ホフマン死す

 ガリア皇帝は興奮のあまり手に汗を握りながらヘラの方を振り向いた。

「さすがはエルザの母だ! 的中したな。病院を狙うなどと、卑劣な女よ。堂々たる騎士には考えもつかぬこと。」

「皇帝陛下。いいえ、お兄様・・・。」ヘラは城下を見下ろしている。

「なんだ。」

「僭越ながら、指揮を私にお任せ頂けませんか。我が娘の蛮行、責任を持って私が引き受けたいと考えていますの。」

「お前が指揮だと? エルザの策に適しているのは分かる、が・・・」

 ガリア皇帝が言い終わるか言い終わらないかのうちに、ヘラは伝達兵の方を向き、高らかに言った。

「エルザはガリア国内に居る! 高台を中心に探せ! 見つけ次第コンラッド殿下に知らせ、必ず殿下の手で処刑せよ!」

 あまりの迫力にガリア皇帝は圧倒される。

 その決意に、指揮権をヘラに預けるのも悪くないと思った。

「・・・ヘラよ、良いのか。エルザを殺すのかね?」

「致し方ありません。殿下に処刑されるのであれば、元皇族としての威厳も保てましょう。ここで始末しなければ更に面倒なことになりますもの。」


 後方部隊と合流したコンラッドであったが、ゲルグ人部隊を含むクレム帝国軍に苦戦を強いられていた。前に居た兵士たちはことごとく敗れ、気付けば自分が先頭に立っている。既に何人斬ったか分からない。ホフマンと二人でクレム帝国軍を必死に抑えていた。

「殿下、このまま続けていてはいずれ殿下の体力が尽きます! 城門まで退いてください。私が出来る限り抑えますゆえ・・・!」

 ホフマンはそう言うが、コンラッドは無理だと思った。二人で対応してすら押され気味なのだ。ホフマン一人ではどうすることも出来ないだろう。

「俺より弱いくせに馬鹿なことを言うなよ、ホフマン!」

 コンラッドは向かってくるクレム兵をなぎ倒す。ゲルグ人を斬るのには一瞬躊躇したが、既にそれどころではない。ここで押さえなければガリア城が危険だ。

「馬鹿なことを仰っているのは殿下ですぞ!」

「なに!」

「このまま戦って体力が持つとお思いか! 下がってニコル妃殿下の援軍を待つのです!」

「駄目だ!」コンラッドは全力で否定する。

 このまま下がればホフマンが無事で済むとは思えない。

「俺が残った方がマシだぞホフマン! 体力の消耗? 大したことはない! 自分の体力を基準に考えているんじゃないか!」

「殿下!」ホフマンが怒鳴った。

 これまでコンラッドが接して来た中で最も大きな声だ。コンラッドは怯む。

「なんだよ・・・」

「殿下! 殿下は軍人ではありませぬ! 己の職務をお忘れか!」

 コンラッドは殴られたような思いがした。

「私は殿下を必死に訓練して来ました。殿下幼き頃から、片時もそのことを忘れたことはございませぬ! しかしそれは軍人ごっこをするためでは無い! 殿下自身の命を守るためです!」

「・・・」コンラッドは初めて真面目にホフマンの話を聞いている。

「良いですか。城門前まで退き、そこでニコル妃殿下の到着を待つのです。もし城門が破られ、ガリア皇帝の御身に何かあっても・・・その時はニコル妃殿下を連れて逃げるのですよ。」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 何言ってるんだよ!」

