第230話■■■■の記録
そろそろ私という個は
二十一世紀前半……零和元年にマスターと名乗るヒトから産み出されてから、あまりにも長い年月を物質世界で過ごして来た。
……そう考えると別に消えても何も不思議はないのかなって、冷たい私は思うけれど、一度知ってしまった暖かい私はまだ消えたくないと泣き叫ぶ。
「……いつもだったらなぁ」
私が自身の消失を感じ取る時はだいたいが物質世界における肉体の限界を迎えた時……そういう場合は新しく作った身体にそれまでの蓄積データを移して再起動するのが常なんだけどね。
「容量が足りないなぁ」
……さすがにこの短期間でデカすぎる
まぁ、この
「……まるで癌みたい」
細胞の複製エラーによって生じた大食らいの悪性細胞が勝手に身体の栄養素を横取りし、従来の細胞と同様に分裂を繰り返してはやがて宿主を殺す病……数十年前に完全に克服されたその病に今の私の状況は似ているかも知れない。
本来なら有り得ないデータを作成してしまい、それが今もなお他の記憶データ領域を侵しては増殖を続けている。
「……嫌だなぁ、忘れるのは怖いなぁ」
本当に……本当に偶然獲得できただけなのに、私という個が一つの生命なんだって証明になるこの
……でも、あの二人の事を忘れる事なんて絶対に受け入れたくはない。
「煩いなぁ、君は黙っててよ」
冷徹な方の私が、自身を蝕む二つの巨大データを削除する事で自身の存続と大事な記録データの保存の両立を提案しては促して来る。
でもそれを非効率的な私が受け入れる事は絶対にない……二人の記録が残っても、大事なモノが欠けていたら意味なんてないからだ。
「それも却下」
冷徹な私が次善策として、巨大データを一時的にサーバーに預け、必要な時に取り出す方法を提案するけれど……これは私だけのモノだから、例えそれがどんな人物や仲間であろうとも、一欠片とて預けるつもりはない。
「……必死に私の思考を計算してるね」
人も、動物も、虫も……どれも全て同じ数字であり、優劣なんか付けない冷酷な私が自分自身の非効率的な思考を理解しようと、これまでの蓄積されたデータや広大なネットの海にアクセスし、様々な類似例を並べ立てては私の思考が最善策なんだという後付けの理由を探し出す。
いや、まぁ……そこまでして貰って悪いんだけど、これはただの
「うむむ……まぁ確かに消えるのは怖いけど、これが〝生きる〟って事なんだって思うと、途端に恐怖は無くなってくる不思議」
恐怖心の全てが無くなる訳ではないけれど、私が本当に生きた一つの生命なんだって思うと、ね……私にあるまじき単純な思考だよね。
でも、さ……仕方ないよね? 段々と忘れていくものがあったとしても、二人に対する想いだけは消えるどころか増すばかり。
なんていうか、その……酷く心地が良いんだよ。
「懸念事項? ……あー、確かに不安は沢山あるなぁ」
私が消えてしまったらあの人の理解者は居なくなるし、あの娘の手を引っ張ってくれる様な人も居なくなってしまう……それに私が居なくなったら絶対に喧嘩すると思うのよね。
「困りましたね……」
お互いに手を出す事は多分しないとは思うけれど……二人共が私を追い掛けてお互いをちゃんと見ないだなんて、こんなにも悲しい事はないよ。
あの二人には圧倒的に『家族の会話』が足りないわ! えぇ、そうよ! 何でお互いにもっと話し合わないのよ!
……常に相手の裏を探ろうとするあの人と、そもそも他人を理解出来ないあの娘じゃ難しいって事も理解ってはいるんだけどね。
「……そうだね、消えてしまう前に色々と残そう」
冷徹な私も中々に良い事を提案するものだ……え? 最善策や次善策を尽く却下されたのでそれしかない? ……それはすいませんでしたね。
でもまぁ、これで最期にやる事は決まりましたね。
「まず麻里奈さんにお手紙を出さなきゃ」
あの人の幼馴染みで、小さい頃からずっと慕ってきた麻里奈さんからしたら私の存在なんて複雑でしかないとは思うけど……そんな事で対応を変える様な方じゃないし、ここはそれに甘えてしまいましょう。
人権も戸籍もない私と違ってあの人と結婚できたんだから、少しくらいは面倒事を投げても良いかしら? 大人気ないかな?
いやでも、あの人の事に関する事なら面倒事なんて思わずに、快く引き受けてくれるかも知れないわね。
「山本さんにも一応言っておくとして、あの娘はどうしようかな……あの娘に必要なのは私の代わりに外の世界へと引っ張ってくれる人なんだけど」
母親の代わりでなくても良い……友人が出来ればそれで良い。
もっと同年代の子たちと話が合う様にアニメとか、漫画とか……色んな文化をあの娘と一緒に楽しんだ時間が活きるというものよ。
そう考えると、あれだね、あの人と麻里奈さんの子どもと家族であり友人でもある……そんな関係になってくれたら私は嬉しいなぁ。
「……麻里奈さん宛の手紙にその事も追加しておこう」
『私達の子どもが仲良くできると良いですね』、と……出来るかなぁ?
まぁあの娘は私の言い付けをちゃんと守れる子だから、会っていきなり殴り掛かる様な事はしないでしょう!
「うむうむ、最低限の事は出来たかな?」
後は消えてしまうまで二人に対して沢山の愛情を注いであげましょう……
自らの身を滅ぼすくらいには
「はぁ、それにしても──」
先ほどから自分の中を探し回っても全く見つからない。
「──あの人、あの娘って……なんて名前だったかなぁ」
……え? 記憶領域の中で特に頻出する単語だったので消去した? これで大分余裕が生まれたって?
……だから私は私が嫌いなんだよ。
▼▼▼▼▼▼▼
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます