第134話肝が冷える奴

「兄貴、これが各戦場の報告書です」


激しい頭痛と胃痛、そして寝不足に悩まされながらこの動乱の時代となった大陸西部に於いて一応は領主という立場になった責任として政務に励んでいると部下が新たな書類を持ってくる。


「あぁ……兄貴じゃなくて領主だ」


「す、すいやせん……」


まったくあのクソ女から無理やり領主に据えられてからもう大分経つというのに俺も部下も未だに自身の身に余る過分過ぎる地位に戸惑いを無くせない……自分の中で領主の象徴であった屋敷もあのクソ女に吹き飛ばされて無くなったし尚更だ。


「まったく……あの頭の狂った女は何を考えてやがんだ」


「……」


王女の名義を使って帝国に宣戦布告したと思ったら王都で有力貴族を殺害して回るし……そんでもって王都の目の前で激戦が繰り広げられていたというのにそれをスルーして帝都を強襲? 意味がわからん。


「戦争によって軒並み物価も上昇してやがるってのにあのクソ女ァ……」


「……」


複数の地方で反乱や独立を許してしまい各方面に戦線を抱える事になった帝国が内海から手を引いたのは幸いだったが、戦乱が広がった事でそれもさらなる物価上昇と物資の不足であまり意味が無い。


「どうやら結構な不満が溜まっているようですね?」


「そりゃ愚痴も吐きたくなるさ! この不安定な政情の中どれだけ俺が苦労してると思ってんだ! あのイカレクソ女め!」


バーレンス領が所属する王国と帝国は未だに戦争中なのにも関わらず帝国各地での独立戦争に加えて、今なら大陸西部の二大国の領地を切り取れると思ったハイエナ国家が不穏な動きを見せていやがる……そんな状態で頑張っているってのに俺にはご褒美すら……ん? 女の声?


「……や、やぁ?」


恐る恐る振り返ればそこには何を考えているのか相変わらず判らない無表情であの女が立っていた……なんでいつも無言で人の背後に現れるんだよ……肝が冷えるだろ?


「まさかエレンさんがそこまで思い詰めていたとは……考えが至りませんでした、謝罪します」


「……待ってくれ、話し合おう」


この女が素直に謝罪だと? ……絶対に嫌な予感しかしない! やめろ、やめてくれ! これ以上の厄介事は本気で勘弁してくれよ?!


「そうですよね、今思えば私は何かを頼むばかりでご褒美の一つも差し上げていませんでしたね」


「どうだい? 最近良い茶葉が入ったんだ、茶菓子と一緒に戴こうじゃないか」


相手のペースに乗ってやるものかと負けじと最大限の笑顔を作ってから俺手ずから紅茶を淹れ、棚から秘蔵の茶菓子を取り出して盛り付けながら着席を促す。


「やっぱり働きに見合った対価は必要ですよね、それを忘れるとは猛省です」


「……ほら、新鮮な苺のサンドイッチなんてどうだ?」


「なので独立して国王になっちゃいましょう」


「クソッタレ!」


俺は手に持っていた茶器を思いっ切り床に叩き付けながら叫ぶ……こいつ人の話を聞きやがらねぇ、こっちがせっかくもてなしの準備をしながら話題を振ってやってるっていうのに! しかも独立して国王だぁ? ……何言ってるのか解らねぇよ。


「やっぱり辺境の領主のままなのは嫌ですよね」


「……まず落ち着こう、落ち着いて話をしよう」


「そうですね、ベルゼンストック市とも連携して慎重に計画を立てましょう」


「クソッタレ!」


俺は新しく出した茶器を思いっ切り床に叩き付けながら叫ぶ……床を掃除していた部下が迷惑そうな顔をするが知ったことか! こいつ本当になんなんだよもぉ!


