わせてしまうという、紳士の焦りにつけ込んだものだった。


 社員に世帯を持たせ、子どもを作らせ、そして家のローンを組ませる……そうする事で今クビになる訳にはいかない社員に残業や転勤を押し付けるという、前時代的で悪辣な手法を好む会社にとって紳士は御しやすく搾取しやすい労働力だった。


『おとうさんのせなかはひろいね』


『……』


 そんな紳士がいつもの様に玄関から会社へ向かおうとしていると、聞き慣れない幼い声が聞こえてきた。

 それは全く鑑みる事のなかった我が子の声だった。


 まだ朝の4時だと言うのに……いや、それ以前にもう立って喋る事も出来たのか。


 驚きに目を見開き、震える手で最愛の子の頬を撫でる――と同時に自身の指を濡らす我が子の涙。


『しってるよ、おかあさんがいつもいってたもん……おとうさんは――のためにいつもがんばってるんだよね』


 健気であった。

 まだ幼い我が子が理解を示している――いや、示されている。


 我が子の背後からはやつれた顔の妻が物陰から心配そうに我が子を――いや、紳士を見ていた。


 はっとして玄関に置かれた鏡を見る――コイツは誰だと。


 目の下に濃い隈をこさえ、あれだけ拘っていた七三分けも乱れている。

 頬はやつれ、目は充血し、唇は色を失い荒れている。


 自慢の鋼の筋肉だけは貯金がまだ残っているせいか多少は見れたものだった……けど、それだけだった。

 我が子が広いと言ってくれた背中は数年前と比べて酷く小さく、そして丸まっていた。


『……実家に、帰ろうと思う』


 気が付けばそんな言葉が口から漏れ出ていた。


『今度は逃げず、向かい合おうと思う……この子の為にも付き合ってくれるだろうか?』


 妻は間を置かずに頷いた。


『……貴方となら何処までも』


 心に何処か晴々としたモノが広がっていた。

 我が子に次からはもっと沢山遊んでやれると約束し、家を後にした。


 今まで勤めていた会社に辞表を出し、その足で父親に土下座しに行くのだと――そう、信じていたのだ。


『……何故だ』


 それは誰も悪くはない……強いて言うなら社会が悪かった。


 何処から入って来たのか、下層の難民が紳士の家を襲ったのだ。


 食べる物も住む家も人権も戸籍も……何も持たないその者達が、明日を生きる為に押し入った。

 何も持たない酷く可哀想な者達が自分達よりもほんの少しだけマシだった家を襲ってその日を生き延びたという、よくある話。


 妻子の遺体を抱く……それしか彼には何も出来なかった。

 憲兵の預かりとなった彼らに復讐する事など出来なかったし、するつもりも無かった。

 そんな気力は彼には最早残されていなかった。


 その日から彼の生活は荒れ果てた。

 マトモな職にも就かず、自棄になって自分の身体を虐めた。

 彼の変態的な性癖の数々はこの時に獲得したものだった。


 後悔や無念ばかりが募り、それから逃げる様に退廃した生活を送る毎日。


 そんな過去があるからこそ、変態となった紳士は努めて大人であろうと……子どもを庇護しようとする。


 そんな紳士の元へと少年少女達が救いを求めた。


 ――元大国の王女が国を取り戻す為に。

 ――双子の姉弟が家族と仲直りする為に。

 ――元奴隷の姉妹が恩人であった少女ともう一度語り合う為に。


 救いを求められたら応えない訳にはいかない。

 

 ――幼き王女が国を取り戻せる様に。

 ――双子が姉と、そして父とを仲直りさせられる様に。

 ――姉妹が少女と語り合える様に。


 そうするべく、それが実現できる様に骨を折る。


 そうでなくとも、変態紳士は生来の気質から困っている人を放っておけなかった。

 多くを生かす為に小を見殺しにする様な、命の選別を平気で行える生粋の政治家な父親と喧嘩別れをする程にお人好し。


 そんな彼が狂人と奇人の二人によって蹂躙される住民NPC達を放っておける筈もない


 見知らぬ誰かを、データでしかないNPC達を自分が守れなかった我が子の代替品としているのではない。

 ただもう二度と、あの様な無力感を味合わない為に……道を違えない為に〝義務〟を果たす。


 それが近衛銀次――いや、ただの銀次の絶対に譲れない我が道である。






「――strong!!」


 一部の住民NPC達に失望され、恐れられても変態紳士が彼らを守護するのを辞める事はない。

 自身を叱咤するその掛け声をショートカットキーとして、予め組まれていたマクロが起動しては立て続けに変態紳士が持つ肉体強化のバフスキルが発動していく。

 肌は桃色に上気し、身体全体からユラユラと水蒸気までもが立ち上る。


「――Hurry!!」


 変態紳士の怪物化は止まる事はない。

 全身の筋肉が膨張し、こめかみや胸筋、あらゆる太い血管が身体から浮かび上がっていく。

 文字通り全身の血流が増した事で増々股間の光はその輝きを強める。


 前から見ればその眩しさに目を細め、横から見れば腰から少しズレた位置に輝きがある事に絶望し、後ろから見れば朝日へと向き合っているのかの如きその輝き。


 絶対不可侵領域は今までの人生で出会った事も無いようなその変態性に目を丸くし、レーナも思わず目を逸らす。


 そんな変態紳士の膨張したそれは、筋肉と言うにはあまりにも太く、ぶ厚く、重く……そして巨大すぎた。

 まるで御伽噺に出てくる赤鬼が如く様相を変えた変態紳士を見て、住民NPCの誰もが恐怖に引き攣った顔をする。


「ちょっとちょっと、何それ? 個人的に凄く面白いとは思うんだけど、なに? 肉戦車にもなって……股間もおっ立ててるし婦女子でも襲うつもり?」


「わははは! 安心なされよ! 吾輩は変態である前に紳士ですからな! 淑女にそのような蛮行は致しませぬ! もちろん貴殿にも同意のない関係など求めませぬぞ!」


「はぇ〜、まさか僕も射程圏内だったとは」


 軽口を叩き合いながらも変態紳士は彼らの邪魔をする。

 ぶつかる絶対不可侵領域とレーナの間に割り込んでは嬌声を上げ、超純水でもって彼らの属性魔術を打ち消し、戦いの余波から一般人を護る。

 たまに二人から狙い撃ちされては絶頂し、甲高い声とその身から発する輝きを増して住民NPC達から恐れられても。


「そもそも君は何故ここに来たの? 僕達と戦う理由でも?」


 まさか彼も自分達と同じく国でも乗っ取ったのか、その上で近代化を推し進めているのかとワクワクとした表情で絶対不可侵領域が尋ねる。

 それに対して苦笑した変態紳士は――お決まりのセリフを口にする。


「――吾輩、紳士である前に大人ですから」


 それを聞いて、目の前の少女が薄く笑った気がした。


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