もう一人の従妹セレーナ

 ニコルの話を聞いたコンラッドは、殆どニコルと同じ考えだと言った。

「父上は叔母上を使ってシン王を殺した。これまで併合した国に於いても国王だけは生かしておかなかった。リューデン王に関しては、市民の反発を買ってまで殺す必要は無いと判断しているのだと思う。」

 ニコルにとっては予想通りの回答であったが、それでも落胆する。

「頼む、父上が生きられる方法を考えて欲しい。父上はそれほど権力欲が強い方では無いのだ、ガリアに迷惑は掛けないと思う。」

「他国へ亡命することは考えていないのか?」

 ニコルは静かに首を振る。「シーケルの話だと経過観察が必要らしい。更に私からも頼みたい。我儘は承知だ。父上と出来るだけ近くに居たいのだ。私たち家族はあまりに空白が多い日々を過ごした。」

「そうか・・・。難しいな。」コンラッドはしばらく考え込む。

 ニコルは俯き、諦めたようにつぶやいた。

「そうだな。既に私はガリアに嫁いだ身だというのに、このような・・・」

「皇帝陛下に気付かれずガリア国内で暮らす方法だよ。」

「!」ニコルは顔を上げる。

「リューデン自治区はこれから本格的にガリア化を進める上で気付かれやすいだろう。国内とはいえ辺境の地だが一件心当たりがある。まずそこを考えてみよう。」

「殿下・・・。」ニコルの頬を涙がつたっていく。その涙はコンラッドが最初に見た、苦しみの涙ではない。父への想いに溢れた、優しき涙であった。

「この恩、必ず返す・・・」

「泣かないでくれよ。笑うところだぞ。」


 辺り一面茶畑が広がっている。太陽の光を受け、つやつやと葉が光っている。

 そこへたどり着いたのは、コンラッド、ニコル、アリア、そしてアリアに近しいゲルグ人数名が運ぶリューデン王であった。

「殿下! よくぞお越しに!」遠くから一人の少女が駆け寄って来る。

「やあセレーナ、しばらくだったな。今何歳だ?」コンラッドは親しげに挨拶する。

「十五になります。」

「時が経つのは早いな。あの頃お前はまだ赤子だった。」

「お恥ずかしい。殿下のお姿はいつも新聞で拝見しておりました。」

「紹介するよ。ニコル、こちらはセレーナ。俺の母の妹の娘なんだ。ここは母の実家だ。」

 セレーナは肖像画のガリア皇后にどことなく似ていた。青い目が澄んでいる。仕事をしていたのだろうか。うっすらと汗ばみ、長い金髪は一本の三つ編みにして背中に垂らしている。ニコルは微笑んで挨拶する。

「初めましてセレーナ。私はニコル。コンラッドの妻としてガリアに尽くしている。」

「初めましてニコル妃殿下。よくぞ遠路はるばるお越し下さいました。」

 コンラッドは次にアリアを紹介する。

「セレーナ、こちらはアリア。俺たちの協力者だ。」

「初めましてセレーナ。気軽にアリアと呼んでくださいね。」

「初めましてアリアさん。」セレーナはぺこりとおじぎをする。

 セレーナは部屋の中に一行を案内した。

 リューデン王は担架に横たわっており、大きな布が被せられている。

「父は外国まで買い付けに出ていてしばらく居ないんです」セレーナは茶葉に煮えた湯を勢いよく注ぎ込む。「今は私が一人でこの茶畑を管理しています。」湯気と一緒に甘い香りが漂う。

「ここには滅多に人は訪ねて来ないんだろう。」コンラッドが尋ねる。

「はい。皇后陛下が亡くなってもう随分経ちますから。リューデンの国王様がお過ごしになるにはぴったりかと。」セレーナはにっこりとほほ笑んだ。

 ニコルはセレーナに深く感謝した。


 リューデン王はこの土地で、セレーナと、数名のゲルグ人と共に暮らすこととなった。 

 ドクターシーケルも休暇を取り、帝国病院を離れて駆け付けた。

 ゲルグ人たちはリューデン王の身の回りの世話と、畑仕事の手伝いを担う。それがセレーナの出した条件だ。

「皆に改めて礼を言いたい。父上のこと心より感謝している。」

 ニコルの言葉に一同は笑顔を返す。

 アリアが言った。「ニコル様、ゲルグ人は皆リューデン王に心から敬意を払っています。そしてもちろんニコル様にも。」

 シーケルが口を挟む。「まだまだ治療はこれからです妃殿下。お喜びになるのはリューデン王が起き上がってからです、そうでしょう?」

「ああ、その通りだ。来週にでも様子を見に来ても良いか、シーケル?」

「もちろんです。前向きな報告が出来るよう最善を尽くします。そのためにはあらゆる設備を帝国病院から運ばねばなりません。」

「それは私たちゲルグ人が手伝うわ、シーケル。」と、アリア。

 ニコルは再び皆に礼を言う。

 アリアやシーケルはその場に残り、今後の相談をするようだ。

 コンラッドとニコルは先に城に戻ることにした。

「あの、コンラッド殿下。」セレーナが呼び止める。

「ん?」コンラッドが振り返る。ニコルは馬を取りに外に出て行った。

「またお会いできますか。」セレーナは顔を赤らめている。

「そうだな。たまには俺も様子を見に来るよ。」

 コンラッドが頷くと、

「お待ちしています!」そう言ってセレーナは、花が咲いたような笑顔になった。


 コンラッドとニコルの二人はガリア城に到着し、それぞれの部屋へと戻った。

 ニコルがほっとしてベッドに横たわったその時、彼女の体に異変が起きた。猛烈な吐き気が襲って来たのだ。ニコルはエレネ川に放流された毒のことを思い出す。飛び起きて洗面台まで駆け寄り、激しく嘔吐した。胃が何度も痙攣し、内容物が吐き出される。

 アリアが居ないのでベルでメイドを呼ぶ。ニコルがあまりに激しくベルを振ったので、メイドたちはノックもせずに部屋へとなだれ込んできた。

 程なくメイドの知らせを受けた宮廷医師が現れた。ニコルの様子を見るや否や労わりの言葉を掛ける。そして、エレネ川の毒は身体には大きな影響が無いと言った。

「三日ほどで落ち着くでしょう。吐き気の症状が出ます。お辛いでしょうが時間が過ぎるのを待つ他ありません。」

 ニコルあの戦闘以来、事前に貯められていた水以外は飲まないように気を付けていた。皇帝やコンラッドも同じだ。

「あの水は口にしていないはずだが・・・」

「何かのきっかけで口に入れてしまわれたのではないでしょうか。」

「そうかな。体が重く動けぬ。」ニコルは寝返りを打つ。

「とにかく休まれてください。それしかありません。」医師の言葉は頼りないものだった。

 ニコルはベッドに横たわる。食事はメイドに部屋まで運ばせた。

 自分はこれまで休んだことがあっただろうか。ニコルは考えた。いつも破天荒なミズカの行動に翻弄された。父親の身体を心配し、鍛え戦い、暇さえあれば恋をし、そればかりだったような気がする。

「良い機会だったのかもしれんな。」静かにそう呟いた。

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