「……先ほどから大丈夫ですか? 少しお茶を飲んで落ち着かれてはどうでしょう?」


「こ、コイツ……?!」


なぜだ、なぜ俺が一人で勝手に興奮していたみたいな雰囲気で抜かしやがるんだ? なぜそんな痛ましい者を見るかのような目で口元に手を添える? なぜ部下は俺から目を逸らす?


「さぁ、どうぞ」


「なんでお前がお茶を淹れるんだよ……………………美味い」


「お口に合ったようでなによりです」


嘘だろ……? 訪問の仕方は言い訳のしようがないクソだったが本来はお客様のはずのコイツがお茶を淹れる事自体も意味不明なのになぜ、なぜこんな頭のおかしい女の淹れる紅茶が美味いんだ?


「……認めたくはないが今までで一番美味かった」


「そうですか、隠し味に花子さんの鱗粉を入れたのですが実験が成功したようで良かったです」


『ギチチチッ』


「クソッタレ!」


それまで口に付けていた茶器を思いっ切り床に叩き付けながら叫ぶ……床を掃除していた部下が同情の眼差しでこちら見てくるが知ったことか! なんだその悍ましい蟲は?! その鱗粉? はぁあ?!!


「ふざけんなよクソ女ァ?!!」


「あ、ご心配なく。毒の類ではありませんので」


「そういう話じゃねぇよ!」


普通そんな悍ましい蟲の鱗粉なんかが入った紅茶を人に出すか? 出さねぇだろ? しかも実験って言ったか? 人で試すんじゃねぇよ頼むから。毒とかそういう問題じゃなくてだな……てかその可能性があったのか……肝が冷えるだろ。


「そんなに花子さんが嫌だったとは……すいません、お口直しにこちらをどうぞ」


「今度は花子……だったか? そいつの鱗粉は入ってねぇだろうな?」


「えぇ、勿論です」


まぁコイツは……少なくとも俺に対して嘘はついたことが無かったから大丈夫だろう、この女は約束事とか自分から言った事自体ではなく守る事を大事にしている節があるからな。


「……今度のはフルーティで甘めだな、果汁でも入れたか?」


「武雄さんの鱗粉です」


『ギチチチッ』


「クソッタレ!」


それまで口に付けていた茶器を思いっ切り床に叩き付けながら叫ぶ……床を掃除していた部下が思わず吹き出しているが知ったこと……笑ってんじゃねぇよ! 吹き出した部下の頭を床と自らの足で挟みながら目の前のクソ女を睨み付ける。


「……武雄さんも嫌だったのですか?」


「見た目ほぼ一緒じゃねぇか! 個体が違うからセーフとでも言うつもりか?!」


「失敬な。私はそんな不誠実な事はしませんよ、あなたの好き嫌いが多いのです」


コイツ本気で言ってんのか? よく契約書に『〜とは書いてないだろ?』みたいなやり取りは多くしてきたが……この女本気で解ってなかったのか? これだから頭のおかしい奴の相手はしたくねぇんだよ。


「はぁ……どうやら今日のエレンさんは虫の居所が悪いようです」


「誰のせいだと思ってんだ、この野郎……」


なんで俺がキレやすくてやりづらいみたいな雰囲気なんだよ……コイツと話すとまるで自分が悪いみたいな気がしてくるから困る。


「まぁ、今すぐじゃなくて良いので明日また話し合いましょう」


「もういいよ、忘れろよ……」


蒸し返すなよ、もうご褒美とか望まねぇから……こんな緊張が高まった時勢で独立とかすぐに他国に呑み込まれるに決まってんだろ。


「ではエレンさんの隣の部屋を借りますね」


「……もう好きにしてくれ」


「ふふ、相変わらず太っ腹ですね」


「……他に誰か拐って来てねぇよな?」


「? 何を言ってるんですか? 私は人攫いではないですよ?」


「…………そうかい」


その言葉を最後に憎いあん畜生は去っていく……だからアイツに会いたくなかったんだよ!!


「ボス、今のは……」


「……肝が冷える奴」


「さいで……」


あぁ……できることならば全てを放り出して眠りにつきたいぜ……。


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