第171話第二回公式イベント・collapsing kingdomその3

「あぁ! マリア様ッ!! 貴女はどうしてマリア様ッ?!」


「……」


軍服を来た長身の男の子が背にデカデカと〝ヒンヌー教祖〟と書かれたマントを翻しながら大仰な仕草を意識して地に膝を突き、左手を胸に当て、右手を天へと伸ばす……それを死んだ魚の目で見るのは彼と同じクラスの学級委員長をしている蘭花である。


「貴女の小さき体躯ッ!! 揺れるローツインテールッ!!」


「……」


そんな蘭花の死んだ魚のような目による視線にすら気付かず、彼……ヒンヌー教祖は〝愛〟を叫び続ける……彼は思春期特有のそういう時期・・・・・・でもあるのだ、一々言動が大袈裟になるのも仕方がない。……仕方がないのだ。


「愛嬌溢れる笑顔を振り撒く様は太陽の女神ッ!! その小さき身体で走り回る様は護るべき幼子ッ!!」


「……」


止まらない止まらない、彼の叫びは止まらない……周囲のNPCが理解出来ないものを見る視線を寄越しても、蘭花の目がさらに死んだ魚の目になったとしても彼は止まらない……否、止まる気が一切ない。


「幼女の様な体躯から注がれるその母性ッ!!」


「……」


「肉体に不釣り合いなその精神性はまさに聖母ッ!!」


おや? 蘭花の様子が……? …………なんという事だろうか、蘭花の死んだ魚の目に涙が浮かんでいるではないか。……彼女はこのヒンヌー教祖と一緒に居ることで向けられる、NPC達からの同類を見るような視線には耐えられなかったらしい。


「そしてなによりも愛でるべきはその──なだらかな平野部……ッ!!」


「……」


蘭花だけでなく、彼まで涙を流す……どうやら自分で叫んでいる内容に感極まってしまったらしい。……意味が分からない、そこまで感動する要素が果たしてあったのか……誰にも理解はできない。


「あぁ……ここまで完璧な女性など、他に居ないでしょう……まさに奇跡ッ!!」


「……」


ヒンヌー教祖というそのプレイヤーネームから分かる通り、彼は重度の貧乳好き……にも関わらず、それに加えて年上好き・・・・のロリコン・・・・・でマザコン・・・・・という性癖のフルーツポンチを患っている彼にとって、マリアは正に奇跡としか言い様が無かった……。


「だがしかしッ!! 光あるところにまた闇もあるッ!!」


「……」


諾々と流す涙から一転して、ヒンヌー教祖はその表情を強ばらせ、まるで親の仇がすぐ目の前に居るかのような憤怒の感情を迸らせる。


「マリア様の傍に常に侍りながら、その顔を仏頂面に曇らせる大逆罪の悪魔……ユウッ!!」


「……」


とうとう彼の叫びに憎悪や嫉妬の感情まで乗り始める……自身が恋焦がれる女の子が唯一、笑顔以外の表情を見せるその男に対しての負の感情を叫ぶ。……もはや蘭花は素人を黙らせる顔をしている。


「奴めを誅し、必ずやその御身を助け出します……待っていて下さい、マリア様ッ!!」


「……」


ヒンヌー教祖、勝手に覚悟を完了してしまったらしい……最後の叫びが終わり、天に向かって祈りを捧げる。……その背後では蘭花が素人を黙らせまくる顔で真理の扉に手を掛ける。


「ヒンヌー教義、その一ッ!! ──我々が満たされるのではない、満たすのだ」


仏説ぶっせつ摩訶般若まかはんにゃ波羅蜜多心経はらみったしんぎょう──」


ヒンヌー教祖が自ら興した宗教──ギルドの信条を語り始める……そのすぐ後ろで羞恥心の許容値を超えたのか、実家が寺である蘭花が般若心経を唱え始める。……もはや収拾がつかない。


「ヒンヌー教義、その二ッ!! ──揉むのではない、摘め」


観自在かんじざい菩薩ぼさつ 行深ぎょうじん般若波羅はんにゃはら蜜多時みたじ──」


彼は、ヒンヌー教祖は止まらない……その若さ故なのか周囲を気にせず叫び続ける。……その後ろでは蘭花が唯ひたすら、無心に……般若心経を唱え続ける。……周囲のNPC達は狂人と、その後ろで自分達の馴染みのない何かを唱える少女を見て、足早にその場を去っていく。


「ヒンヌー教義、その三ッ!! ──人が住むべき場所は山ではない、平野である」


照見しょうけん五蘊皆空ごうんかいくう 度一切どいっさい苦厄くやく──」


なんなのだ、一体この場はなんなのだ?! ……この場を目撃したあるNPCが叫ぶが、そんなものは誰にも分からない……たまたま目撃した運営ですら何が起きているのか把握できない。


「ヒンヌー教義、その四ッ!! ──自らの手で夢と希望を詰め込み、愛を育むのだ」


舍利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき──」


ヒンヌー教祖が教義を叫ぶのに合わせ、まるで宝塚歌劇団のように芝居がかった仕草を取り、蘭花が般若心経を唱えるのに合わせて薙刀の石突きで石畳を叩く……なんの儀式であろうか?


「ヒンヌー教義、その五ッ!! ──走れ! かの平野部をッ!!」


色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき亦復如是やくぶにょぜ──」


止まらない、止まらない……全く止まらない。ヒンヌー教祖は声楽部の本領発揮か何なのか、テノールのビブラートを効かせ始め、蘭花はそれ掻き消すかのように激しく、力強く石畳に薙刀の石突きを叩き付ける。


「ヒンヌー教義、その六ッ!! ──優しく包むのではない、撫でるのだ」


舍利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう──」


だ、誰か衛兵を呼べ! そうNPCが叫ぶが意味は無い……なぜなら衛兵ですら近付きたくはないからだ、意味が分からないのだ……熟練の衛兵とて、この様な事態は初めてなのだ……仕方がない。


「ヒンヌー教義、その七ッ!! ──脂肪を憎んで、巨乳を憎まず」


不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう──」


周囲に鑑みない変態と、唯ひたすらに般若心経を唱える少女の二人に掛ける言葉など……もはや人類は持たない。……それでもただ一つ言える事があるとするのなら──


「ママァー! あの人達どうしたのー?」


「しっ! 見てはいけませんっ!」


──この場はとてつもないカオスに包まれていた。


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