皇女の最期

 エルザはヘラの想像通り高台に身を潜め、戦況を把握しながら指示を出していた。登山道を中心に捜索していたガリア兵により、クレム帝国の伝達兵が出入りするところを目撃されたのだ。

「ぐっ・・・なぜ見つかったの。」

 エルザはガリア兵に囲まれている。見つかることは無いと高を括っていたため、数少ないクレム兵しか配置しておらず、それもすっかり殲滅されていた。

「エルザ。」馬に乗ったコンラッドが到着した。エルザの姿を見つけ、するりと馬から降りる。

 山の上は寒い。風に乗った砂が肌に打ち付け、ひりひりした。

「コンラッド。懐かしいわ。さすがにもう見逃してもらえないのでしょう。」エルザは苦笑いをする。

「当たり前だ! ミズカを殺し、ガリアを裏切り、ホフマンも、民間人もお前のせいで大勢死んだ! 許されるわけがない。」

「そうよエルザ。」後ろから現れたのはヘラだ。「もうあなたを守ってあげられないの。」

「お母様!」エルザの表情は憎しみへと変わった。

 クレム帝国へ入ってから、エルザはいつも母に振り回されていたことを実感した。母の言う通りにしていたらこうなったという思いが強かった。

「さすがは私の娘、本当に才能ある軍師だわ。まだまだ私も負けていなかったようだけど。」ヘラは、褒めているにしては冷酷な声で言った。

「・・・お母様がガリア軍を動かしていたのね。」エルザは歯を食いしばる。

「途中から皇帝陛下と交代したのよ。あなたの考えることなど、手に取るようにわかるもの。」

「私を今殺すつもり?」エルザは二人を睨みつけている。「裁判もせずに殺すの? 理性的で公正公平なガリアが?」

「クレム帝国をそそのかしてガリアに攻撃させた罪は重すぎるんだ。ミズカ殺害の件もある。俺たちがお前を守れるのもこれまでだ。」と、コンラッド。

「ああエルザ。裁判なんかで恥をさらすのは母として耐えられないわ。責任を取ってここで没しなさい。」

「待って! 待って頂戴!」エルザは慌てる。背負っていたカバンを降ろし、ガサゴソと中を触り始めた。

「そそのかしてなんていないわ! 知人を頼ってクレム帝国に入国したんだけど、この戦いで軍師を務めてみろって言われたの。勝って忠誠心を見せろって。仕方ないでしょう! 私だって生きるのに必死だった。死んだ者たちには悪いと思っているわ。」

 そして大きな一冊の本を取り出す。

「見て! これはクレム帝国の軍事、科学技術や政治に関する機密情報よ。」

 それは重厚感のある派手な装丁で、いかにもクレム帝国の機密事項が載っていそうな書物だった。エルザはまくし立てる。

「こうしてコンラッドやお母様と話が出来るのを待っていた。私はガリアを裏切っていないわ。これを持ち帰るためにクレム帝国に入った。許してもらいたかったの、ミズカを殺したこと。一時の間違いだった・・・反省したの。」

 美しかった金髪を乱し、涙を浮かべて語るエルザにコンラッドは同情する。こうなったのは自分のせいでもあると思っていた。

「嘘よ。」しかしヘラは冷たく言い放つ。「悪いと思っただの反省しただの・・・聞くに堪えないわね。」

「お母様! 信じてくれないの!」

「あなたこれまでの人生でそんなこと口にしたことがある? 私は聞いたことが無いわ。嘘よ嘘。」

 コンラッドはヘラの断固とした態度に動揺する。「叔母上! 本当に嘘でしょうか? あの本は本物に見えますが・・・」

「嘘です殿下。我が娘ながらエルザはガリアにとって危険な人間です。一刻も早く始末してください。」

「本の中を確認してからでも遅くないのでは・・・」

「いいえ、先にエルザを殺してからでも十分です。お願いします。」きっぱりと言い放つ。

 今度はエルザはわなわなと震え始めた。怒りのあまり暴発しそうな握りこぶしを両手に作り、三白眼はヘラに激しく突き刺さっている。

「この人でなし! 信じられない! あんた本当に親なの? お父様だけでなく私まで殺すなんて! 地獄に落ちるわ!」

「殿下。これ以上聞く必要ありません。」ヘラは一切動じない。

 コンラッドは震える手で剣を抜く。「・・・分かりました。」

 ガリア兵たちは息を飲んでその様子を見守っている。

 コンラッドは大きく息を吸い、一度に全て吐き出した。すまないエルザ。出来るだけ苦しまないようにするから許してくれ。エルザに向かって走り出す。

 コンラッドの剣はエルザの腹部に突き刺さった。


 ニコルはクレム兵が撤退して行くのに気付いた。ガリアは一旦は守られたこととなる。ゲルグ人解放は更に現実味を増した。ガリア帝国としても、クレム帝国に後れを取るわけには行かないだろう。

「姉上・・・長年の願いが叶います。」

 去り行くゲルグ人達の後姿を眺めながらニコルはアリアのことを考える。

 早くアリアに会いたいと思った。


 エルザは仰向けに倒れ、腹部からは血が流れ出ている。コンラッドは剣を収めて振り返る。「急所を一突きです。私の剣に狂いはありません。」

 ヘラの頬に一筋の涙が流れる。彼女とて人間なのだとコンラッドは思った。そしてガリア兵たちに言った。

「皆には苦労を掛けた。帰ろう。叔母上とエルザを二人にしてやってくれ。」

 ヘラはコンラッドに有難うと言った。彼女が礼を述べるのは初めて聞いた気がした。コンラッドはガリア兵たちと共にその場を離れた。


「いつまで寝ているの。」

ヘラがエルザに向かってそう言うと、エルザは大声を上げた。

「あああああああ! 勘弁して! 起きられない! ものすごく痛いわ!」

「よく我慢したわね。」ヘラは感心している。

「し、し、死んだと思ったわ! っていうか死ぬ! コンラッドのやつ、本当に刺すなんて! 痛い! なんとかして!」エルザは腹部を押さえてのたうち回る。

「いいから起きて。逃げるわよ。」ヘラは面倒くさそうだ。

「いいからって・・・本当に死ぬほど痛くて・・・逃げる?」

 ヘラは頷く。エルザは再び叫び声を上げながらゆっくりと立ち上がり、短く呼吸をしながら言った。

「逃げるってどこに? 無理よクレム帝国は。勝たなければ信用しないと言われているの。」

「クレム帝国でもましてやガリア国内でもないわ。アメリカよ。」

 エルザは目を見開く。「アメリカ?」

 アメリカと言えば三十年ほど前に発見された新大陸だ。

「アメリカって、あの・・・未開の地アメリカ?」エルザは痛みも忘れて口をぽっかりと開けている。少しも予想できなかった展開だ。

「ええ。私の恋人がアメリカで開拓事業をしているの。ほら、あなたも会ったでしょう。」

 エルザはヘラの部屋で鉢合わせた外国人の男を思い出した。

「船が来ているから急いで港に向かうわ。まったく、あんたの尻ぬぐいばかりよ、私の人生。」ヘラは手を差し出す。

 腹部はじりじりと痛んだし、頭は疑問だらけで少しも落ち着かない。ヘラの腕を掴み、ようやく一歩を踏み出す。盗んだ本はそのまま地面に転がっていた。

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