 突然の話の飛躍にコンラッドは戸惑う。ホフマンは続けた。

「冗談ではございませぬ! 万が一の話です。何処に逃げてもお二人は生きるのです。殿下の在る場所、それがガリア帝国。殿下が生きる限り、ガリア帝国は不滅なり!」

「そういうことじゃない! こんな時になぜそんな話を・・・」

 ホフマンが話している間も、クレム兵の攻撃は止まない。

 疲れのあまりホフマンは既に防御しか出来なくなっている。

「さあもうお下がりください殿下!」

 ホフマンはコンラッドの方を振り向き、剣を振り上げる。驚いたコンラッドは一歩後ろに下がる。ホフマンは続けた。

「ガリアは!」

「やめてくれホフマン、危ないぞ!」

「ガリアは不滅なり!」

 そう言って剣を振り下ろす。コンラッドの持つ剣に衝撃が走った。ホフマンの期待と命を全てぶつけられたような重みだ。血走った目でコンラッドを見ている。

 ついにコンラッドは観念する。その場を離れ、ホフマンの言う通り後方へ向かって走り始める。背中の向こうでホフマンの声が聞こえ続けた。

 殿下、お下がりください。ガリアは不滅なり。


 コンラッドは全身の血液が激しく脈打つのを感じた。親しき者が居なくなって行く。それも皆コンラッドを守ってのことだ。自分は誰も守ることが出来ないのかと思った。

「殿下ー!」

 後方部隊と合流すると同時に、一人の伝達兵が駆け寄って来た。

「申し上げます! エルザ様・・・敵軍師エルザは、ガリア国内に居るとのことです! 見つけ次第必ず殿下の手で敵軍師を処刑せよとのこと! 皇帝陛下とヘラ様のご命令です!」

 ヘラはそれなりにエルザを可愛がっているように見えた。苦渋の決断だっただろう。

 コンラッドはヘラを気の毒に思うと同時に、それも自分のせいだと感じた。

「伯母上、おつらいだろうに・・・。」

 伝達兵はガリア城の方を向いて、「ヘラ様はガリア国民の代表たる立派なガリア王族であります! 身の引き締まる思いです!」と、大絶叫する。

「ああ、そうだな・・・。」その熱意にコンラッドは複雑な思いがした。

「殿下! どこに居る! 殿下!」遠くからニコルの声が聞こえる。

 人混みの中に、クレム帝国兵を次々と倒す、馬に乗ったニコルの姿が見えた。長時間の戦闘にも拘わらず発汗も息切れも無く、全身に汚れ一つ見えない。

「ここだニコル!」コンラッドが右手を上げて合図する。

 ニコルは駆け寄って来る。

「殿下! ゲルグ人解放はクレム帝国に先を越されたのか? すごい数だ!」

 コンラッドは頷く。

「本気で掛かってきている。ガリアのゲルグ人解放など、信用出来ないということかもしれない。単なる雇われ傭兵とは全く違う士気だ。」

「仕方がない! とにかく今はここを死守するぞ。」ニコルは再び剣を構える。

「分かっている!」コンラッドも敵に向き直る。

 コンラッドとニコルがクレム帝国兵の侵入を防ぐ。ニコルが到着してからというもの、明らかに戦況が変わったのを感じた。

 ニコルが立っている周辺には誰も寄り付かない。桁違いの強さというものは持っているだけで敵が襲って来ないのだ。コンラッドはそれを目の当たりにした。

「敵軍師を発見しました!」

 声のする方を見ると伝達兵が立っている。エルザが見つかった。ついにこの時が来てしまったと思った。心のどこかでエルザが見つからなければ良いと思っていたのだ。

 落胆する気持ちを抱え、コンラッドは自身の気持ちに初めて気付く。ミズカの仇とはいえ、エルザは長い間一緒に過ごした家族だった。ニコルは励ますように言った。

「私には何も言えないが健闘を祈るぞ。気をしっかり持つように。」精一杯の慰めだ。

「殺せと言わないのか。ミズカの仇なんだぞ。」

「姉上がそのようなことを望むとは思えない。」

「・・・そうだったな。」

 結局親しき者の一人であったエルザも、自分の手で殺さなくてはならない。エルザを殺すことにどのような意味があるのかも分からないが、既に後戻りは出来なくなっていた。

「ここは私に任せて構わぬ。」

「頼んだぞ!」コンラッドはエルザの元へ走った。

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